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16歳の北海道一周旅行記 #3 道東横断修行300km編

北海道上陸

天気が悪かったにもかかわらず、さすがの総トン数9483tの大型船はほとんど揺れなかった。朝5時に船内放送で目覚め、船内の大浴場で朝風呂に入り、昨日の疲れを癒やした。船が進むのに合わせて音を立てるお湯に浸かり大きな窓から見えたのは、重く落ちそうな曇天と雄大な太平洋である。風呂から上がり、甲板に出る。海風にあたり身体を冷ましていたが、塩水が霧状に飛んできて風呂に入ったことが文字通り水の泡と化した。ふと前方に目をやると無機質な灰色の大地が水平線上に小さく浮かんでいた。苫小牧港である。船は定刻通り午前6:00ちょうどに北海道・苫小牧に着岸した。

「シルバーエイト」の船尾と曇天の太平洋
水平線上に苫小牧港を望む
苫小牧港に入港

苫小牧には2つのフェリーターミナルがある。「苫小牧東港」と「苫小牧西港」である。東港は苫小牧の中心部から西港と比べてかなり離れており、近くには日高本線の浜厚真駅が位置する。秋田と苫小牧を結ぶ「新日本海フェリー」などは東港に着岸する。幸いにも僕が乗った船は西港に到着した。
コンテナ取り扱い量で北海道内ダントツの1位、日本国内でも10位に入る苫小牧港とそれに合わせて発展した苫小牧市は北海道内の交通・物流の要衝である。それを体現するように港のコンクリートの上にはコンテナが積み木のように大量に置かれ、大型船舶とトラック、貨物列車がひっきりなしに出入りしていた。フェリーターミナルから路線バスに乗り苫小牧駅に到着したのは6:30頃だった。時間の概念を失った多くの他店舗と違い律儀に開店時間を店名に合わせている駅ナカのセブンの開店を待って朝飯を買う。

苫小牧駅南口

帯広へ

苫小牧駅から、十勝平野の中心・帯広を目指す。札幌を7時58分に出る特急おおぞら号帯広行にのりたいのだが、二通りの方法があった。一つは、千歳線に乗り南千歳に行きおおぞら号に乗るルート。もう一つは室蘭本線にのり追分駅でおおぞら号に接続するルート。どちらのルートを選んでも帯広につく時刻は変わらないのだからと、特に考えもせずより田舎のローカル線じみた室蘭本線の気動車に乗った。千歳線の方にやってきたのは札幌経由手稲行の通勤電車であり、北海道にきてまで毎朝の通勤ラッシュを再現したいという頭のおかしい嗜好は持ち合わせていないのである。
しかしこの選択はおおいなるピンチを呼んだ。

苫小牧駅
室蘭線追分行き普通列車

苫小牧駅を出発して、右手に貨物駅と先ほど降り立った苫小牧港を見つつ進む。しばらくしてから皿に残りしちぎれたパスタこと日高本線と別れ、沼ノ端駅でさらに札幌方面へと向かう大幹線、千歳線が分岐していく。ここから先の室蘭線は地域輸送に徹するローカル線である。遠浅、早来と駅前に住宅地が広がる以外はほとんど森と畑の中を音を立てて進んでいく。田舎の風景は癒されるものだ。深緑と古くてふかふかの座席、ゴトゴトとうるさくも心地よい鉄道の音、ゴンといった鈍い音
鹿との衝突である。北海道の鉄道はよく鹿に衝突すると聞いていたが、まさかここまでとは。北海道の鉄道に乗って15分での鹿との衝突がもし偶然でなく確率的に全く不思議でなくむしろ自然な物であったとしたら、僕の10日間の旅行で鹿と衝突する回数は3桁をゆうに越すであろう。奪われてしまった鹿の命に黙祷を捧げつつ、再出発を待つ。車内放送によるとどうやら今は鹿の死体を線路からどけている所らしい。運転業務と共に鹿の死体運搬を日々こなす運転手の心労は察するに余りあるが、追分での接続には時間がない。早速の旅程崩壊の恐れに少し焦りを感じていたが、運転手も慣れているのだろう、15分後には解決したようで静かに走り出した。
8時25分、室蘭線普通列車は定刻より20分ほど遅れて追分駅に到着した。

