ソレは私の全てではない。
私は、夢を仕事にした。
ずっと夢だった職業についた。
でも、その仕事を辞めることになった。
喪失感は、想像以上。
心が疲れて、会社に行けなくなって、休職した。
その時から、私があの職場に復帰することはないだろう。と、うっすら思っていた。
休職期間は、一年半。
そこで、自分の心の折り合いがつくと思っていた。
ここ数か月。新しい目標も出来、それに向けて少しずつ進んできた。
肩書を手放す心の準備をしてきたつもりだった。
今。全く準備できてない心に向き合っている。
自分の価値が『ファッションデザイナー』にあるという呪いから抜けられない。
私の全てではない。
でも、大半のように感じる。
その理由は、小学生からファッションデザイナーになるのが夢だった田舎の娘が、おばあちゃん、両親、友達に応援され、上京、大学入学し、更には専門学校まで行って、第一志望の大手アパレルメーカーに就職したからだ。
人生の目標に『ファッションデザイナーになること』を掲げ、人生のほとんどの時間を費やしてきた。
そう出来たのは、応援してくれた人たちがいたからだ。
今回、辞めることは、応援してきてくれた人たちを悲しませることにはならないか?私を信じてくれた人たちを裏切ることにはならないか?
そんなおこがましいことを考えている。
でも、やっぱり一番は、『何者でもない自分』になるのが怖いんだと思う。
肩書は、空っぽな自分を何者かにしてくれる気がする。私は、肩書にこだわる人の気持ちが、今よくわかる。
「自分自身で勝負しろよ」
おそらく、これからは、そんな時代。いや。すでにそうなっている。
肩書は意味を持たない。
どこかに属していることが、アイデンティティではない。
ただ、属することのメリットがあることも事実。
似たようなデザインでも、どこの誰がか知らない人のデザインは買わないが、それが、既に人気のあるブランドのタグが付いた洋服であれば、買う人は多い。
品質・デザイン・安心感
それを意識しているかどうかはわからないけれど、同じ大切なお金を使うのであれば、信用できるブランドで買うということが、心理的安全性につながる。
それが、購買決定の重要なファクターであることは、明白で、
私が失うのは、まさにそれ。
ブランドという肩書のなくなった私は、それを一から作っていく必要がある。
そして、それがどれだけ大変なことかもわかる。
今まで、多くの人が時間をかけて、『ブランド』というものを作り上げてきたからこそ、私はその恩恵にあずかってきたのだ。
その恩恵にあやかれなくなることが怖いのか?
それもある。
何者でもない私のデザインを買ってくれる人が、共感してくれる人が、いるのだろうか?一体どれだけの人に私の想いは届くのだろう。
そう思うと、怖くなる。
今まで私が信じてきたことは、肩書をなくした途端に頼りないものに見える。
私の人生の価値は、一体何なのか?
『ファッションデザイナー』ではない私には価値がないのか?
・・・おそらく、そんなことはない。
『ファッションデザイナー』じゃなくても、私の人生は続いていく。
もう一度、私が実現したい、『ありたい自分』とは何か?を、掘り下げて考える必要がある。
肩書の前に、『想い』があったはずだ。
共感してもらいたい理由は何なのか?
自己表現したい理由は何なのか?
私が人や社会に提供できる価値は何なのか?
私は何のために生きるのか?
『ファッションデザイナー』だけが、私の価値なのか?
それがなくなったら、私の価値はないのか?
そもそも、自分の価値って何なのか?
価値がなければ生きていてはいけないのか?
そんなことはないはずだ。
私は、何者でもない自分とこれからとことん向き合わなければいけない。
肩書がないことが、こんなにも私を不安にさせるなんて思いもしなかった。
まずは、その気持ちを分解し、自分の不安の一つ一つに向き合う必要がある。
これから、やりたいことがある。
それでも、ひどく不安だ。
でも、前に進むしかない。
いつか、あの時辞めて良かったなと思うために。
そうでなければ、私はきっと後悔するし、人を恨んで生きることになる。
そんな人生は生きたくない。
仕事も肩書も私の人生の全てではないのだ。
ただただ、私は私。
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