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天花娘娘による仙花浄化

 「待て!そこの娘娘(ニャンニャン)!逮捕する!」
 路地裏で怒声が響いた。警官が走って来る。
 「……本当にしつこい奴らだな!」
 その若いラテン系の男は言った。相方の華僑系の若い女も叫ぶ。
 「ホント!もう嫌になっちゃう!」
 二人は原町田を駆け抜ける。バッカスと天花娘娘だ。
 「止まれ!止まらないと撃つぞ!」
 特警の腕章を付けたその警官は叫んだ。沢山いる。
 「……喰らえ!」
 バッカスが酒瓶を投げつけた。路地裏で、フランベのように一瞬燃え上がる。
 「即席の火炎瓶を持っているぞ!」
 特警は言った。ただのウオッカだが、細工はしてある。小人さんがいる。
 「……そらもう一発!」
 瓶が割れて、燃え上がる。酒の神であるバッカスは、酒精をコントロールできる。
 「公務執行妨害で逮捕する!」
 特警は拳銃を構えた。まだ撃たない。だがいつ撃ってきてもおかしくない。
 「……お前らの公務は、一体何なんだよ!」
 バッカスが言い捨てて走ると、千鳥足舞子は笑いながら答えた。
 「鬼ごっこして、私を捕まえる事でしょ!」
 追手は日本偵察総局だ。天花娘娘を捕まえようとしている。彼女には秘密があった。実は頭に花が咲いている。天花(ティエンファ)と言い、皆に見えるのだが、全く気にならない。
 だがこの花から醸し出す香りで、疫病を浄化できる。
 仙花浄化(シェンファジンフォア)、そういう力を持った娘娘だった。
 「鬼さんこちら♪手の鳴る方へ♪」
 「……隠れなきゃいけないんだから、歌うな!」
 折角、二人は追手を撒いたのに、また追跡を受けた。こういう意味の分からない処が、娘娘の特徴だったりする。それから普段は、ただの飲んだくれ女営業、千鳥足舞子だ。
 「何で私たち逃げなきゃいけないの?」
 「……今更だな。だが掴まってただで済むと思うか?」
 バッカスが尋ねると、天花娘娘は、それもそうだねという顔をした。
 「でもホントに何でしつこく追い掛けて来るの?」
 「……奴ら、お前がいると、疫病が消されて、管理社会が到来しないと言っている」
 「え?何それ?私がいると、管理社会が到来しないってどういう事?」
 舞子は不思議そうな顔をした。
 「……お前が疫病を消せるからだろう」
 「それはできるけど、それと何の関係があるの?」
 「……相変わらず、鈍い奴だな。あの病気はわざと広められたんだよ。お薬とセットでな」
 「ええ!そうなの?犯罪じゃん」
 天花娘娘は今、気が付いた。
 「……だからお前のせいで、奴らの作戦が台無しになるから、狙われているんだよ」
 「管理社会到来って、いい事じゃないの?」
 舞子は、語感的に何かよい事のように思っていた。
 「……お前は奴らに管理されたいか?」
 天花娘娘は、首をフルフルと横に振った。それは嫌らしい。
 「よく分からないけど、病気が流行ると、管理社会が到来するの?」
 「……ああ、病気で危険だからという理由で、政府は人権を制限できる」
 「へ~そうなんだ?でも人権が制限されるとどうなるの?」
 「……家の外に出るなと言われる。買い物もままならん」
 バッカスはそう答えた。都市封鎖、移動規制、入場制限などなどだ。
 「それは大変だ!今のうちに買い物しなくちゃ!」
 舞子は叫んだ。彼女は買い物が大好きだ。何でも買い込む。
 「……その買い物だって、政府の買わせたいものだけ買わされるぞ」
 「え?何、言ってるの?私は買いたいものを買うだけだよ?」
 天花娘娘は、きょとんとした顔をしている。
 「……外に出れないから、オンラインで注文さ。デジタル通貨を使って」
 「それは前からあるけど、どうして買いたいものが買えないの?」
 「……政府が中央銀行デジタル通貨(CBDC)で統制できるからさ」
 舞子は首を傾げた。完全に意味が分からない。CBDCって何だ?
 「……紙のお札には何も細工はしていないが、デジタル通貨は細工ができるのさ」
 「どういう事?」
 「……政府側で、お買い物サイトを管理するように、デジタル通貨で国民を管理するのさ」
 購買記録閲覧、残高照会、貯蓄制限、ポイント付与、口座停止、何でもありだ。
 「そうなるとどうなるの?」
 「……国民は政府の意のままになる。政府は国民に対して、生殺与奪の大権を得る」
 「ふ~ん。そうなんだ」
 天花娘娘は頷いた。うん。よく分からない。ただ雰囲気だけ伝わって来た。
 「……だから病気を作って、流行らせる。危険だからという口実で、行動に制限を掛けて、政府はやりたい放題さ。管理社会の到来だよ。待望のAI管理、ディストピア社会の到来だ」
 バッカスはそう言った。舞子は考える。
