見出し画像

第五章 紫の公国

 自分の艦に戻ると、艦橋の全員が私を待っていた。
 「遅れてすまない。状況、どうなっている?」
 歩きながらそう尋ねると、副長が答えた。
 「被害なしです。すでに大半の艦はブランから発進しています」
 私は黙って頷いた。あれから私は、すぐに解放された。碧い姫はジュリヤンだけを連行した。私を挑発して、ピュールと紫の公国を戦わせる紅い皇子の策らしい。だが私には、紅い皇子の意図がよく分からなかった。そんな事をして、一体何の利益があるのか?
 「本艦も発進しますか?」
 副長がそう尋ねると、私は何とか意識を切り替えて、艦長席に座った。
 「待て、アナバシスはそのままだ。僚艦は全て発進させろ」
 「ですが、本艦もこのままでは危険です」
 ブランは上昇を開始している。アナバシスはブランの港に入ったままだ。
 「艦長、ブランから全周波数で演説が放送されています」
 レアが振り返ってそう報告すると、私は通信機を手に取った。
 「回せ」
 通信機に耳を当てると、紅い皇子の声が、力強く私の中で響いた。
 「ゆえに我、イル・アンシャンテ・フローリスは、ここに紫の公国の建国を宣言する。なお共同統治者は、我が婚約者にして、碧い王国の碧い姫、サンタンジェリク・ヴォートルダームである。両者は紫の公国を等しく代表し、対等の立場である事を強調しておく」
 私は通信機を握り締め、レアに命じた。
 「放送を止めさせろ。妨害電波を流せ」
 レアは直ちに放送を遮断する措置を図った。だが紅い皇子の放送は続いた。
 「紫の公国は、ブランをヴィオレと改名し、公国の首都とする。紫の公国は、緑の共和国、碧い王国、紅い帝国と敵対する意志はないが、従属する意志もない事を宣言しておく。なぜならば我々の建国の理念は、反ピュールであり、ピュールとの闘争であるからだ」
 「なぜだ?なぜ止められない?この放送を止めさせろ!」
 私は激していた。だが副長は冷静に指摘した。
 「これは念話です。同時に念話で語っているのです」
 「何だと?念話能力のない者には、雑音か耳鳴りにしかならないはず」
 私はそう言いながら、紅い皇子の声が、五年前と比べものにならないくらい強くなっている事に気がついた。もしかしたらこの声なら、この星の全ての人の内側にまで響くかもしれない。   私は紅い皇子の執念を感じて、恐怖した。
 「よってここに、紫の公国は、ピュールに宣戦を布告する。紫の公国は、ラ・マリーヌを武力で支配せんとするいかなるピュールも許さない。我々は、ラ・マリーヌの全ての空から、あらゆるピュールを駆逐するまで闘争を止めないだろう」
 頭の中で、様々な思いが交錯した。一体何が目的か。よもやピュールに勝てる見込みがあるとでも思っているのか?もしそうなら、とんでもない思い違いだ。だがもしそれも承知の上で、戦いを仕掛けて来るとしたら、それは一体何のためなのか?
 「だが諸君は、疑問に思うかもしれない。あの宇宙から来た侵略者とどうやって戦うのか?この星の民よ。恐れるな。我々には切り札がある。対ピュール用の決戦兵器がある。それは我々の先祖が全盛期に残した偉大なる遺産であり、この星を守る最後の希望の光だ」
 その時、私の脳裡に死の光という言葉が蘇った。この星の遺失兵器だ。ジュリヤンの説明だけではよく分からなかったが、銀の槍に搭載できるらしい。昔の兵器など高が知れているが、時代の変化のせいで、現在の装備では対処できないものもあるかもしれない。
 「我々は戦わずして、決して滅びない。この星の民よ。立ち上がれ。宇宙からの侵略者を許すな。我々はこの星に独立して、生存する権利がある。なぜならばラ・マリーヌはマリアン人の星であり、我々に先住権があるからだ」
ふと気がつくと、副長が私を見ていた。
 「ブランに攻撃を加えますか?放送が止まるかもしれません」
 絶対に駄目だ。ジュリヤンがいる。
 「いや、攻撃は許可しない。ブランを破壊してはならない」
 「ならば、念話で対抗しますか?対念話戦闘に長けた者も我が艦にはいますが」
 私は考えた。この放送はよくない。戦いを誘発する。だが紅い皇子の考えも知りたい。私は迷った。ジュリヤンならどう判断するのだろうか?
