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運命のミッドウェー、スプルーアンスの憂鬱

 1942年5月末、レイモンド・スプルーアンス米海軍少将は、皮膚病で入院したウィリアム・ハルゼー海軍中将から、第16任務部隊司令官を任された。空母エンタープライズが旗艦だ。だがスプルーアンスは航空畑ではない。副官を一人だけ連れて、幕僚陣と会った。
 エンタープライズの会議室は広かった。人数が多い。ずっと航空畑を歩き、闘将と名高いブル・ハルゼーが残した航空幕僚たちだ。空母のスペシャリストたちと言ってもいい。だがスプルーアンスは砲雷屋で、どちらかと言うと、戦艦の大砲をぶっ放す方だった。
 「最初にハッキリさせておくが、私は君たちの能力について、一切の疑いはない。なぜなら闘将ブルが、ここに役に立たない者を残す筈がないからだ」
 最初の一発目は、幕僚たちに響いたようだった。彼らの協力は必要不可欠だ。
 「ところで諸君は、今次大戦において、枢軸国の精鋭部隊は何だと思う?」
 スプルーアンスは、幕僚たちを見回して言った。
 「……ドイツのB軍団と日本の機動部隊です」
 幕僚の一人が答えた。ドイツは陸軍国で、日本は海軍国だ。
 「そうだ。それが枢軸国の槍だ。確かにこの二本の槍は鋭い。だが他はそうでもない」
 戦争の主導権は今、枢軸国側にある。だから初戦から暴れまくっている。止まらない。
 「この二本の槍さえどうにかすれば、今次大戦において我々は勝利できる」
 今回の戦闘の意義の大きさを、幕僚たちに分からせる。勝って、戦争の主導権を握るのだ。
 「……今ドイツのB軍団は、スターリングラードでソ連軍の足止めを受けています」
 幕僚の一人が指摘した。スプルーアンスは頷いた。冬将軍は最強の援軍だろう。
 「その通りだ。あとは我々が、日本の機動部隊をどうにかすればよい」
 今回は太平洋中部、ミッドウェー島を巡る戦いだ。大戦の行方を決める決戦となる。
 「航空戦力比は?」
 「……敵空母は4隻です。こちらは3隻ですが、基地航空隊もあります」
 エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウンだ。基地を足せば、航空戦力は拮抗する。
 「よろしい。条件が互角なら、采配が上手い方が勝つ」
 「……我々は迎撃側です。島を守り、敵を撃退さえすれば、勝利です」
 スプルーアンスは首を静かに振った。単なる撃退では意味がない。目指すは完全勝利だ。
 「我々は勝利しなければならない。目標は敵空母の撃滅だ。今次大戦の主導権を奪う」
 敵機動部隊は、無敗記録を持っている。そんな事ができるのか?と航空幕僚たちは見ている。
 「彼らは真珠湾で勝利を盗んだ。今度は我々の番だ。一回の敗北で全てを失わせる」
 Remember Pearl Harbor. 日本は、あの車椅子の大統領の罠に、引き込まれた可能性もある。だが無通告開戦で、卑怯な不意打ちをやった事に違いはない。今度は我々が必ず勝つ。
 砲雷屋として気にしていたのは、敵戦艦の存在だ。数隻いる。こちらの手元には戦艦が一隻もない。真珠湾攻撃の影響だ。だから航空戦で、全て決着を付けないといけない。もし敵が大和級戦艦を連れて来ていて、それを前面に立てて、押してくれば、かなり厄介な事になる。
 とにかく、敵空母を全部沈めるつもりだった。それしかないし、それ以上できない。ハルゼー中将が残した幕僚たちも、敵空母の事しか頭にない。だが今はそれでいい。そのまま行く。
 「私も敵を研究した。日本史を研究した」
 スプルーアンスは会議終了後、歩きながら副官にそう話していた。
 「だがどういう訳か、我らのボス、キング大将は、開戦前から日本海軍によるハワイ奇襲を予想されていたようだ。思うに、もし予想が可能なら、そこには何か理由があった筈だ」
 だがどうやって、アーネスト・キング海軍大将が、真珠湾攻撃を予測できたのか不明だ。
 「ところで君は、アナポリスで何を学んだ?」
 「……科学的思考を。PDCAを。反復攻撃する事の意味を。そのための海軍兵学校です」
 「我らのボス、キング大将が、科学的思考に基づいて、日本海軍によるハワイ奇襲を予測したと思うか?閣下は、ハワイ奇襲を大分前から、軍上層部に訴えていたらしい」
 副官は沈黙した。スプルーアンスは推測した。
 「恐らくこれは合理的思考じゃない。だから私も、今日から非合理主義者になる」
 物量ではなく、心理で戦う非合理主義者、スプルーアンス提督の誕生の瞬間だった。
 
