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1018/1096【意識の旅】”すべてはひとつ”という観点

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1018日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

1018日目。この毎日投稿で、これまでに何度か、文を短く書けるようになることに挑戦してきたのだけれども、これがなかなかに難しい。わたしは初めのうち、書いたあとにもう一度見直して、自分の思考を整理して、伝えようとしていることのコアをはっきりさせて、削除したり修正したりするということを何度もする必要があった。これを一生懸命やっても、少しずつしか鍛えられていかない。単純に添削が面白いし、悔しさのために心も燃えるのだけれども、同時にしっかりと努力が必要だ。これは今もまだまだまだまだ未熟で、一生磨いてみたいと感じることだ。

わたしは書き始めると大量に書いてしまうのだが、それはかの無敵の「おばちゃん性」みたいなものなのではないだろうか。おばちゃんwith電話、おばちゃんwith近所の人、おばちゃんwithドリンクバーなどで見られる、話し始めるとずっと話してしまう、あれのことである…!げに恐ろしきかな…!!

大量に書いたものを見直すときというのは、そのおばちゃんが自分がヤーヤー話しているのを録音しておいて自ら聴き直して、「すません…ここ…余計やったわ…」「やや…同じこと繰り返してもたわ…」とダメ出しをするみたいなもので、気恥ずかしく情けなく、自分で自分に呆れる。

でも、やらないでいるのはもっと恐ろしい。だからやるしかないのである。

この毎日投稿も、オラは怠け者の三日坊主だァ~んとだらけているのがいい加減嫌になって、なんとかしないでいる方がもっと辛くなってしまったから、一念発起してやり始めることができた。ある意味で、マジの怠け者期がなかったら、今もこれを書いていないと思うと面白い。

文章をだだだだーっと書いてしまうのも、超怠け者だったのも、それぞれに徹底してしまうことでやっと、反対側に振り切ることができたのだと思う。だから、これは良くないな、と思うことがあるのだとしたら、一回それをぶっちぎってやりきって、「んもぉ~~~~やってられるかあああ!!」という波がやって来たときに、反対側にぶっ飛ぶのも良きことだと思う。そういう経緯でしか、振り切れないものってあるものね。

だからね、なんか悪い男にハマっちゃう人とか、サボるのをやめられない人とかに対して、本人が徹底してそれを追っていくのを、止めてはいけないときがあるものだと心から思う。その人の向かう先を、勝手にジャッジしてはならないと思う。それはその人に必要なプロセスだもの、それは素敵なのだ。わかった気になっちゃいけないと思う。そこに、心から喜んで注意を払っていきたい。そう思えることが、自分でも心温まって嬉しい。

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わたしたち地球人は、同種の生物です。
チーム・地球人の仲間同士です。イェイ!
俺らはこの惑星でいちばん大きなチームの、チーマーなのです。笑

このチーム・地球人は、それよりもっと大きなチームの小分隊です。
それは、チーム・霊長類です。ゴリラやチンパンジーもメンバーです。

それはまた、それよりも大きな、チーム・哺乳類の小分隊。ここでは猫や牛もメンバーです。そしてそれはまた、それよりも大きな、チーム・動物の小分隊。ここでは、わたしたちも軟体動物も節足動物も、メンバー同士です。

このチーム・動物も、それよりもっと大きなチームの小分隊です。
それは、チーム・地球上の生命体です。動物や昆虫や魚類だけでなく、植物や菌類などを含む地球上の生命体が、みな同じチームのメンバーです。違う能力を持ったメンバー同士が、この地上の生態系を一緒に担っています。

このチーム・地球上の生命体は、さらに大きなチームの小分隊です。
それは、チーム・宇宙の生命体です。異星人などとも、チームメイト同士です。みなでこの宇宙のバランスを作っています。

このチーム・宇宙の生命体は、さらにもっと大きなチームの小分隊です。
それは、チーム・宇宙の構成物です。巨大、尊大、壮大です…!

こうなってくると、ヘアピンとか目薬とかショウリョウバッタとかどこかのガスの惑星などが、みな宇宙の構成物としてのチームメンバーだということになります。

ではここで、風はどうでしょうか。
温度はどうでしょうか。
声はどうでしょうか。
これらはチームメンバーでしょうか。

感覚的には、それらは物ではなくて”現象”だから、違うのでは?と思ってしまいますよね。けれども、考えてもみればヘアピンも徐々に古くなっていて、変化し続けている現象です。ショウリョウバッタも、死に向かって変化し続けている現象です。わたしたちも、そのメンバーなのです。

さてこうなってくると、それではわれら地球人も現象ということになりますね。わたしたちひとりひとりも現象であり、それらは”地球人というひとつの現象”を支えています。そしてそれは、チーム・カナブンやチーム・朝顔などとともに、もっと大きな現象を支える現象のうちのひとつです。小分隊があつまって、より大きな現象を作っているのです。

それら小分隊も常に変化している現象なのですが、これを踏まえると、わたしたちを含むなにもかもは、チーム・現象とも言えてしまいます。ヨォ!俺ら互いにこの宇宙を構成している現象同士だなァ!という事になってきますよね。さて、ここからまとめに入れるかしら。大丈夫かしらアタシ。(不安

現象どうしは互いに支え合っている。つまり影響しあっているので、これはちょうど、胃と頸動脈とか、舌と脳のように、別々の器官でありながらも互いの変化が他人事ではないのとおなじなのですね。たとえば頸動脈が切れたときに、胃にはまったく関係がないということはなくて、血液が減っていけば胃の機能も落ちますし、たとえば出血多量が起こったら、頸動脈だけが死ぬのではなくて、胃だって生きられないのです。

