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コミュニケーションのバケモノ、父から学ぶ他者との関係構築

父は、誰にでも話しかける。
当時の自分は、それが恥ずかしかった。

スーパーのレジ担当に世間話をする。ホテルのフロントに南部煎餅を差し入れをする。知人のように話していると思えば、初対面だったりする。

母親は「また始まった!」と言って気まずそうにする。その光景を見ている自分もどこか気まずい思いをしていた。周りの人はそんなふうに人と接していないからだ。

「不審に思われるんじゃないか」
「煎餅あげたりして迷惑じゃないか?」

そんなことを考えては、ヒヤヒヤしていた。でも、振り返ってみると、話しかけられた人たちは、みんな笑っていた。学生のような若い人から、おじいちゃんおばあちゃんのような人まで。

社会は、お店と客、教師と生徒、のような線が引かれていて、お互いその役割を守るようにふるまうのが暗黙のルールだったりする。父は、その線を飛び越えるように、ひとりの人間として話しかける。

話しかけられた相手は、レジ担当から山田さんになり、ホテルのフロントは鈴木さんになる。父が仕事先のお客さんから「太陽のような人」と言われていた理由がうっすらとわかった。彼は、その人の存在そのものに光を当てていた。

仕事を退職した後も、彼は日課である散歩をしては、通りすがりのおばちゃんに塩キャラメルを渡す。実家に帰省した時に、冷蔵庫に箱買いされた塩キャラメルがストックされているのを発見した。

父は茶の間でビールを飲みながら、口癖のように話していた。

「いろんな人と会って話せ。面白えがら」

本屋の営業部長として働いていたから、そのようなことを言っていたのかと思っていたけど、ちょっとちがった。

通りすがりのおばちゃんに声をかけては、塩キャラメルを渡して、路上で笑いを生んでいることを聞くと、人と会って話すことは彼の生き方であり、人生の楽しみ方なんだなと思うようになった。

父が仕事を退職してから、10年は経っただろうか。自分も周りからは「コミュニケーションのバケモノ」と言われることもある。少なからず、父の能力を引き継いでいるのかもしれない。

でも、通りすがりの人に「今日は天気がいいねい!」とか、お店の方に「〇〇さんはここでどれぐらい働いてるの?」とか、呼吸をするように話しかけるという域には至っていない。本当のバケモノは父であり、自分はあくまでもバケモノの子にすぎない。

しばらく、実家に帰れていない。できれば、ビールでも飲みながらいろいろ聞いてみたい。まだまだ学べることがたくさんある。

今年のGWも会えない。
ひとまず、電話で話すところから。

母によると、塩キャラメルを配るのはお休み中らしい。散歩はもちろん続けているとのこと。


この恩はきっとゆるく返します