 「同胞よ。今こそ反ピュールを旗印に紫の公国に結集せよ。公国は、反ピュールの者なら、貴賎を問わず誰でも公民を募っている。力ある者には武器を、知恵ある者には立場を与えよう。すでに多くの同志が公国に参加している」
 私は五年前と同じように、紅い皇子に何も言い返せないまま立っていた。
 「この星の民よ。諸君には祖国での立場もあろう。ゆえに紫の公国は、二重国籍を許している。公民の立場は自由であり、反ピュールの闘争ためなら、様々な形の支援と援助を惜しまない。だが公民唯一にして神聖な義務が、反ピュールの闘争である事だけは忘れるな」
 私は眼を瞑って、紅い皇子を念じた。何とか念話で捕らえられないものか?
 「立て、同胞よ。我らの空を汚す黒き船どもを焼き尽くし、奴らの穢れた血で、我らの海を潤そうぞ。そしてラ・マリーヌは古の大地を取り戻すのだ」
 紅い皇子の演説は、そこで終わった。

 「艦長、これ以上は危険です。発進許可を」
 副長が外の様子を気にしながらそう言うと、私は首を振った。
 「駄目だ。発進は許可しない」
 「なぜです。このままでは我々は袋の鼠です」
 副長がそう尋ねると、レアも私を見た。
 「いや、駄目だ。やる事がある」
 私は決意した。ジュリヤンを取り返す。紅い皇子の意図が何であれ、ジュリヤンはこの星に必要な人間だ。いくら戦闘を回避するためとは言え、見殺しにしてはならない。それにどの道、この情勢では戦闘は避けられそうにない。ならばこちらから攻めるべきだろう。
 「やる事?それは何ですか?」
 「陸戦隊を結成する。今すぐ人員を選抜しろ」
 私がそう答えると、艦橋の全員が驚いた。
 「待って下さい。この艦の乗員で編成するのですか?」
 「そうだ」
 「陸戦隊で何をするおつもりですか?」
 副長の問いに、艦橋全員の関心が集るのが分かった。
 「緑の共和国の要人が拉致された。この要人を奪回する」
 「その要人は代表ですか?」
 「いや、今は代表団の一員に過ぎない。だがこの星に必要な人間だ」
 「その人物の名前を教えて下さい」
 副長がそう尋ねると、レアもこちらを見た。私は艦長命令で、強引に押し切ろうかと思った。だが後で問題になるかもしれない。私は深く息を吸ってから、吐いた。
 「ジュリヤン・カラヴェルだ」
 「反対します。艦長は個人的な感情で、状況を判断しています。危険過ぎます」
 副長は即答した。私は腹が立ったが、上手く言い返す事ができなかった。
 「違う。彼はピュールにとっても必要な人間だ」
 「我々はピュールです。なぜ緑の共和国の人間を助けるのですか?」
 副長がそう指摘すると、私達は睨み合った。彼を解任する事を一瞬、考えたが、それは最後の手段だと思った。今ここで解任するのは不味い。今後の任務に支障をきたす。
 「副長、正式な条約の締結はまだですが、緑の共和国は降伏しました。それは内定と言ってもよいでしょう。よってピュールは、彼らを保護する義務があると思います」
 レアだった。なぜ彼女が私に味方してくれるのか分からないが、よい反論だった。
 「だが我々が危険を冒してまで、奪回すべき人物なのか?」
 副長がそう答えると、私は突き放すように冷たく答えた。
 「副長が反対なら、記録に残しておけ。後で抗議でも何でもするがいい」
 「ええ、そうさせてもらいます」
 決定的にこじれた。今後私は副長を信頼して、有効に使う事はできないだろう。また向こうから、適切な助言や積極的な協力は期待できないだろう。私は早くも躓いた。だがここで転ぶ訳には行かない。こうしている間にも、ジュリヤンに危機が迫っているかもしないのだ。
 「陸戦隊を結成せよ。これは艦長命令だ」
 私がそう命じると、副長は反論せず、黙って敬礼した。

 数分後、私は副長から、陸戦隊の選抜人員の報告を受けたが、納得の行かない人選だった。指揮官は武器課の少尉で、主に武器課の者で構成されていた。だがそれも仕方ないかもしれない。このアナバシスは、強襲揚陸艦と言っても、分艦隊の旗艦で、白兵要員は他の艦に乗せている。私は他の艦を戻す事も考えたが、すぐに止めた。今は時間が惜しい。
 「人選がおかしい。それに人数が少な過ぎる。これの二倍必要だ」
 「妥当です。これ以上は操艦に支障を来たします」
 リストをつき返すと私は、艦長席から飛び降りた。
 「何が不満なんです?まさか司令代理自ら乗り込むつもりですか?」
 副長の言葉に、艦橋の全員の注目が集るのがよく分かった。私は開き直った。
 「そうだ。私が指揮する。調理課や補給課も動員しろ」
 「ご自身の立場を自覚して下さい。ピュールの代表で、司令代理なんですよ?」
 知った事か。私は行く。
 「待って下さい。艦の責任は?艦隊の指揮はどうするのです?」
 「任せる」
 副長は一瞬、絶句したが、次の瞬間、素早く私の行く手を遮った。
 「何のつもりだ?」
 副長は光学拳銃を抜いて、私に向けていた。
 「陸戦隊の指揮は私が取ります。艦長は司令代理の職務を遂行して下さい」
 艦橋の全員が作業を中止して、私達二人を見ていた。
 「これは問題だぞ。副長」
 「艦長や、司令代理や、ピュール代表の職務を、放棄するよりはましです」
 副長はもの凄く必死な顔をしていた。私を刺し違えてでも止めるつもりなのだろうか?そう考えると、何だか可笑しくなってきた。なぜ彼はそこまでする?