追分駅構内
追分駅構内

「追分」という名前は日本全国に分布しているが、そのほとんどに共通しているのは「重要な分岐点」であるということである。ここ北海道・追分駅も例に漏れず、札幌方面から千歳線と別れ十勝・道東を目指す石勝線と、長万部から苫小牧を通り岩見沢を結ぶ、古の大幹線室蘭本線の交点に位置している。昔は石炭輸送などでかなり栄えていたようだが、今では人も列車も少なく、ただ無意味にだだっ広い駅構内だけが当時の面影を伝えている。
8時40分、帯広行きの特急列車が到着する。「彼女」こと「HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス」は特急列車にも乗れてしまうのである。(指定席は4回まで。)列車は体を芋虫のようにくねらせながら北海道の背骨こと日高山脈を越える。特に狩勝峠の辺りは線路の形がまるで僕の成績表の折れ線グラフのように曲がりくねっている。視界がひらけ、十勝平野に飛び出す。そして、石勝線終着・新得駅に滑り込む。新得駅からは根室本線に移る。

おおぞら号車内から

新得駅から伸びる根室本線は、災害の影響で新得駅から東鹿越駅の間で不通になっている。この区間は廃止予定区間として発表されている。つまり、近いうちに新得駅から落合駅方面の線路は無くなってしまうのだ。そういった意味で今回撮影した新得駅の駅名標は貴重なものとなるだろう。
根室本線は、十勝清水、御影、芽室と十勝平野のどこまでも広がる肥沃な大地にポロポロ駅を垂らしつつ、ついに帯広市街へと足を踏み入れた。全国へ向けて農作物を運搬する一大拠点・帯広貨物駅をすぎると、高架橋に登り帯広の住宅地を眺めるようになる。そして、10時39分、帯広駅に静かに停車した。

帯広駅に到着

肉・甘味・競馬場

帯広市は人口約16万、先日釧路市を抜いて道内5位になったとはいえ、さほど大きな市でない割には、驚異の食料自給率約1100%で日本の食糧事情を支える十勝地方の、カネ・ヒト・モノが集積する中心都市として全国的にも存在感を発揮している。また道内住みやすさランキングでは札幌を抜いて首位に輝いていて、現に駅前には商業施設や図書館が建ち元気な街という印象を受けた。
小一時間ほど帯広駅前を散策した後、昼飯をたべることにした。もちろん豚丼、当然、豚丼である。これは自論だが、帯広に来て豚丼を食べないのはサイゼリヤに行って辛味チキンを食べないほど常軌を逸した所業である。

豚丼

本場で食べる豚丼はタレと豚肉の旨味が最高にマッチしていて、東京で食べる豚丼と同じくらい美味かった。
続いて向かったのは六花亭西三条店である。帯広駅前にも六花亭は存在するが、大きな喫茶室が併設されているとのことでそこを選択した。 頼んだものの細かな味や名前は忘れたがかなり美味しかったことだけは記しておく。

アイスコーヒーと謎の美味いやつ2品

さらに一階にある売店で六花亭と言ったらコレ!のマルセイバターサンドを4つ買い、2つ食べました。残りはいくつでしょう。

腹が満たされたら、次に行くところは決まっている。そう、帯広競馬場である。ここは北海道に4ヶ所ある競馬場のうちの一つで、かつ世界で唯一のばんえい競馬場である。ばんえい競馬とは、馬がそりを曳き土を盛り上げて作られた障害を越えるという競走である。なんといっても見どころは障害を駆け上がる馬の力強さだ。しかし当日はやっていなかった。これを見に帯広までやってきたと言えるほど楽しみにしていたため、割とショックを受けた。バターサンドを一つ食べて、自分を癒した。残りはいくつでしょう