これと同じように、なかなかそうは見えないとしても、生命体・非生命体・物質・非物質含めすべてのチームメイトは、互いの変化で影響しあっています。この世界のものが、なにひとつ”他人事”ではないと言えてしまいます。

たとえば今わたしのこのパソコンデスクに置いてあるヘアピンが無くなっても、わたしにはミクロの影響すらもないだろうと思ったら大間違いなのです。もしもそのヘアピンがデスクに置いてあったら、あとで娘がやってきて、見つけて使ったかも知れない。けれどもデスクにおいていなかったら、まっすぐにわたしの鏡台の引き出しを開けてヘアピンを探すかも知れない。そしてすぐに見つからなくて「マンマ、ヘアピンどこ?」と訊くのかも知れない。それによって、わたしは文章を書いていた手を止めて、ヘアピンを渡すのかも知れない。さてパソコンに戻ってきたら、もうその書こうと思っていたフレーズが思い出せないのかも知れない。こうして、小さな現象はすべて、わたしたちの世界を常にシフトさせています。

このことへの理解には、ヘアピンだけのことを考えるのよりも、抽象度の高い観点を必要とします。

(※高次元のほうが、低次元より偉い、素晴らしい、と思っている人がいますが、それは誤りです。おなじく、抽象度が高いことが、抽象度の低いことよりも、偉かったり上だったりするわけではありません。喩えるなら、抽象度が低いというのは、木を一本一本観察するということ。抽象度が高いというのは、森というひとつの現象を観察するということ。木の一本一本を見るときは、情報量を増やして抽象度を下げて観察しますし、森全体として見るときは、情報を減らして抽象度を上げて観察します。喩えると、顕微鏡で見るのか、衛星写真を見るのかの違い。どちらに偉いも偉くないも、上も下もありませんね)

(※ちなみに、なぜ抽象度が低いと情報量が多く、高いと少ないのでしょう。これは、一本一本の木を特定するには、その木の存在する森の位置や名称に加えて、その一本の木の種類や座標や状態が情報として必要なのに比べ、森全体だけを特定すればよいときには、森の位置や名称で済んでしまい、一本一本の木の名前などの情報が不要であるからです。誰かひとりの人の身体の各組織を特定するには、これがたとえば東京都葛飾区に住む亀有公園前派出所に勤務している両津勘吉さんの胃だ、腸だ、眼球だ、という情報が必要ですが、単により抽象的にしてもっと大きなカテゴリで「日本人男性の胃、腸、眼球」を観察しようと思ったら、個人を特定するための情報がいらなくなりますよね。より広く大きく高い位置からの観察をする際には、詳細が不要となり、情報量が減るということです。)

わたしたちは個々に分かれた存在なので、ついつい互いにまったく関係がない、あるいは影響などないと思ってしまいがちです。もちろんそう考えるのが、生きる上で妥当なこともたくさんありますね。地上で生きるには、抽象度を低くして観察するのが必要なことが、たくさんあるからです。たとえば日常の抽象度で言えば、近所のおっさんは、明らかに他人です。けれども、抽象度を上げれば、わたしたちはまぎれもなく大きな親類で、人類全員が兄弟で家族です。動物や昆虫だってそうなのです。わたしたちは互いに、他人事ではない現象同士なのですね。

この「互いに影響しあっている現象同士である」ということを言い換えてみると、あなたのいかなる変化にも、それ以外の宇宙の構成物チームのすべてのメンバーはそれに呼応して存在しているということができます。そしてまたあなたは、あなた以外のメンバーのすべての変化に、完全に呼応して存在しているということ。なんということでしょう!

さすれば、わたしたちは、互いに切り離された存在なのでしょうか。

ここから切り込んで考えてみると、”すべてば完全に一体だ”と、ロジカルに考えることができます。これは、ワンネスの感覚の入口となる一視点であり、とてもよい思索のもととなるアイデアです。

この観点を持って、日常を送り、世界を観てみましょう。外の花は、道行くおじさんは、工場の煙は、遠くに見えるあの星は、あなたに完全に呼応して存在しています。また、あなたもそれらのすべてに完全に呼応しているのです。日頃の抽象度でしか見られないと、なかなかそうは思えませんけれどもね。こうして世界を見るようになると、わたしたちは、自分がこれまでとは違ったところに着目しはじめることに気がつきます。今までにはまったく切り取ってこなかったものの見方が浮き上がってくることに気がつきます。それはその瞬間ごとに、あなたの世界をシフトしていきます。

するとやがてそのバラバラの点と点だった情報はつながっていき、あるとき突然に、統合されたひとつの全体像となって、すべてがひとつであるという目覚めとなるのですね。

こうした観点を得るのが好きな人…木を見るだけでなく森も見てみたい人、あるいは地表だけでなく衛生からの写真も見てみたいという趣味趣向の人は、よければこの記事の要点について五感を巡らすことを、たくさんしてみてください。しつこめに、ネチネチと、なんども考え反芻し、思いを広げて意識の旅に出かけてみてください。夜空を見たときに、そこに見える星たちが自分と互いに影響しあっているのだと思い出してみてください。そこでふんわりとあなたが感じること。信じられないような気持ち、不思議で理解できないという思い、なんだかうっすらと感じられる感動…それです!それを大切にしてみてね。そうした経験を重ねることは、あなたを雷に打たれたかような目覚めの体感にいざないます。ワープして早く観点を得たい人は、怒涛のワンネスワークを体験する、秘行の上級コースまで進んでみてね。笑

というわけで今日は、わたしたちの世界のさまざまなものを単位ごとに減少だと考えるところからワンネスに触れる統合までについての、わたしの好きな観点のシェアでございました。あまり好んで読まれる方がいないような気がしながらも、そこも面白みと捉えてアップしたいと思います。

それではまた、明日ね。




毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)