 「副長、もう行かせてあげれば?」
 レアだった。そして副長の銃に手を置き、下げさせた。
 「何を言っている。死ぬかもしれないのだぞ?」
 構わない。ジュリヤンさえ助けられれば、本望だ。
 「アレス」
 私は副長の名前を呼んだ。
 「そう呼ばれるのは嫌です。私にそんな名前は必要ありません」
 「ありがとう」
 私がそう言うと、副長は歎息して力を抜いた。
 「艦に危機が迫った場合、どうしますか?」
 「任せる」
 「艦隊の指揮はどうしますか?」
 「任せる」
 「ニキアス司令から連絡があった場合、どうしますか?」
 「任せる」
 「丸投げですか!明らかに私の職務を超えている!」
 副長は珍しく興奮して叫んでいた。面白い事もあるものだ。
 「そうか。ならば今から副長は、艦隊司令代理補佐だ」
 「何ですか?今思いついたようなその役職は?」
 「仕方ないだろう。他に思いつかない」
 「やっぱり私が行きます。それが順当です」
 私は副長を制止すると、彼に艦長席を指し示した。
 「後を頼む。この場合、私が行かなければならないのだ。これは本当にそういう時なんだ」
 五年前、ジュリヤンは自分を省みないで、私を助けた。そして立場が悪くなり、その後の五年間、命を狙われて、この星で逃げ回るはめになった。今ここで私が彼を助けに行かなくて、いつ助けに行くと言うのか。私は行かねばならない。
 副長は私を見ていた。そしてゆっくりと艦長席を見た。
 「分かりました。本当に座るだけですよ。必ず帰って来て下さい」
 「分かっている。だが艦が危険になったら私に構わず、艦を発進させてくれ。後で問題になったら、私のせいにして構わない。証言は皆に頼め。副長は悪くない。よくやってくれた」
 私はそう言うと、艦橋の皆を見た。私を許してくれるだろうか?
 「すまない。後を頼む。副長を助けてやってくれ」
 艦橋の皆は、ちょっと困ったような感じで、お互いの顔を見てから、私を見た。
 「ご武運を」
 レアが代表してそう答えると、私は一礼してから、副長の背中を叩いた。
 「それから副長、銃を撃つ覚悟があるなら、安全装置を外せ。脅しにならないぞ」
 艦長席に座った副長は、ちょっと苦笑いしてから、私に言った。
 「いっその事、艦内クーデタでもやればよかったですかね?でも本当に座るだけですからね。ちゃんと帰って来て下さい。私一人だけ軍法会議に呼ばれるなんて御免ですからね」
 私は副長に微笑むと、そのまま艦橋を後にした。そして頬を軽く叩いて、気を引き締める。待っていろよ。ジュリヤン。必ず助けに行くからな。

 私は灰色の軍装で、ブランの港に再び立った。
 「艦長、出発準備整いました」
 武器課の少尉が、私の前に立って敬礼した。臨時に編成された陸戦隊が集合した。
 「よし、出発するぞ。事前に説明した通り頼む」
 ジュリヤンの居場所は分かっている。先程、彼から念話があった。来てはならない、これは罠だ、と繰り返し警告していたが、私は無視した。
 今は誰かと念話しているようだった。紅い皇子だろうか?嫌な相手だが、このまま進めば、避けて通れない。状況によっては、戦わなければならないかもしれない。
 覚悟を決めた。一度話し合おう。それで駄目なら、倒すしかない。私はふと、碧い姫を思い出した。彼女も敵に回すのは心苦しかった。五年前は助けてくれた。だがジュリヤンを騙して、拉致した事は許せない。だが彼女まで倒すのは躊躇いを感じた。どうするべきか?
