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口裂け女は赤い服を着て、白いマスクを着用している

 口裂け女が出た。
 人々はそう噂していた。
 1979年7月某日都内、荻窪の天沼は恐慌状態に陥っていた。
 その幼稚園児は、母親から家の外に出ないようにと言われていた。幼稚園も休園になってしまった。止む無く家にいると、役所の放送で、子供は外に出ないようにと言っているのを聞いた。理由について、何も述べていないが、危険だからという事らしい。
 隣近所から、緊急の回覧板が回って来て、口裂け女に関する話を大人から聞かされた。
 その口裂け女は赤い服を着て、白いマスクを着用している。注意されたしとの事だった。他にも赤いハイヒールを履いているとか、手書きのイラストで詳細に解説されていた。それは交番に張り出される事件の犯人風のモンタージュで、とても恐ろしい感じがした。
 だが何がどう危険なのか、肝心な事は何一つ書いていなかった。
 注意事項・連絡事項としては、姿を見たら、近づかず、直ちにその場を離れ、所轄の警察まで連絡するように。間違っても会話、交戦してはならないと書いてあった。
 その会話内容については、何も書かれていなかった。
 しかしこれだけだと、通称「口裂け女」と呼ばれる赤い服を着て、白いマスクを着用した女性がいるだけだった。凶器に関する言及もない。なぜ接近禁止で、警察に通報しなければならないのか分からない。事件性もない。だが大人たちは大変恐れていた。
 口裂け女は謎の存在だった。
 だが明らかに、人々はリアリティを感じて、恐怖心を抱いていた。
 妖怪のようでいて、ギリギリ妖怪でないような存在だったからかも知れない。
 そういうリアリティがあった。
 口裂け女が出た。阿佐ヶ谷の商店街から、荻窪に向かって歩いている姿を見た。
 それだけで学校は子供たちを早めに帰し、登下校にいつもより大人たちが多く張り付くようになった。近所に回覧板が回り、役所の放送が町に流れる。流石に昭和でも異常事態だった。
 だからその園児も、そういう女はいるのかも知れないと思っていた。
 妖怪という概念から、外れていたのかどうか分からない。怖さ的には、絵本で見たのっぺら坊とかろくろ首と同じだったが、口裂け女はより現代的で、より身近に感じた。
 ギリギリ在り得るかもしれない。そういう怖さがあった。
 令和や平成で広がった都市伝説や怪談とも違ったリアリティと怖さがあった。
 後年、トイレの花子さん系の話を聞いた時、子供たちの怖がり方を見て、多少威力のある話だなと思ったが、大人の行動まで変えさせる力はなかった。恐怖は子供止まりだった。
 しかし口裂け女は、社会現象となっていた。人々は怖がっていた。威力が違っていた。
 あの回覧板は、書き写してメモを残せば良かったと後年考えたが、幼稚園児では大した事はできない。ただ見せられて、解説されたので少し覚えている。
 大人たちは家で、駅前の朝鮮焼肉店が、今日は早めにお店を閉めたと話していた。
 「どうしてお店を閉めたの?」
 「……客が来ないからじゃないか。駅前も人が少ない」
 園児の父親はそう答えた。当時、何の仕事をやっていたのか分からない。ただ家にいた。
 その園児は、大人たちがよく話す「朝鮮焼肉」というものに、少し関心があった。何だか旨そうで、大人たちが酒を呑みながら、焼肉をするお店というイメージだけあった。
 当時まだカルビと言わず、「朝鮮焼肉」と言っていた時代だった。90年代くらいには置き換わっていた。巨乳という言葉もなかった。「デカパイ」という言葉があった事を記憶している。90年代の後半には置き換わっていた。だから中高生の頃、そういう言葉は使っていなかった。
 カルビも巨乳も存在しない青春時代だった。肉の概念が異なる。それが昭和だった。
 1979年当時、荻窪の駅前通りの裏路地に、いつもポルノを単館上映している映画館があった。園児の母親が張り出されたポスターの前を通る時、足早に過ぎ去ろうとした事を覚えている。街中に堂々と、ポルノのポスターが張り出されていた時代だった。
 だがいつしかその映画館は路地裏から消えていた。時代が流れたのかもしれない。
 90年代の前半、携帯電話が急速に普及した。大学二年生の夏休み明けだった。大学のキャンパスで携帯を持っている学生が急に増えたのだ。在学中にWindows95も出現した。
 1979年当時、園児の家にあったハイテク機器は、白黒テレビと黒電話だった。『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)を白黒テレビで見ていた。ガミラス人の肌の色が青と知ったのは後年の話だ。色が濃かったので、ガミラス人は黒人かと思っていた。白黒テレビでは青は表現できない。
 『宇宙戦艦ヤマト』は国際情勢だった。園児はこの星は侵略を受けていると思っていた。
 当時、オイルショックという言葉もあった。トイレットペーパーを大量に買い込むアレだ。だが園児の家では、なぜか買い込まかった。園児の母親が特に警戒していなかったからだ。
 口裂け女に関しても同じだった。ただ警戒しているだけで、特に恐れていなかった。
 この人はキリスト教徒でもないのに、なぜか子供に聖書を読んで聞かせる妙な女性だった。お陰で幼稚園児なのに、聖書の大まかなストーリーは知っていた。イエスの話も聞いていた。