 1942年6月5日、深夜から夜明け前にかけて、戦闘が始まった。ミッドウェー海戦だ。
 「攻撃隊、雷撃隊の出撃が最優先だ。少数でも構わない。準備出来次第飛び立て」
 スプルーアンスは直接、指示を出した。航空参謀たちも動いた。
 「護衛戦闘機の準備が間に合わないなら、そのまま先に出ていい」
 攻撃隊、雷撃隊は、護衛戦闘機なしで、次々空母を飛び立った。
 「敵空母に接近する時は、必ず低空飛行で入るんだ」
 この指示は不審に思われた。通常、上を取りに行く。だが護衛戦闘機がいないなら、制空権は取れないので、薄闇に紛れて、海上スレスレの低空から敵艦に接近するしかない。
 「……護衛戦闘機隊、発進しました」
 遅れて戦闘機も発進したが、攻撃隊、雷撃隊とはぐれて、しばしば護衛できなかった。
 最初、ホーネットの雷撃隊、TBD デバステーター雷撃機15機が、敵機動部隊に接敵した。護衛戦闘機はなしだ。全機撃墜された。空母の対空砲火と直掩戦闘機の餌食となった。
 同じホーネットの爆撃隊、SBDドーントレス急降下爆撃機20機は、F4Fワイルドキャット戦闘機に守られていたが、迷子になって帰還。因みに戦闘機は、全機燃料切れで墜落した。
 次は、エンタープライズの雷撃隊14機だった。連係ミスで、護衛戦闘機はついていない。そのまま低空から敵空母を目指す。結果は11機喪失。3機のみ帰還した。
 「司令官を出せ!俺の部下を無駄死にさせた!なぜ護衛戦闘機がつかない!」
 その海軍大尉は激怒していた。空母に着艦するなり、艦橋を駆け上り、ピストルさえ抜いた。周囲の者が止めに入った。だがそこに、スプルーアンス提督が通り掛かった。
 「……君の部下に死を命じたのは私だ」
 「なぜこんな無駄死をさせる!」
 「……無論、勝つためだよ」
 海軍大尉は、周囲の者に両腕を掴まれたまま、スプルーアンスの新しい指示を聞いた。
 「……ヨークタウン雷撃隊を出せ。コースは低空低速。護衛戦闘機は付けてやれ」
 ヨークタウン雷撃隊12機と護衛戦闘機が飛び立つ。結果は雷撃機12機喪失だった。
 
 帝国海軍第一航空艦隊航空甲参謀、源田実(注62)中佐は、空母赤城で首を傾げていた。
 「なんでアメリカさんは、低空低速ばかりなんだ?」
 源田中佐がそう尋ねると、同僚の航空参謀は、野球にたとえて答えた。
 「……内角低めしか投げないピッチャーですかね?コースが分かるなら余裕で打てますよ」
 第三派攻撃も低空だった。同じコースばかり来るので、迎撃は楽だ。最初は全方位対空監視を命じていたが、監視員たちもそのうち忘れて、海ばかり見るようになっていた。艦隊を直掩するゼロ戦たちも、今では低空に降りている。こんな七面鳥撃ち、狐に抓まれたようだ。
 源田中佐は、第二航空戦隊司令官山口多聞少将と共に、ミッドウェー作戦には反対していた。理由は準備不足である。今のところ、作戦は順調だが、何かおかしい。焦燥感に駆られる。
 だが源田中佐も、同僚たちも、次々来襲する敵機の七面鳥撃ちに集中してしまった。
 