 「調理課と補給課はここで待機だ。退路の確保を頼む」
 「了解。後で弁当を届けに上がります」
 調理課の少尉がおどけると、私は微笑んで答えた。
 「ああ、何かあったら、応援を頼む」
 調理課の少尉とその部下達が、会議場となったブランの神殿跡に潜伏した。三カ国の代表団はすでにいない。控え室も空だ。今のところ、誰にも遭遇していない。
 私は夕暮れの廃虚を歩きながら考えた。何とか戦闘を回避して、和解する余地はないのか?だがもうこの作戦行動自体が、紅い皇子の罠に落ちたようなものかもしれない。紅い皇子は私を挑発し、私は受けて立ってしまった。だがジュリヤンを見棄てる訳には行かない。
 私達は廃虚の街を抜けて、東側の外壁に向かった。外壁と一体化した灯台が見えてきた。懐かしいジュリヤンの家だ。そう言えば、ラム小父さんはどうしているのだろうか?まさか一緒に捕らわれているのだろうか?私は急いだ。
 「拠点が構築されています」
 部下の一人がそう言うと、突然銃弾の嵐が上から降って来た。階段の上に重機関銃が設置されている。黒子のような人影が、二つ動いていた。私達は散開して、物陰に隠れた。すると別の方角からも銃弾が飛んで来た。私達も応射し、たちまち激しい銃撃戦になった。
 私は物陰に隠れながら、眼を瞑って、念話で敵を倒そうとした。だが次の瞬間、私が先に誰かの念話に捕まって、攻撃を受けた。耳鳴りではない。酷い頭痛がする。思わず、頭を押さえると、私の居場所に敵の銃弾が集中した。このままでは危険だ。
 「艦長」
 ふと気がつくと、頭痛は止んでいた。だが激しい銃撃のため、その場から動けない。
 「迂闊に使うと、先に捕まります。気をつけて下さい」
 念話能力に長けた部下が、私にそう言った。どうやら彼が倒してくれたようだ。
 「すまない。助かった」
 五年前とは違う。敵の能力が格段に上がっている。調整を受けていないこの星の念話能力者が、そんなに強いとは思えない。まさか命と引き換えに、限度を越えて強化したのか。
 「どうします。このままでは敵が集って来ますよ」
 武器課の少尉が、私の側にやって来た。銃撃は最初より激しくなってきた。私の横で、短い呻き声と共に、部下が倒れた。足を撃ち抜かれている。私は彼を抱き起すと命じた。
 「負傷者を後送しろ」
 武器課の少尉が、負傷した部下を後送させると、私の手にべったり血がついていた。あの兵は助からないかもしれない。そう思うと、私は身震いした。いけない。とにかくこの場に留まって、戦い続けるのは危険だ。戦闘を指揮しなければならない。私は階段を見上げた。
 「あの二人を先に倒せ」
 そう命じると、念話能力に長けた部下が、念話で重機関銃を操作している二人を倒した。だが次の瞬間、彼も撃たれて倒れた。私は駆け寄ったが、頭を撃ち抜かれて、すでに死んでいた。 床に血が広がり、死の花が咲いていく。私は歯噛みして、階段を見上げた。
 「突撃!」
 武器課の少尉がそう叫ぶと、再び重機関銃を使われる前に、味方が階段を駆け登った。
 「援護しろ」
 私も光学小銃で、突撃する味方を援護した。何人か階段で撃たれて、転げ落ちたが、それでも何とか敵の重機関銃を奪取した。味方はすぐに反撃に移る。私も無我夢中で、撃ちまくった。 もう狙いをつけている余裕などない。とにかく撃たなければ、撃たれる。そんな気がした。
 突然、右手首の通信装置が鳴った。私はふと我に帰った。
 「艦長、所属不明の艦隊が出現しました。こちらに向かっています」
 副長からだった。
 「任せる」
 通信を切ると、私は階段下に残った味方を全員集めた。
 「上がるぞ。ついてこい」
 私はそう命じると、残った味方と共に階段を一気に駆け上がった。私の横を走る部下が、雄叫びを上げながら、光学小銃を撃ちまくった。だが彼は突然崩れて、光学小銃を落とした。私はとっさに手を伸ばして、彼の腕を掴んだ。