 またその園児は、白黒テレビで『まんが日本昔ばなし』(1975年〜1994年)を見て育った。こちらは東洋的な世界観を伝えていた。蜘蛛の糸とか、お釈迦様の話も時々聞いていた。
 園児の頭の中には、聖書と『宇宙戦艦ヤマト』と『まんが日本昔ばなし』が詰まっていた。そして善行を積み、有徳な者は悪を寄せ付けないという話を聞いていた。また善行が足りない者は、地獄に堕ちるという話も聞いていた。そして地球は侵略されていると思っていた。
 早くも世間からズレていたかもしれない。だがこの園児も口裂け女を恐れていなかった。
 自分が悪い子だと全然考えていなかったからだろう。悪くないので悪を寄せ付けない。
 当時、幼稚園でも口裂け女の話は出ていて、回覧板より詳しい話が出回っていた。口裂け女は、必ず質問をしてきて、その回答を間違えると、包丁で刺殺されるという話だった。
 「私綺麗?」
 マスクを外して、口裂け女がそう質問してきた時、毎回状況に合わせて、上手く答えないといけないという話だった。だがYesと答えても「嘘吐き」と言って殺されるし、Noと答えても「酷い」と言ってやはり殺されてしまう。そういう話だった。
 出会ったら最期、バッドエンドしかない最悪のヒロインだ。冴えないどころではない。
 幼稚園でも、口裂け女に遭遇した場合のトーク・スクリプトが、複数考案され、盛んに園児の間で議論されていた。それは一種の形而上学であり、神学論争でさえあった。
 「……要するに、嘘にも、悪口にもならないように、答えればいいんだ」
 園児A君は思案顔でそう言った。
 「え?何て答えるの?」
 園児Bちゃんは不思議そうに尋ねた。
 「うん。綺麗かも知れないとか答えればいいんだ」
 園児A君がそう答えると、園児C君はすかさず言った。
 「僕だったら、他の人にもきいてみようと答えるね」
 「それもいいな」
 園児A君は思案顔で頷いた。園児Bちゃんは笑った。
 「それ酷い」
 「口裂け女のお姉さんと一緒に遊べばいいじゃないか。ダメなら逃げればいい」
 後年、白血病で死んでしまう園児D君は言った。
 その園児は、D君が死ぬ直前の入院前、最後の遊び相手に指名された。
 「それがいい」
 園児も同意した。だがそもそも自分に関係ない気がした。何も悪い事はしていない。
 「……口裂け女なんて本当にいるの?」
 園児Bちゃんは疑問を口にした。
 「あ、悪口を言うと、口裂け女に会うぞ」
 園児C君が、1979年当時の決まり文句を言った。
 「でもお口が裂けているなんて可哀想。お医者さんに頼んで、直せばいいのに」
 園児Bちゃんは、不思議そうにそう言っていた。
 「口裂け女はいる。それは間違いない」
 思案顔の園児A君はそう言った。
 神学論争の結果、口裂け女はいるという事になり、現実的な対応策として、逃げるという選択肢が示された。誰も異存はないようだった。
 「でも口裂け女は追いかけて来るんでしょう。車より足が早いらしいし」
 園児C君は怖がっている様子を見せた。
 「死ぬのは怖くない。ただ元に戻るだけだ」
 園児D君は言った。
 「だから怖いものなんてない」
 みんな不思議そうな顔をして、園児D君を見た。彼の人生は8年しかなかった。
 その園児も口裂け女を恐れていなかった。口裂け女に殺されるのは悪い人だけだ。自分は悪くない。だから殺されない。家に帰ったら、善行を積もう。だが善行とは何か?
 家に帰ると、園児の父親がいた。外に出て遊びたいと訴えたが、止められた。
 「……どうして?」
 「危険だ。家にいろ」
 「……口裂け女が出るから?」
 園児の父親は、マルクス主義者だった。大学ではノンポリで、学園闘争には背を向けた。
 唯物論的、無神論的世界観でもってしても、口裂け女の問題は答えが出ないようだった。
 「とにかく家にいろ」
 神も仏もいるもんかと言っていた人物だったが、口裂け女だけは別のようだった。
 ギリギリ、リアリティがある口裂け女は、犯罪者としてカウントしていたのかもしれない。そういう話に乗って、模倣犯が出るかもしれないという考え方だ。
 令和で言えば、映画『ジョーカー』(2019年)の事例と似てなくもない。
 口裂け女の話は1979年の秋には消えていた。夏休みの間に子供たちは自宅待機して、外で口裂け女の話をしなかったからかもしれない。口裂け女の伝説は、ひと夏の思い出だった。
 今は天沼の家ももうない。荻窪は区画ごと整理されて、道ごと変わっていた。
 あの家は戦前からあった古い家で、小さな池があり、ゼンマイが生えていた。庭はドクダミだらけだった。以前の家の住人は、大陸から来た人たちだったと聞く。なぜか葡萄の木が一本だけあり、蔦を張って、軒先の柱に絡みついていた。秋には葡萄がなる。池にはカエルがいた。
 確かに、口裂け女という伝説はあった。幻ではない。
 半世紀経ち、家も道も何もかも消えてしまったが、記憶だけは残っている。七五三をやった八幡神社だけ変わらずに残っている。そして時代は流れ、園児は成長して、社会人となり、大人となった。就職している。時は令和の世となり、ファースト・パンデミックが起きていた。
 その朝、都内の職場に行くと、突然、職場の女たちの何気ない会話が聞こえてきた。
 「……私綺麗?」
 その女は赤い服を着て、白いマスクを着用していた。口元は見えなかった。
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード19

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