帯広競馬場 漫画『銀の匙』は名作

十勝平野を抜け、西へ

さて、帯広駅に戻ってきた。今夜の宿は釧路である。そのため釧路に向かう必要があるのだが、寄り道をしたい場所があった。豊頃町にある、「はるにれの木」である。しかし豊頃駅は特急が止まらない。どう接続を考慮しても帯広駅から釧路駅まで、普通列車で行くことが確定してしまったのである。僕が持っているのは青春18きっぷなどという遅い列車しか乗ることの許されない紙と違い特急にも乗れる切符なんだぞ、そう主張しても仕方がない。
15時12分、根室線普通釧路行き、一両の気動車は旅行客と地元民を50:50くらいで詰め込んでから発車メロディを鳴らした。帯広に一別を告げるように警笛が鳴り、釧路に向けて鉄輪を回し始めた。

釧路行き普通列車 帯広駅にて

さすがの帯広市街地も帯広川を渡ると家がまばらになり始め、札内、幕別と帯広のベットタウンに駅をばら撒く間に車窓はすっかりと典型的な十勝平野の風景になってしまった。
全国6位の流域面積を誇る十勝平野の創造主・十勝川を渡り、一両の気動車は池田駅の異様に長いホームに腰を下ろした。ここ池田駅で、この列車は35分の長時間停車を行う。理由は謎である。
池田町といえばワインだ。駅の裏手には池田ワイン城という有名な観光地があるが、そこまで行く時間は無いし、そもそも僕は遵法精神をもつ立派な未成年なので、駅前の商店でぶどうジュースを買った。砂糖が入っていないせいか甘みはあまり感じず、代わりに葡萄の芳醇で深みのある味わいだった。合法的に池田町ワインの美味さの片鱗を味わった気がした。

池田駅の異様に長いプラットホーム
池田駅舎とジュース 8月ながら寒いので長袖

16時15分、発車1分前に慌てて乗り込んだ不恰好な僕を乗せて釧路行き普通列車は動き出した。はるにれの木の最寄り・豊頃駅まではたったの15分である。列車は池田ー豊頃駅間の唯一の途中駅・十弗駅に到着した。十弗の「弗」はアメリカ他の通貨単位ドル($)の漢字表記である。それゆえホームには大きな10ドル札の看板と「10$持って旅に出よう」の文字が。なんと個性溢れる駅なのだろうか。
ちなみにこの記事を書いている現在、急激な円安の影響があってなお10$は日本円で約1400円なので帯広までの往復すら不可能である。

十弗駅

豊頃町・はるにれの木

16時30分、豊頃駅に降り立った。虫けらの居場所と化した無人の豊頃駅舎を抜け、民家が数十件建つ典型的な北海道の町村に降り立った。ここ豊頃町は十勝川により市街が2つに分け隔てられていて、町役場などは駅から豊頃大橋を渡った先にある。

豊頃駅と去りゆく汽車
豊頃駅

十勝地方を開拓する際、十勝川を河口から遡上するように開拓が行われたため、十勝川の河口を擁し十勝川のほとりに街を構える豊頃は、「十勝地方発祥の地」と言われる。そんな豊頃町のシンボルであるはるにれの木は十勝川の川岸にあり、駅からは歩いて30分ほどの距離だ。僕はもちろん徒歩を覚悟していたが、駅前に豊頃町コミュニティバスが止まっているのを偶然にも発見し、載せていただいた。町の規模に見合ったハイエースのバスは、僕をはるにれの木近くまで運んでくれた。途中運転手の方に豊頃のことや、これから行く釧路の歴史など興味深いことを聞かせてもらった。16時50分、バスを降りた場所から少し歩いてはるにれの木に到着した。歩いている途中、いつの間にか空には晴れ間が広がり、ほんぱち君(#2参照)は出番がなくて寂しそうであった。