 「立て!撃たれるぞ!」
 私はそう叫んだが、次の瞬間、頭痛に襲われて、思わず部下を離してしまった。すると彼は、人形のように力なく、手足を踊らせながら、階段から転げ落ちて行った。
 「艦長!」
 部下の一人が戻って来て、階段の途中でうずくまった私を引っ張り上げた。だがその彼も撃たれて、私に覆い被さった。全身に汗のような生暖かいものが流れた。私は頭を押さえながら、何とか立ち上がると、部下の死体を置き捨てて、階段を駆け上がった。
 「こっちへ」
 武器課の少尉が、階段の上から私に手を伸ばした。頭痛はすでにない。私は彼の手を掴むと、重機関銃の側まで引き上げられた。息が切れた。全身血と汗で濡れている。
 「負傷されましたか?」
 「いや、多分どこもやれていない」
 見ると酷い姿だった。だがこの血は全て部下の血だ。私は深呼吸をすると、血を拭うのも忘れて、周囲の状況を確認した。敵の銃撃は止まない。倒しても、倒しても、敵がやって来る。だがここは拠点として使える。私達は灯台の下に集った。
 「少尉、ここを任せられるか?」
 「はい。やってみます。ですが、退路の確保が難しいです」
 武器課の少尉がそう答えると、私は通信機で応援を呼ぶ事にした。
 「まいど。こちら厨房です」
 酷く日常的な応答だった。調理課の少尉だ。私は少し冷静になれた。
 「応援を頼む。灯台下だ」
 「出前ですね。補給課の連中を宅配します」
 私は腕を下ろして、通信を切ると、灯台を見上げた。恐らく中にも敵がいるだろう。私は生き残った味方を半分に分けると、一方を少尉に残し、もう一方を率いて灯台に入る事にした。
 「この上だ。私に続け」
 私はそう言うと、灯台の前に立った。部下の一人が、入口周辺を調べ、外から爆破した。そして中に踏み込む前に、もう一回内部に手榴弾を投げ込んだ。
 「清掃完了。行きましょう」
 私は頷いて、部下達と一緒に進んだ。内部は薄暗く、ちょっと煙たかったが、石造りの塔になっていた。見上げると、螺旋階段が上まで伸びていた。部下達は改めて周囲を確認してから、階段を登ろうとした。だが私は制止した。何か嫌な予感がする。
 「待て。念話で近くに敵がいないか確認しろ」
 そう命じると、部下の一人が眼を閉じて、念話を使おうとした。だが突然、背後から何者かに襲われた。怒号と悲鳴が上がり、血飛沫が舞った。光学小銃の熱線が壁を焼き、暗殺者の白刃が暗闇の中で煌いた。私は壁際まで下がって、叫んだ。
 「無闇に撃つな。同士撃ちになるぞ!」
 だが部下達は混乱して、光学小銃を撃ちまくっていた。
 「侵略者め!死ね!」
 暗殺者は長剣を振りまして、味方を斬っていた。私は眼を瞑って、念話で暗殺者を捕らえた。敵の動きが止まり、光学小銃で撃たれた。後は床に倒れたところで、光学小銃で、滅茶苦茶に撃たれて、蜂の巣にされた。肉を焼く甘い臭いがした。私は思わず、吐き気を堪えた。
 「この野蛮人め。一体どこに隠れていた」
 部下の一人が、赤紫色の衣を被った死体を蹴った。血塗れになった顔がこちらを向く。私は思わず、顔を背けると、部下達に言った。
 「先を急ぐぞ」
 だが別の部下も敵の死体を、光学小銃で小突いていた。
 「止めろ。軍規違反だ」
 私は暴れる部下を制止した。見ると、部下達の表情に憎悪が浮んでいた。人間に比べて情緒が乏しい、と言われる生体兵器でもこんな顔をする事があるのか。私は愕然とした。そして早くもこの戦闘を後悔し始めていた。これは本当に必要な戦いだったのか?
 一人の人間を助けるために、多くの命が失われるのは、矛盾だった。だが私が決断した事だ。ジュリヤンはこの星に必要な人間だし、何が何でも彼を助けたい。だがこの戦いは何の意味があるのだろうか?お互いの憎しみを駆り立てるだけではないのか?