 「でもどうしてそんなに、管理社会がいいと思っているの?」
 「……彼らは管理する事は、本気でよい事だと思っている」
 「管理してどうするの?」
 「……彼らの言葉では、公平で、平等な社会の建設のためだ」
 「何だか良い事のように聞こえるけど?」
 舞子がそう言うと、バッカスが振り返った。
 「……The road to hell is paved with good intentions.」(地獄への道は善意で舗装されている)
 「何それ?」
 天花娘娘は親が香港出身でもあるので、英語も分かる。
 「……西洋の諺だよ。良かれと思ってやった事が、悪い結果を生む事だ」
 「ふ~ん。悲しいね」
 「……何でもコントロールできると思って統制する事が、政治経済の死をもたらす」
 「自由がないから?」
 「……そうだ。自由がある事は大事だ。人々の自発性が、民主主義の根底にある」
 「皆、抗議とかデモとかするもんね」
 「……ああ、自発的な秩序は大事だ。これがないと役人、政治家のやりたい放題だ」
 何となく、話が分かって来た。要約すると、天花娘娘は自由の女神だ。松明じゃなくて、酒杯を持っている。お酒臭いかもしれない。乾杯の女神だ。かんぱ~い?
 「分かった。じゃあ、今ある力で、浄化するよ。地球全体は無理にしても」
 「……そんな事をして、お前は大丈夫なのか?」
 「う~ん。やってみないと分からない。あんまり善行を積んでいないけど」
 いつも原町田で、楽しく呑んでいるだけだ。大した事はやっていない。お店は繁盛したが。
 「とりあえず、私を守って。特警に追い回されているとできない」
 「……ああ、分かった」
 だがバッカス一人では、心許なかった。彼は酒神だ。戦闘用じゃない。
 「助けが必要か?」
 不意に暗がりから、剣客が現われた。サンダルを履いて、道着を着ている。知らない。
 「……誰だ?」
 「人呼んで、小竹向原の剣豪だ」
 「別に呼んでないけど、いいよ。こっち来て」
 天花娘娘はあっさり歓迎した。すると、物陰からさらに二人、若い外人の男が現われた。
 「……あなたが天花娘娘か?探していた」
 その金髪碧眼の男はそう言った。バッカスは警戒した。
 「どこから来た?なぜ天花娘娘を知っている?」
 「……煩悩寺から来た。彼女を守るように言われている」
 金髪碧眼の男がそう答えると、小竹向原の剣豪が興味を持った。
 「煩悩寺とは何だ?何処にある?」
 「……フォースの修行場だ。世界の狭間にある」
 金髪碧眼の男がそう答えると、連れの若い外人も頷いた。小竹向原の剣豪は言った。
 「興味深いな。いつか連れて行ってくれ」
 お互い知らないのに、まるで示し合わせたように、都合よく現れた。不思議な人たちだ。
 「……協力に感謝する。とりあえず、今は細かい話は後にしてくれ。移動する」
 バッカスは、路地裏から繁華街に抜けて移動し、適当なビルを探した。
 「ある程度、高くて、開けている方がいいけど、別に何処でもいい」
 舞子は、仙花浄化をやろうと思った。とにかく、奴らの邪魔をして、ハナを明かしてやろう。
 「……我々は残る。先に行ってくれ」
 謎の外人二人組がそう言った。どうやら囮になるつもりのようだ。
 「任せて大丈夫か?」
 「……ああ、問題ない。彼が守ってくれるだろう」
 金髪碧眼の男は、謎の剣客を見てそう言った。小竹向原の剣豪は頷いた。
 それから三人と二人は別れて、行動した。バッカスは、屋上にビアガーデンがあるビルを目指した。とにかく、広い処がいい。三人は、今は使われていないビルの屋上に侵入した。季節外れという事もあるが、長い間使われていなくて久しい。閑散としている。
 「うん。ここでいいよ。すぐに済むから」
 天花娘娘は仙花浄化の準備に入った。屋上に跪いて、十字を切り、両手を組んで祈った。ついつい学生時代のクセが出た。昔、ミッション系の女子高に行っていた。お祈りの仕方は、シスターから教えられた。とりあえず、精神が集中できるなら、形式は何でもいい。
 「仙花浄化!」
 舞子がそう言うと、頭の花から花粉が飛んで、街の空をピンクに染めた。
 町田の空から、都内全域に、数秒間だけ、ピンクの花びらが舞い、不思議な香りがした。天花娘娘による仙花浄化だ。疫病が一瞬で消えた。だがその効果は、地球全土にまでは広がらず、日本の関東圏内に留まった。それでも、病気が消えた事によって、救われた人は多くいた。
 バッカスは独り、街の空を見上げると、嘆息していた。光が消えて行く。任務完了だ。
 
            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺010

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