はるにれの木

はるにれの木は日本の古木が一体化してできていてる。その美しい形からテレビなどでも話題になり、更には寄り添う木の様子から、全国に無造作に数多く分布する「恋人の聖地」のうちの一つでもある。その推定樹齢は140年。豊頃の地に現在の町村役場の原型である戸長役場が設置されたのが1880年と140年前であるため、まさにはるにれの木は、雨に、風に、厳冬の吹雪に、十勝川の氾濫に耐えながら、ここ豊頃町と共に育ってきたのだ
きっと夏でなくとも、他の季節でも美しい表情を見せてくれるであろうはるにれの木を後にして、豊頃駅まで戻ってきた。僕はすっかり豊頃の地を気に入ってきた。歴史や自然がゆたかで、人々も僕のような余所者にとても親切にしてくれた。豊頃町に恩返しをする意味でも、またこの素晴らしい町の魅力を伝える意味でも、自らの小さな小さな発信力を自覚しつつもここで宣伝をさせていただこう。決してステマではない。

豊頃町。十勝川のほとりに根差し、木に縁りて、自然と共生する町。観光地としては、豊頃とともに育ちしはるにれの木や、冬になると、極寒の中で母なる川・十勝川からの氷が海岸に打ち上げられて美しく照らされる「ジュエリーアイス」などがある。帯広までは電車・車双方とも40分程度と最適な距離。また、現地へ行くだけでなく、豊頃町のふるさと納税では、じゃがいもをはじめとした十勝の農産品が手に入るため、こちらもぜひ利用してほしい。

釧路へ

17時30分、豊頃駅に帰ってきた。愛すべき町に別れを告げ、汽車を待つ間、マルセイバターサンドを一つ食べる。残りはいくつでしょう。正解は0個である。釧路に着いた時、マルセイバターサンドがもう残っていないことに気づき戦慄した。
17時45分、釧路行きの一両の普通列車は、豊頃駅で若者一人を乗せて、釧路への長い道のりを何事もないように再開した。
浦幌駅を過ぎると、汽車は十勝平野に別れを告げ白糠の峠越えの区間に入る。信号場で10分ほど停車したので、なんだろうと車内をうろついていたら突然貨物列車が通過して耳が裂けた。どうにもあの爆音は苦手である。
厚内駅を過ぎると海沿いを走るようになる。薄明の空と、またも荒れ始めた北太平洋。やがて夜の帳が下され、窓に反射して写る自分と目が合うようになる。馬主来(パシクル)沼を過ぎ(どうしたら馬をパと読むのだろう)、白糠駅で15分ほどの停車を行う。小さな車両の外に出て、外の空気を吸う。道東の涼しく澄んだ空気が肺に入ってきて心地よい。

白糠駅

これまたなんでそう読むねん駅名の大楽毛(おたのしけ)駅を離れるとついに釧路市の市街地である。安直な名前の新大楽毛駅、日本最東端の貨物駅が併設されている新富士駅と止まり、新釧路川を渡ると住宅の明かりが大きく広がりビルも立つようになる。道東の中心、釧路に到達した。

3日目の夜

20時ちょうど、釧路駅で下車する。建築技術が低い時代に作られたせいか柱の多いおかげで歴史を感じる、釧路駅のホームには、厚岸行きの気動車が停まっていた。僕は釧路で宿泊するが、彼はこれからまだ東を目指すのである。歩きだったら絶対に行かないような場所・時間に行ってしまう、鉄路というものの偉大さを思った。

釧路駅構内
昭和が染み出る釧路駅舎

釧路の駅を後にし、大通りをホテルに向かい歩く。廃れていくという話をよく聞く釧路だが、確かに廃ビルは目立つものの、街には煌々と繁華街の光が目立ち、人通りもまぁまぁある。腐っても都会だなと感じた。

8月の北海道七夕を祝う夜の釧路市街

近くの居酒屋で中華料理を食べ、アイスを買ってからホテルにチェックインした。二夜ぶりのまともな寝床である。こんな年齢ながらも少ない予算でギリギリの割といいホテルを選んだ。釧路の夏はかなり涼しく、そんなホテルでも冷房は設置されていなかった。実際、街を歩くときから寝る時まで常時長袖でも不快感はなかった。2日分の疲れを癒すために、また明日の早起きに備えるためにも、ベッドに入ってすぐに目を閉じた。

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