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946/1096【質問回答】SNSで他人の言葉に過剰反応をしてしまう/長年片思いだがいざ付き合ったら冷めそうで怖い

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で946日。
※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

946日目。書いて書いて書いて生活している。毎日投稿を執筆し、親類や家族や友人や仲間とたくさん書いてやり取りをしており、告知分を書いて、商品説明を書いて、お知らせを書いて、メールを書いて、メモを書いて、コメントを書いて、投稿を書いて、シェアを書いて、ツイートを書いている。

こうして書いて書いているのに、ブログを毎日書くのをやめずにいるコツ。
それは「諦める」こと。いくら好きなことでも、気の乗る日、乗らない日、うまく進む日、止まって進まない日がある。でも、書かなきゃならないことに抵抗せず、そういうものだと諦めてしまうと楽だ。

自分がなにか達成したかったら、そのせいで発生することはもう、諦めてやるしかない。そうやって自分に対して「お前のためだったら俺はどんな困難すらも超えられる」「俺がいる。もう安心しろ」「お前を笑顔にするためなら、すべてのプロセスは喜びだ」と言ってご覧。

なぜか世界のどこかに、あるいは周囲の誰かに、現実のどこかに、自分をそう扱ってくれるところが出現しますよ。

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本日の質問回答です。

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これは質問者さまにとって、なにもSNS上のことだけではないと思うのです。身の回りの人との関係にも同じ反応があるのだと思います。

たとえばSNS上での自分の反応が不快なのであれば、SNSを見ることをやめれば良いのですが、そうもいきませんよね。それはあなたが他者の意見に良くも悪くも強く関心を寄せているからです。気になってしまうのですね。

きっとそれが、リアルな人間関係においても同じなのだと思います。
嫌いな人や嫉妬する相手や嫌われたくない人などがいても、適切なところまで距離を置いて自分の快適さを尊重することができず、不快な距離を保ったまま、気になって注意を向けてしまうのだと思います。そしてなにか気に触ることを言われようものなら、イライラしたりショックを受けて引きずったり、腹を立てて眠れなくなったりするはずです。

嫌いなものに過剰に反応してしまう人は、好きなものにも過剰に反応してしまいます。異常に嫌ってしまうのと異常に好くのとは同じようなものです。相手を強く意識しています。

自分の感覚をないがしろにしているので、それを思い出すときに相手を嫌い、それを埋めてくれるときに相手を好きになります。たとえば自分のことを無条件に愛しく思う感覚をないがしろにして自分をブスだと思っていると、ブスだという自己評価を思い出させる、たとえば自分の容姿と同じ特徴をもった人や正反対の容姿の人のことを極端に嫌ったり。逆に、自分を綺麗だと言ってくれる異性のことを極端に好きになったり。

本来の感覚に蓋をして自分を貶めている。
だからこそ起こる過剰反応なんです。

この外側への過剰反応というのは、自分自身へのジャッジなのですね。

「こういう人間はダメらしいわよ!じゃあわたしは不幸だわ!!」
「わたしに好意が?!じゃあわたしってそんなに素敵ってことだわ!」

というように、相手の言動によって自分への評価を下しているのです。相手が自分を嫌えば極端に不快に、相手が自分を好けば極端に快になり、簡単に揺れてしまいます。

このときわたしたちは「他者の言葉に一喜一憂しないためには、評価を高めて自信をつければよいのだ」と思ってしまいがちですが、そうではないのです。他者と比べて勝ったり優れたりすることでどれだけ自信をつけても、この恐れはなくなりません。

他者より強くなったら自信がつくでしょうか。他者よりお金を得れば自信がつくでしょうか。残念ながら、それを得ても同じです。それらがあってはじめて持てる自信というのは、それらがなくなったら失われるものですよね。だから、自分が揺れやすいのは変わらないのです。(他者に上からマウントをかけて他者との高低差を見える化したがる人になりますね)

他者と比較して自分の位置を決めることでしか自分を知ることができないと、常に他者と比べるから、他者が絶対的なものさしであり、他者が脅威になってしまうんですね。なので、他者より優れているという相対的な自信は、揺れない心をもつためには役に立ちません。

他者の言動に揺らされないでいるためには、相対的な自信は要らないのです。真逆です。その土俵から降りること。比べる価値観から脱却する。

本当に必要なのは、本質的な自分に気がついていることです。
あなたは、あなたが何者で、どんな存在なのかに気がついていません。

あなたは誰がどう言おうと、それによって株価のように価値が変動するような存在ではありません。それによって価値を測られるべき存在でもありません。あなたのどこがどう優れていようとも劣っていようとも、それらとは関係なく、自分自身から尊重されて然るべき存在です。