 エンタープライズの攻撃隊とヨークタウンの攻撃隊が、同時に戦場に到着した。どの敵空母も直掩戦闘機を低空に下げている。自然、二つの攻撃隊は上から、急降下爆撃を仕掛けに行った。エンタープライズの攻撃隊が先だった。飛行甲板に大きなミートボールが描かれている。
 そのSBDドーントレス爆撃機の若いパイロットは、ミートボール目掛けて、爆弾を落とした。飛行甲板後部に爆弾が命中。敵空母は大破炎上した。飛行甲板にカガと読める。
 「やった!俺はやった!」
 そのパイロットは機体を急上昇させながら、自分が神になったのではないかと錯覚するほど、膨れ上がる自我と共に、天にも昇る気持ちで、味方に戦果を報告した。
 ヨークタウンの攻撃隊は、右舷に小さな艦橋がある空母を狙った。飛行甲板の前部エレベーターに爆弾が命中。発艦中の機体が弾け飛んだ。敵空母は大破炎上する。これはソウリュウだ。
 エンタープライズのSBDドーントレス爆撃機が数機、空母アカギに急降下爆撃を仕掛けた。飛行甲板に待機していたゼロ戦がひっくり返り、爆発した。換装中だった爆弾と魚雷にも引火して、たちまち大爆発し、艦全体が炎に包まれた。無念残念、やられた。
 残る敵空母は一隻だけだ。少し離れた海域にいる。まだ攻撃は受けていない。
 
 「もはや、ここまでですね」
 戦場の虚空に、四人の戦乙女がいた。皆、長い髪に鳥の羽を刺している。その姿は、人の目に見えない。リーダー格の光の巫女は、赤い着物を着ている。空母赤城の御霊だ。
 「……飛龍はまだやれます。せめて一矢もくいます。悔しいではないですか」
 飛龍の戦乙女がそう言うと、他の艦内神社の御霊たちは、それぞれの反応を見せた。
 「私は反対だったのです。山口殿は正しかった」
 蒼龍の戦乙女は言った。青い洋服に翼まである。まるで北欧のバルキリーのようだ。
 「……空の戦士たちの御霊を弔います」
 赤城の御霊は両手を広げて、戦死した日米両軍のパイロットたちの霊に光の導きを与えた。
 「そもそも真珠湾攻撃からして正しくない。だから因果応報した」
 加賀の巫女が呟いた。外務省のヘマもあり、無通告開戦となり、真珠湾攻撃は完全な不意打ちになった。だがそもそも同時通告だって、国際法上OKでも、騙し討ちには違いないだろう。
 「日本の武士なら、もっと正々堂々戦うべきだった。挙句の果てには油断して敗けた」
 眼下では燃え上がる空母加賀が見える。無念の炎が透けて見える。怨霊と化すか?
 「……およしなさい。我らの役目は支援のみです。後世、悪評が立たないか心配ですが」
 赤城の御霊は言った。Remember Pearl Harborという呪いの合言葉まで誕生している。
 「皆と心が通わなかったのは残念です」
 蒼龍の戦乙女は言った。飛龍以外の三人は、表情が悲し気だった。飛龍の戦乙女は言った。
 「……山口殿が心配です。私は戦場に戻ります」
 最期まで潔く戦う。それが務めだ。そして死んだ戦士を抱いて、天国まで連れて帰るのだ。

 スプルーアンスは勝利した。捕らえた捕虜の尋問で、日本海軍の4隻の空母の撃沈を確信した。これ以上の勝利はない。真珠湾の仇は取った。一砲雷屋として、停泊中の戦艦が次々航空機にやられたあの真珠湾攻撃は複雑だ。今回の海戦もそうだ。だが自分は、航空畑を歩かない。
 囮作戦で戦死したパイロットには、済まない事をしたと思う。だがこれしか、無敵の機動部隊から勝利を盗めなかったのだ。自分はアレクサンドロス大王のように偉大ではない。凡人だ。だから盗まれた戦艦の栄光を、空母で盗み返したに過ぎない。あまり気分は良くなかった。
 これが運命のミッドウェー、スプルーアンスの憂鬱だ。呪いの合言葉が残響していた。
 
注62 源田実(西暦1904~1989年)海軍大佐、航空幕僚長、参議院議員、日本
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード87

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