 私は螺旋階段を登りながら、ふと足元を見た。血で塗られた靴跡が、点々と階段に続いていた。あれは全て、私が流した血の跡か?そう思うと、背筋が寒くなってきた。息が切れる。私は苦しみながら、螺旋階段を登った。だがその時、副長から連絡が入った。
 「艦長、味方の艦が所属不明の艦隊から砲撃を受けました」
 「被害は?」
 「今のところなしです」
 「そうか。戦闘回避を優先しろ。反撃は不要だ」
 「分かりました」
 私は通信を切ると、展望台の前に立った。この扉の向こうに、ジュリヤンと誰かがいる。私は光学小銃を見た。話し合いなら武器は要らない。だが扉を開けた瞬間、撃たれる可能性もある。私は迷った。だが扉の向こうにいるのが、紅い皇子なら、それはないような気がした。
 「私が扉を叩く。返事があるまで動くな」
 そう命じると、部下達は驚いた。だが私は構わず、扉をノックした。
 「開いてるぜ。入りな」
 紅い皇子の肉声が聞えた。私は意を決すると、扉を開いた。
 「よう、テティス。綺麗になったな。血化粧か?」
 サングラスをかけた亜麻色の髪をした男が、車椅子に座っていた。後ろには碧い姫が立ち、ジュリヤンは椅子に縛り付けられ、赤紫色の衣を纏った男達に見張られていた。
 「ジュリヤン!」
 私は駆け出そうとしたが、後ろから部下達に止められた。
 「テティス。本当に来るなんて」
 ジュリヤンは身を乗り出そうとして、後ろの男達に止められた。
 「今すぐ解放しろ」
 私が肉声でそう命じると、紅い皇子はあっさり承諾した。
 「ああ、そうだな。もういいだろう。放してやれ」
 赤紫色の衣を纏った男達が、縄を切ってジュリヤンを解放した。彼は立ち上がると、歩いて私の側まで来た。心なしか彼は憔悴しているように見えた。私は自分を抑えて、尋ねた。
 「これは一体何のつもりだ?紅い皇子」
 私はそれとなく周囲を見渡す。素晴らしく見晴らしがよく、海からの風が吹き抜けた。四面壁がなく、四本の柱と屋根だけがある展望台だ。味方の船が幾つか見え、遠雷のような砲声も聞える。夕焼けの空が、恐ろしく赤く見えた。
 「俺はもう紅い皇子じゃない。紫の大公だ。そうだろう?」
 サングラスをかけた亜麻色の髪をした男が、そう尋ねると、紫の大公妃が微笑んだ。
 「そんな事はどうでもいい!一体何のつもりだ?本気でピュールと戦うつもりか?」
 私が激昂すると、隣に立つジュリヤンが私の手を握った。
 「ああ、そうだ。俺達は本気だよ」
 「ふざけるな!ピュールに勝てると思っているのか?」
 「いや、勝てるなんて全然思っていないさ」
 車椅子に座った男は、あっさりそう答えた。
 「何だと?ならばなぜ戦う?」
 サングラスをかけた亜麻色の髪をした男は、悠然と尋ねた。
 「お前は自分の家に強盗が押しかけたら、抵抗しないのか?」
 「断固抵抗する。だがピュールは強盗ではない」
 「俺達にとっては同じ事さ。それともこれは侵略ではないと言うのか?」
 私はその質問には答えず、結論だけを言った。
 「抵抗しなければ、命は保証する。この戦いは無意味だ。今すぐ止めろ」
 「いや、そうでもないさ。俺の考えでは、この戦いは意味がある」
 私は車椅子に座った男を見た。
 「人間には感情がある。そしてそれは理屈じゃない。負けると分かっていても、武器を持った強盗に、素手で立ち向かうのは、愚か者のする事なのか?」
 「負けると分かって戦うのは、愚か者のする事だ」
 「そうかもしれない。だが人間にそういう感情がある事は否定できないだろう?」
 私は何も言い返さなかった。するとサングラスをかけた亜麻色の髪をした男は、続けた。
 「それを勇敢と呼ぶか、蛮勇と呼ぶかは観点の違いでしかない。強盗なら、警察でも呼べばいいが、侵略者に対してはどうする?抵抗せず、黙って従えと言うのか?」
 「だからと言って、必要のない戦いを起し、多くの人を巻き込む事は悪い事だ」
 私はすでに多くの敵味方の血を流した。これ以上の流血は要らない。
 「戦いは感情の産物だ。必要、不必要の問題ではない」
 「それは違う。負けると分かって戦う事は、明らかに不必要な戦いだ。なによりも貴重な人命を無意味に奪う。これは明確に悪だ」
 「明確に悪?お前は一体何を基準に話をしている?」
 「正義だ」
 車椅子に座った男は突然、調子外れにけたたましく嗤った。
 「正義?正義ときたか。正義とは何だ?ご高説を伺おうじゃないか」
 「戦争に勝った者に正義がある。なぜならば勝者が敗者を裁かねば、公平さが失われ、世界の秩序が成り立たなくなるからだ。そしてこの戦いはピュールが必ず勝つ」
 私はピュールが外交でよく使う、お決まりの台詞をそのまま言った。
 「大した正義だな。それならば正義は技術的な問題に過ぎない。どちらがより軍事的に優位に立っているかどうか、どちらに勝ち目があるかどうかで、正義の有無が決まるわけだ」
 私は特に反論せず、一番肝心なところを訊いた。
 「先の演説で、切り札があると言ったな。あれは何だ?」
 「あれははったりだよ。皆に希望を持たせなければならないからな」
 私は沈黙した。よけいに分からなくなった。この男は一体何を考えているのか?