あなたは価値や評価に関係なく、ただ今のそのままの自分を使ってこの世を謳歌してよい存在だということに、あなた自身が気がついていないだけ。薔薇を「ああいい香りだな」と味わうために、他者から評価されている必要がありますか?それと同じですよ。自分の本質を見ていないだけ。

ゆえにこれは、単なる不知による恐れなのです。

自尊心を持ちましょう。自分を外から観察してみると、あなたはあなたが思っているような存在ではなく、想定外に愛しく、べらぼうに奇跡的で、懺悔したくなるほど神聖な、神の創作物なのだとわかるかもしれませんよ。するとね、別に特別な成功や特別な評価すら要らなくなるんです。淡々と、自分なりに、地上の生活を愛して生きられる。

そうして自分自身に目が覚めると、言葉は悪いですが非常にバカバカしくなっちゃうんです。他者の言葉に極端に振り回されたり、他者の評価を異常に気にすることが。もちろん、健全な範囲で嬉しく思ったり悲しく思ったりはしますが、それも含め地球人の地上の生活として愛でることができますよ。

長くて遠い、ものすごく難しいプロセスだな…と思うかもしれませんが、意外とそんなことはありません。とてもエキサイティングで感動的なプロセスであり、万里の長城のような遥かな道の先にあるだろうと思われるゴールは、今あなたが立っているその場所なのです。

自己否定を駆逐しなくて良いのです。それがあっていいから、そのままでいいから、ほらそのままのあなたで、残りの時間を一生懸命謳歌しましょう。
ただ自分という人として生きましょう。
実際、それ以外の選択肢って、どこにもないんですから!

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相手の方はあなたと恋愛する気がないと言っているのですよね。そのことを相応に重んじないのはなぜなのでしょうか。なぜ故に「まあそれはそれです」と流してしまうのでしょう。好きな人と恋愛をしたいと思っているあなたにとって、重要なことではないでしょうか。

いざ付き合ってみたら、自分の気持ちが冷めてしまうのではないかという心配については、付き合ってから考えれば良いことです。その前に、そもそもまず付き合うこと自体が最初のハードルではないかと思うのです。

今あなた自身が持っている恐れを『うまくかわして』付き合いたいというのも、あなたがあなた自身の感覚を相応に重んじていません。

自分を受け止める気がないから、お相手の方の「恋愛する気がない」という言葉を受け止められないのだと思いますよ。人は、自分を扱うのと同じように他者を扱います。

あなたには理想の恋愛があり、そのお相手とではあなたの理想が叶わないような気がしていませんか。そのせいで、実は今すでにどこか気持ちが乗らないのがご自分でわかっているのではないですか。

人は心から誰かを恋い慕っている時、「付き合ったらがっかりして冷めそう」だとは思っていないものですよ。逆に「今すでにがっかりなところがあるのに冷めないから、付き合いたい」と思うものです。

鼻毛が出ていても、付き合いが地味でも、恐ろしく平凡でも、白髪が出てきても、意外とボケていても、ただのおっさんに対して冷めないどころかまたさらに愛しく思うのです。

だからもしかしたら、あなたにとって彼は『片思い』をしたい相手だったのかもしれません。もしもそうなら、目的は果たせているのかもしれませんね。

自分にすでに暴かれているの自分の本音を、ひとつひとつ丁寧にひろって、認めてあげてみてください。

相手の方はあなたにその気がない。形だけだとしても一応フラれていることを含め、事実を一度受け止めてみましょう。今あなたと彼とが付き合っていないのは、本当に、あなた側に付き合う”覚悟がない”ことだけが原因なのでしょうか。

◯あなたは自分の理想の恋に恋をしているのではないか
◯あなたにとって彼は本当に、葛藤を超えながら互いに協力して関係を育てていきたい相手なのかどうか
◯そもそも彼はあなたと恋がしたいのかどうか
◯この先も、片思いを続けることが本当に自分のしたいことなのかどうか

考えてみてくださいね。
このあたりについて、答えが出たりきっぱり覚悟がついたりすると、現実が転じて、今後彼との間に想定外な展開を見るかもしれません。
この先を楽しみにしながら、取り組んでみて。

さて、今日はここまで。
それではまた、明日ね!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)