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暑さ寒さも彼岸まで~彼岸花に何想う~

10月に入り、めっきり涼しく、というよりは、朝晩は寒いぐらいになりました。
暑さ、寒さも彼岸まで・・・とはよく出来た言葉だなぁと感じますね。
昔の人はホントによくわかっていた、ということなのでしょう。

そんな秋のお彼岸の頃には、必ず咲くのがこの彼岸花ですね。

お花にも、色々あって、人の手が全く入らなくとも、というよりは、人の手が入らないからこそ咲く高山植物のような花もあれば、人の暮らしと密接に結びついた里山に咲く花、もあります。彼岸花はまさに後者ですね。

また、春の使者とも呼ばれるカタクリの花も、自然豊かな場所に咲いているようですが、人の手が入らなくなった雑木林ではその個体数が減っていく、と聞きます。

そして、秋、収穫の頃を迎えた稲の周りに咲く彼岸花は、球根で分球を繰り返して増えてきた植物で、種で増えることはないそうです。

毎年欠かさず訪れている佐賀県伊万里市炭山の棚田
今年も、ギリギリ行ってくることが出来ました。


つまり、彼岸花は、昔から人の手で植えられて分布を広げてきた植物、ということになります。



それ故、人里にはあっても、山の中に自生はしません。決して、自然に咲くものではなく、その昔、誰かがそこに植えたからこそ、との風景と言えますね。

花の球根には、アルカロイドという毒があり、昔から墓地、土手、田んぼの畦に植えられたり、壁土の中に塗りこまれたりしてきました。
昔は火葬ではなく土葬だった為、遺体がモグラ等の小動物に荒らされていたことを考えると、墓地の周りに植えた、というのも納得です。
そういったモグラやネズミなどの小動物が、穴をあけたり、ものをかじったりする害を防ぐために植えた、と言われている一方で、実は、飢饉用の食糧(非常用保存食料)として植えたもの、とも言われています。

昔は干ばつや冷害など様々な自然災害を生き抜くため、身近な生活空間の中に非常用保存食料を備えていました。
塩蔵食品や、芋がらなどの燻製品、漬物などがそうです。更に、松皮、藁など。藁は土壁を作る時に入れる藁であり、それらを喰いつくすと最後に彼岸花の球根を食したと。
そこにアルカロイドという毒がある。
それで、どうしたかといえば、水に晒し溶解して毒を除いたともいわれています。

実際に、彼岸花の球根を食さねばならない程の飢饉があったのかどうかのかはわかりませんが、その球根を取りつくしていないからこそ、今でも、彼岸の頃になると、その赤い花を咲かせてくれているのだとも言えますよね。

球根に毒がある為、子供には、彼岸花を取らないように、死人の花だとか、忌み嫌われるような話をしていたのではないかとも想像できますが、実際に、以前、彼岸花の撮影をしていたときに、子供の頃、親から、彼岸花を取ってくると火事になるから絶対に取ってきてはダメだときつく怒られたと話してくれたご婦人がいました。また、小さな子供が、この花、取ったらダメなの?と聞いてきたこともありました。どこかの大人からそういわれた、と。

怪しげに真っ赤に輝く彼岸花の雰囲気が出せたかな、という一枚です

子供が誤って毒のある球根を口にしないように、という大人の優しい嘘だったのではないかと想像してみたりしましたが、彼岸の頃に咲く花、特に墓地に咲く花、ということもあって、日本では、不吉な花、というイメージにもつながっていて、だから、彼岸花を飾ったり、庭に植えたりしないで、というのもまたあったのだろうとも思われます。

そんな人々の暮らしと結びついた彼岸花、特に、稲と彼岸花の風景には、何か心惹かれずにはいられません。日本人にとってはとても大切であるお米の収穫を間近に控えているからこそ、というのもあるかもしれませんが。

海と棚田をバックに  Loc:長崎県大村市野岳町

前回の記事では、鉢巻山の彼岸花をご紹介しましたが、そこから少し下ってきたところにある、棚田と海と彼岸花の風景です。
この辺りには、こういったところがたくさんあり、そんな自分なりのお気に入りスポットを探すのもまた楽しいのです。
ここは、市街地から野岳湖に向かっていく途中にあるので、多くの方の目にも留まるようで、私達の前に、車を停めて撮影されていた方が何組かいらっしゃいました。



眼下に大村湾が見渡せる、本当に、とっても気持ちのいいところです。


そういえば、余談ですが、こちらにきてから、ホームセンターに”豊作カード”という年一回払いのクレジットカードがあることを知りました。

お米の専業農家であれば、現金の収入は年に一度、今の時期だけしかなく、今が一番農家にとっては嬉しい時だ、と実際に専業農家の方から聞きました。田んぼをやめて畑にすればお金をやるといって、田んぼを減らさせ、一方で、米が足りないと騒いだり、はては、コオロキ食とか・・・おかしいですよね、やっていることが。

最近我が家では、相方の職場の同僚からお米を一年分、買っています。


相方と同じサラリーマンですが、代々続いている田んぼを、自分らがやらなければ耕作放棄地になってしまう、でもそれはしたくない、とのことで、会社勤めをしながらお米を作っています。この辺りは、結構そういった家が多いですね。自分の代で終わらせたくないというその一心で、会社勤めをしながら田んぼを維持している、という。なので、収穫期になると、暫く会社にこなくなる人もいたりします。埼玉にいたときも、そういう人はいましたけどね。

その人は以前は、残ったお米はJAに出荷していたそうですが、JAは、全てのお米を全部混ぜて販売します。単一品種にはなりませんし、買上価格は、全て同じです。どんな品種のお米だろうが、全て同じです。そして、どんなに美味しいお米を作っても、他のお米といっしょくたになってしまうわけです。でも、その人が作るお米は、品種がちょっと特別で、味がとてもいいのです。収量も少なく、育てにくいお米ではあるみたいですが、美味しかったからまた欲しいと言ってくれる人も多いので、頑張って作り続けていると。

そんな中、この夏、コロナ禍が終わって、飲食店が通常営業になると、お米が足りなくなって、まだお米があれば分けて欲しい、と飲食店からの問い合わせが増えたと言っていました。なので、自分達が食べる分と、今年からは、欲しい人に分ける分だけで全部はけそうだ、との事でした。

自然栽培ではありませんが、農薬も化学肥料も使わない方がいいのはわかってはいますが、自分がその作り方を指導できるわけでもないので・・・
ただ、市販されるより安くて美味しく、しかも、一年中適切に温度管理されたお米用保存庫から、必要なときに、必要な分をすぐに持ってきてもらえるので、新鮮で美味しいお米が食べられるのが有難く、今年度もまた一年分をお願いすることにしました。

そういった方々の努力もあり、こういった景観も維持されている、といっても過言ではないと思います。




光を浴びて輝く稲と彼岸花の美しさを、夏の間、写真を撮る事を忘れていた自分を、写真を撮りたい、写真が大好き、という情熱を、蘇らせてくれるこの花を、ずっと見ていられる日本でありますように。


大村と伊万里と2日間にわけて撮った彼岸花を、取り纏めて紹介しました。

でも、まだまだ続きます(o^―^o)

読んで頂いてありがとうございます。ご縁に感謝します。頂いたサポートは、フィルム写真を今後も撮り続けていく活力や、美味しくて身体にも良い食を広めていく活動に使わせて頂きます。