 「テティス。相変わらずお前は、一本調子で素直な奴だな」
 「嘘なのか?嘘を言ったのか?何を隠している?」
 「好きに取りな。とにかく俺達は本気だ。それだけは間違いない」
 サングラスをかけた亜麻色の髪をした男は、震える手を大公妃に伸ばした。彼女は彼の手を優しく握り返し、私達に向かって微笑んだ。どこか寂しげな微笑だった。
 「まさか、死ぬ気か?死ぬ気でピュールと戦うつもりなのか?」
 「ああ、そうさ。俺は人間のそういう感情を代弁しているだけだ。別に俺が立たなくても、きっと別の誰かが立ち上がるだろう。それならば俺がやる」
 「自殺行為だ。なぜそんな事をする?」
 「お前がこの星に来る以前から、俺にはこれまで歩んできた道程がある。そしてその道程から外れて、自分の筋を曲げるような事を俺はしたくない」
 私は沈黙した。車椅子に座った男は続けた。
 「俺には俺の考えがあった。だがお前をこの星から逃したせいで破綻した。俺の構想は、この星の鎖国が大前提だったからな。今から思えば、お前がこの星に来た時点で、俺は負けていたのかもしれない。なあそう思わないか?兄弟」
 サングラスをかけた亜麻色の髪をした男が、ジュリヤンに向かってそう問いかけた。
 「確かにピュールが来る以前では、あなたの考えは正しかったかもしれない。だがピュールが来たおかげで、僕達には技術的に不可能だった事が可能になり、選択肢が増えた。そういう意味では、ピュールは単なる侵略者ではない。むし ろ僕達の救い主かもしれない」
 「惑星改造か。壮大な話だな」
 車椅子に座った男がそう感想を述べると、ジュリヤンは頷いた。
 「ジュリヤン。お前は今でもテティスを帰した事を、正しかったと思っているか?」
 「無論だ。むしろ今の状況を見て、より一層確信した。五年前の判断は間違っていなかった。もしテティスがいなかったら、ピュールはもっと強硬な手段を取ったかもしれない」
 サングラスをかけた亜麻色の髪をした男は、満足そうに答えた。
 「兄弟は、俺ができなかった事をやり遂げるかもな」
 「そんな事はない。あなただって、僕の立場を理解しているはずだ」
 「ああ、分かっている。だから俺が道を切り開く。後は任せたぜ」
 車椅子に座った男がそう言うと、なぜかジュリヤンはちょっと困惑したような顔をした。だが私が、その真意を尋ねるよりも先に、右手首の通信装置が鳴った。副長からだった。
 「艦長、敵艦が砲撃しながら本艦に向かって来ます」
 「艦を発進させろ」
 「ですが、それだと艦長達が」
 「今は艦の安全を確保しろ。帰る所がなくなっては元も子もない。後で連絡する」
 また右手首の通信装置が鳴った。武器課の少尉からだった。
 「こちら、灯台下。もう長くもちません。退路の確保も断念しました」
 「分かった。こちらに上がって来い。私と合流するのだ」
 再度右手首の通信装置が鳴った。調理課の少尉からだった。
 「こちら、厨房。敵に包囲されました。火の回りが早い」
 私はとっさに答える事ができなかった。彼らは助からない。助ける事ができない。
 「必ず助けに行く。それまで頑張るんだ」
 「了解。信じてますぜ。艦長」
 腕を下ろして、通信を切った。私は嘘吐きだ。だがそれで皆が希望を持てるのなら、この先も私は嘘を吐き続けるだろう。だがいつまでも耐えられそうにない。
 「イル・アンシャンテ・フローリス、もう一度言う。今すぐ全ての戦闘を停止せよ」
 私が光学小銃を構えると、赤紫色の衣を纏った男達も小銃を構えた。私の部下達も散開して、光学小銃を構えた。お互い一射で殺せる間合いだ。
 「それはできない相談だな。俺達はすでに立ち上がった。仮に今この場で、俺達を倒したとしても、このヴィオレにぞくぞくと同志が集ってくる。それはお前達でも止められない」
 サングラスをかけた亜麻色の髪をした男がそう答えると、突然別の声が響いた。
 「ヴィオレ?ブランはブランじゃ。ヴィオレなど知らん」
 海を眺めていた酔漢が、のそりと立ち上がった。ラム小父さんだった。今まで全然気付かなかった。どうやら最初からこの場にいたようだ。
 「お前さん達は、このブランで、ピュールだの紫の公国だの、勝手な事ばかり言ってくれる。だがな、このブランはわしのような引退した水上機乗りと海の民の島じゃ。余所者は全部出て行ってもらいたい。争い事はもう沢山じゃ。静かに暮らさせて欲しい」
 ラム小父さんは酒瓶を振り回して熱弁した。
