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728/1096 信じたいことを信じるには?

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で728日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

728日目。昨日から体調が狂っているけれども、これで愉快な絶好調。今日も自分をいたわりながら、生きるのみである。

今日の朝、飲み物を飲んだときにむせた。するとわたしの身体はいつものように、気管に入りかけている液体を外に出そうとして盛大な咳を起こした。わたしはそれをただただ眺めて淡々とやり過ごしていながら、自分が1ミクロンも苦しんでいないことに気がついた。

みなさんがもしむせることがあらば是非試していただきたいのだけれど、「これが終わって欲しい」「早く良くなれ(田村正和風)」という思いと一体化すると苦しいのだけれど、「へえ~」「ふぅ~ん」と身体の反応を見守っている側に居れば、むせることくらい辛くはないのだ。「この身体、咳してんなあ」「液体が出てきてるなあ」「しつこいなあ」などと思ってみて!

そんな自分は今日も、毎日投稿を書いている。今日もせっせと書いてんなあと思いながら。しかし幸せだ!!壇珠さん、しかし幸せだ!!と思っているなあ。よかったね。

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今日は、いただいたリクエストのひとつにお答えしてみようと思います。

壇珠さんに聞きたいこのリクエストなのですが、「投稿を見てくれたの運がよくなります。幸せになります。」的なことを書かれていますよね。 それは本当だなと私は実感しています。それは、どうやってそうやるのでしょうか? 私も誰かにそのようなハッピーシャワーが伝わる文章を書きたいと思っています。 差支えなければ、投稿などに描いていただけたら、うれしいです💛 それでは。

この質問者さまをわたしは存じており、天使のようにピュアなお方です。それなのに人格の薄っぺらいわたしは、これを読んで正直ツッコミどころにばかり目が行き、「あなた自身をナメちゃいかん」と思っています。

なぜ質問者さまはわたしの書いたことを「本当だ」と実感されたのでしょう。その理由が質問者さまにとっての大切な答えだと思います。それこそが質問者さまにとっての正解です。

わたしはいつも自分の投稿を読んでくださるお方の運気上昇とあふれるほどの幸を、本気と書いてマジと読んでいただきたいのですが、本気でお祈りして書いています。自分と他人に境界線はなく、我らはひとつなのだから、それが「誰のためなのか」ということを考えていません。ただそれにより自分がいつも花の子ルンルン(45歳)でいられるのでそうしています。

自分の書いたものを読んで、ものすごく嬉しくなったり溌剌としたり笑えたりスッキリしたり感動したりして勝手に自己満足に陶酔して(恥)、「よっしゃ~書いてよかったぜ~!!」とガッツポーズしてご機嫌でいます。

そうした喜びをいつも感じていられることが運気上昇そのものです。

この世界のすべてのものには周波数があって、それは互いに引き合い、影響しあっています。わたしはそこにいつも意識があって、だからこそ自分が心から嬉しくなるようなものを発しています。それがどなたかにとっても良い影響となるのを、バチクソ当たり前のこととして信じきっています。だからこそ、「運が上がりますよ」と堂々と書いています。

これはもちろん、わたしのやり方です。そして、わたしの書くものを読んで「なに言ってんだこいつ、頭おかしいわ」「つまんなすぎ」「長くて読んでらんない」「ウザ・キモ・死ね」と思う人もいるのだと思います。それもまた真実で、もうそこは、しゃーないと思っています。わたしも自分のことを同じように思うことがあります。ウザいとかキモいとか…

質問者さまの喜びがどこから発生し、どうすれば他者の運が上がると信じられ、どうすればそこから発信できるのかを、わたしが考えてアドバイスすることはできないのです。ましてやそれは、わたしが文章の書き方なるものをお伝えすることで左右できることではないと思います。

「読み手の方にハッピーシャワーを伝えたい、そのやり方を訊きたい」と考えるとき、質問者さまはご自分を頼りないのだと感じているのだと思うのです。それは、なぜなのでしょうか。どういう人の発信ならば、それができていると感じられるのでしょう。それを書き出してみてください。そこに出てきたものは、質問者さま固有のものですよね。それを大事にしてください。なにがでてきますか?

人によっては、「まずは自分で自分にハッピーシャワーを浴びせられなくちゃできないことだ」と思うのかも知れません。また、人によっては「影響力が必要だ」と思うのかも知れません。あるいは、「文を書くことに慣れよう」「自分で自分のことを最高に運がいいと思えなきゃな」などと思うのかも知れません。

質問者さまなりのそれを、ひとつづつ楽しんでクリアしていくことだと思うんです。何事もそうですが、頼れるところならばどんどん人に頼ればいい。でも、やるのは自分です。気づくのも自分、感覚を掴むのも自分、信じるのも自分ですよね。わたしたちの行動のうち、『誰かが代わりにやってあげられないこと』、それを自分のものにして覚悟を決めてやることが、自分を大切にするということだと思います。

わたしたちには、自分の信じたいものを信じる力があります。信じたいことを、「そうなのだ」と決めるんです。信じたいことが信じられないというときは、わたしたちが自分の意志を使っていないときです。

信じるのって自然に起こることだと思ってしまいがちですよね。だから「いつ信じられるようになるのだろう」「外側の環境が整えば信じられるのに」と思ってしまいがちですが、チッチッチッ、そうではなくて、自分でやることなのです。Beは自然には起こりません。ただ待っているだけだと、むしろわたしたちの脳の構造上、不安のほうが増します。望むBeは、Doで起こすことなのです。

信じる、は動詞です。ごちゃごちゃ疑う自分を「言わせておこう」と決めて、キリッと潔く信じる。信じている(仮)の状態を作る。そうすると場合によってはものすごくそこにバランスしにくくて怖いし、不安になりますよね。そういうとき、自分のそれはしゃーないのでひーひー言っていればいいのです。ひーひー言いつつも、決定事項は決定事項です。自分上官に逆らわない。「うああ怖いよぉ~~」と思いながらも、姿勢と表情だけはキリッと敬礼している兵隊と同じです。

ちょっと幼稚に、ちょっといつもの賢さを捨てて、開いて受け入れて、自分の決めたことを決定事項として尊重するのは「意志」の力です。小さい子どもが、「わたし今お姫様なの!」と言うときのように。そういうときの子どもに「いや実際はお姫様じゃなくない?」と言うと、「違うもん!!お姫様だもん!!」と返ってきます。お姫様(本物)ではなくお姫様(仮)とわかっていても、その姿勢は崩しません。お姫様ごっこに興じているからです。

質問者様が伝えたいことがあるのなら、それが伝わるときを勝手に思い描いて勝手に実感して楽しむ。そこに興じてください。それでどんどん遊んでください。

叶えたいことがあるならば、目的地さえ決まればあとは移動だけだと考える。そして移動の準備をする。移動中のトラブルにも対処する。でも目的地は決まったのですから、そこに向かうのですよ!!「それさえやればいいのだから叶ったも同然だ」と考える。

自分に足りないものは自分がわかっている。自分の欲しい物も自分がわかっている。ならばそれをナビゲーションにして、「わたしにも自分なりのやり方でやれるはず!」と決心できたとき、あなたはそれができる人なのです。さあさあ、生きる時間はどんどん減っていくのです。できると決めて、思いっきり遊んでみて!!

というわけで今日は、どうすれば他者が読んだときに「読めば幸せになる」と信じられるような文が書けるのかというご質問への、わたしなりの本気と書いて(略)の回答でした。叶えたいことのある人へ、必要なところへ、飛んでいきますように。

それではまた、明日ね!!

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