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【ショートストーリー】琳子さんの落花生

 陶子はピーナッツ好きなのに、落花生が地中で結実することを知ったのはつい最近のことだった。恥ずかしながら世の中にはまだまだ知らないことが多すぎる。なるほど、花が落ちるようにして地中で実を結ぶから「落花生」。そして他の多くの花のように、落花生にも花言葉があると。

          ◇

 陶子は数年前に独りでこの地に越してきた。美容師として働いているが、仕事が終わると夜遅くまで絵を描いている。絵が売れたことはこれまで数えるほどしかなかったが、絵を描いている時こそが自分の人生の時だ、と思えるほど最近はのめり込んでいる。

 ある日、美容室に細身で知的な感じのする60代くらいの女性がやって来た。ダイアン・キートンが映画で身につけていたようなベレー帽をかぶり眼鏡をかけていた。だから彼女がお店に入ってきた時、陶子は、あら和製ダイアン・キートンだわと思ったのだ。名前は琳子さんといった。琳子さんの注文は「1センチ半ほど切って」だった。

 琳子さんの髪をカットしながら、陶子は自分が数年前にこの町にきたこと、独身であること、絵を描くのが何よりも好きなことなどを知らず知らずのうちに話していた。陶子は普段はおしゃべりな方では決してないのに、琳子さんが聞き上手なので、ついついひとりでべらべらと話してしまった。年代は違うのにこんなに波長の合う人がいるなんて、と初対面にして思った。

 それから毎月決まった日に、琳子さんは1.5センチ髪を切りにやって来た。いつも違うベレー帽と眼鏡でやって来たが、必ずどちらも身につけていた。陶子がある時、
 「琳子さん、いつも素敵なお帽子と眼鏡ですね。すごくお似合いです。たくさん持っていらっしゃるんですね」と口にした。
 琳子さんは恥ずかしそうに、
 「ありがとう」と言っただけで目を伏せた。悪いことでも聞いてしまったような空気が流れた。しばらくして、どちらからともなくいつもの世間話を始めた。その時もやはり陶子がこの前観た映画や、好きな食べ物のことなどを気持ちよく話し、琳子さんが「うんうん」「そうなの」と聞き役に徹した。

 年の瀬のある日、琳子さんがいつものようにやって来た。おせちは作るか、買うか、というようなことをとりとめもなくおしゃべりした。帰り際に、
 「あ、これ。よかったら食べて。私が育てた落花生。あなた好きだって言ってたから」と言って紙袋を陶子に渡した。
 「えー覚えていて下さったんですか。嬉しい」
 陶子は受け取りながら、琳子から茹で方を聞いた。誰かから、こんなふうにさり気ない優しさをかけてもらったのはいつぶりだろう、と陶子はふいに涙が出そうになった。

 その晩、陶子はもらった落花生を茹でてみようとして紙袋に手をのばした。中にはビニール袋に入った落花生と、綺麗なラッピングペーパーの包みが入っていた。開けてみると手紙と一緒に、見覚えのある琳子さんのベレー帽と眼鏡が出てきた。封筒の中の便箋にはこう書かれていた。


陶子さんへ。
 いつも楽しいお話を聞かせて下さってありがとう。急なことですが、17年前に別れたフランス人の夫と復縁することになり、来週日本を発ちます。夫は病床にあってあまり長くはないとお医者様に告げられています。私が行って、そばで静かに暮らそうと決心しました。同封したベレー帽と眼鏡、もしよかったらもらってください。あなたに似合いそうなものを選んだつもりですが、どうかしら。私がいつも身につけていたのは、夫が「Linkoにはよく似合うから」と言って、誕生日や記念日に贈ってくれたものです。私は目が良かったので眼鏡は必要なかったのに。だからだて眼鏡なの。
 そうそう、落花生は土の中で結実する数少ない植物です。生きた証をわざわざ隠すなんて、面白いわね。陶子さん、思いのままたくさん絵を描いてね。遠くからですが応援しています。どうぞお元気で。

琳子より。

追伸、                   落花生の花言葉は「仲良し」よ。
 

         

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