 「すまないな。爺さん。勝手に使わせてもらって」
 車椅子に座った男が謝ると、ラム小父さんは言った。
 「全くじゃ。わしにとっては、お前さん達のどちらも盗人同然じゃ」
 「できる限りの補償はする。だがここにいる限り命の保証はできない」
 サングラスをかけた亜麻色の髪をした男がそう答えると、ラム小父さんは涙ながらに言った。
 「ブランを返せ。元の静かな海の浮島に戻すんだ」
 ジュリヤンが私から離れて、ラム小父さんの側に行った。そして紫の大公に念話で尋ねた。
 「海の民は?彼らはどうしている?」
 「事前に長老と話し合ったが、合意は得られなかった。だから武力で強制退去を促した」
 車椅子に座った男がそう答えると、ラム小父さんは吠えた。
 「何が侵略者と戦うだ!侵略者はお前さん達じゃないか!」
 その一言は、爆弾のようにその場全員の内側で炸裂した。私はこの争いの真の犠牲者を改めて思い知った。それはこのブランの住人だったのだ。それなのに私は、五年前は彼らの協力を仰ぎ、今度は彼らの生活の拠点を破壊しようとしている。私は正真正銘の侵略者だ。
 「ラム小父さん。私です。五年前お世話になったテティスです」
 私が光学小銃を投げ出して、ラム小父さんの元に駆け寄ると、酔漢はただ私を見上げた。
 「本当にすみません。私だってこんな事はしたくなかったのです!」
 それは自分勝手な言い訳だと自分でもよく分かっていた。だがそう言わずにいられなかった。そうか。これが感情というものなのだな。私は今、初めて人間らしい心に触れた気がする。
 「テティスか。こんなに血塗れになって」
 ラム小父さんは、にかわのように固まった私の髪を撫でてくれた。そして優しく言った。
 「わしはどういう訳か、お前さんだけは憎む気にはなれない。それはジュリヤンとの事もあるし、五年前の大浮上のせいもある。あの冒険は年甲斐もなく楽しかった。だけどこんな結果になってしまうなんて思わなんだ。一体何が間違っていたのだ?」
 その時、ジュリヤンが私を見た。そして私達三人はお互いを見た。もしかしたら、この三人で顔を会わせるのも、これが最後かもしれない。そういう予感があった。
 五年前、私達はお互い全く血の繋がりもないのに、家族のふりをして宴会を開いた事があった。今から思えば、本当に奇妙に縁だった。
 「ラム小父さん、ここは危険です。一緒に逃げましょう」
 だがラム小父さんは静かに首を振った。私が困って、ジュリヤンの顔を見ると、また右手首の通信装置が鳴った。副長からだ。
 「艦長、アナバシス発進しました」
 「こちらに回せ」
 「回せって、どうするつもりですか?」
 「空から直接回収せよ」
 私はそう命じると、通信を切って、立ち上がった。
 「艦長、増援が合流しました」
 部下が私にそう報告した。どうやら武器課の少尉が来たようだ。私は調理課の少尉に連絡を取ろうとして腕を上げたが、下してしまった。何と言うべきか、言葉が見つからない。
 「どうやら、俺達もお迎えが来たようだな」
 サングラスをかけた亜麻色の髪をした男がそう言うと、風が巻き起こって、紫色の飛行船が灯台の近くに現われた。こちらを迎えに来たアナバシスも近くにいる。だが私達は、二隻の船が巻き起こす風のせいで、地面に伏せるか、柱につかまるしかなかった。
 「ジュリヤン、テティス、また会おう」
 見ると、紫色の飛行船が灯台の展望台に接岸して、赤紫色の衣を纏った男達と、青紫色の軍服を着た男達が降りて来て、あの二人を回収していた。私は床に伏せたまま、光学小銃を掴むと、車椅子に座るあの男を狙った。
 今なら殺れる。私はそう思うと、引き金に指を置いた。だが次の瞬間、車椅子を牽く紫の大公妃が立ち塞がり、撃つ事ができなくなった。サンタンジェリク・ヴォートルダームだ。私は光学小銃を置いて、吹き荒ぶ風に抗うように叫んだ。
 「本当にその男について行くのか?」
 黒髪と赤紫のリボンを風に散らしながら、大公妃はにっこりと優雅に微笑んだ。こんな時でも、いつもと変わらない彼女の微笑みがやけに印象に残った。私はあの戦いが終わってから彼女と会う事は二度となかった。だがそれは私の中で残った美しい一枚の絵のようだった。

                             第五章 了

『空と海の狭間で』9/10話 第六章 独立戦争


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?