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顔が見えなくても匿名でも、人間関係は言葉だけでも紡がれる

きのうのエントリーで、毎日のように顔を合わせるけれども挨拶しかしない、名前も知らないマンションの管理人さんとの関係について書きました。

今日はその逆というか、会ったことも声を聞いたこともないけれども言葉のやりとりだけでも相手との信頼関係は構築できるという話。

20年前、インターネットでの出会いは敬遠されていた

今でこそインターネットやSNSで知らない人と繋がるのは不自然なことではありませんが、かつては「インターネットでの出会い」というのはネガティブな印象がありました。匿名性が高いだけでなく、おそらく世の中全体がインターネットについてあまりよく理解しておらず、わからないがゆえに敬遠していたという背景もあると思います。

20年以上前、 私がまだ大学生だったころ。スマホはもちろん、SNSという言葉もまだなかった時代です。インターネットへの接続はピーヒョロロロ…の音とともにダイヤルアップで行っており、パソコンも一人一台というよりは一家に一台が多い家庭が多かったと思います。

時間が経つにつれ、インターネットは爆発的に広まりました。SNSの先駆けとしてmixiが席巻したものの、インターネットを出会いの場として利用する人は限定的でした。マニアックな趣味を持つ仲間とか、今ほどオープンではない意味での出会い系とか、あるいはアングラ系とか18禁とか。インターネットでの出会いはどことなく後ろ暗い印象がつきまといました。

リアルな日常と関係のない人たちだから、心を許せる

私は大学生の頃からインターネットで知り合った人たちとよく遊んでいましたが、友達から「何の知り合い?」と聞かれてインターネットで知り合ったとはなかなか言いづらかったのを覚えています。掲示板でのやりとりやオープンチャットがほとんどで、ハンドルネーム(HN)といわれる匿名でのやりとりでした。

インターネットで触れ合う仲間たちとは、学校の友達には話せないこと、話したくないこと、瑣末なこと、突拍子もないことなど、日常の人間関係には影響がないという気軽さによってどんどん仲良くなっていきました。いつしかその輪は広がり、サークルのような形でメンバーが固定し、オフ会からリアルな人間関係に発展していきます。

顔も名前も知らない、知っているのはHNと日々のチャットでのやりとりだけ。普段の私のことは誰も知らない。だからこそ、しがらみがなく、弱い部分もコンプレックスも含めて素の自分を出せる場所でした。

インターネットがない時代は、ペンフレンド(文通相手)が似たような関係だったのではないかと思います。今では個人情報保護の観点から考えられないことですが、昔は雑誌や新聞などに文通を希望する人の住所と名前が掲載されていました。当時から「自分の実生活とはかけ離れた相手とのコミュニケーション」を求める人は少なくなかったのです。

相手と距離があるからこそ、自分自身をさらけ出せる。そんな気軽だからこそ素直になれる感覚は誰しも感じたことがあると思います。

重要なのは顔が見えない相手であることを忘れないこと

インターネットだけでなくスマートフォンが普及した現代では、比較的簡単に見知らぬ人と繋がることができます。新たな人や世界との出会いは自分の幅を広げてくれますが、注意しなくてはいけないこともあります。それはとにかく「相手のことを知らない」ということを忘れないこと。

新しい出会いには新しい可能性があるものの、相手を不用意に信用しすぎないことはリアルなコミュニケーション以上に大切です。相手を知るために細かく丁寧なコミュニケーションを積み重ね、相手との関係性や信頼を積み上げていくことがさまざまなリスク回避につながります。

表面的な要素にとらわれず、あせらず丁寧に関係をつくっていくこと。必要以上に恐れることはありませんが、楽観的になりすぎないことは顔の見えないコミュニケーションにおいては特に重要です。

トラブルに巻き込まれないように自衛することは忘れず、新しい人間関係をつくっていくことは自分自身が豊かに過ごすための一つの選択肢だと思います。

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