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うつろ舟の金色姫

 1803年3月24日、享和3年、江戸時代の話だ。
 田吾作は、原舎濱(はらしゃりはま)を歩いていた。
 利根川の河口近くで、太平洋が見える砂浜だ。
 常陸国鹿嶋郡(ひたちのくにかしまぐん)と言う。
 現在の千葉県銚子市の近くだ。
 利根川の太平洋側なので、茨城県に属する。
 関東地方で一番、太平洋側に伸びた岬のような土地だ。
 利根川が形成した地形とも言える。
 その日は、朝から霧が出ていて、やや曇っていた。
 田吾作は海を見ていた。ふと海岸線に、目を転じた。
 何か転がっている。砂浜に大きなものが見えた。
 それは大きな茶釜みたいな形をしていた。
 近くに若い女の人がいて、困っていた。
 白い箱を持って、ウロウロしている。
 あっ、気が付いた。こちらにやって来る。
 田吾作も若い女に近寄った。会話が始まった。
 「くぁwせdrftgyふじこlp」
 何を言っているのか分からなかった。
 「あzsxdcfvgbhんjmk」
 「……え?何だって?」
 若い女はがっかりしていた。嘆息している。
 田吾作は若い女をよく見た。異人のようだ。
 金髪碧眼で白い肌、やけに白い歯をしている。
 身長は5尺(150cm)くらいで、髪が長い。
 田畑の刈乙女みたいな薄い布が垂れ下がり、顔を半分隠している。
 手に持っている白い箱は謎だった。玉手箱か。
 う~ん。これでは何だか分からない。困っているのか?
 若い女が手招きするので、大きな茶釜に近寄った。
 それは長さが3間(約5.5m)あった。茶釜ではない。
 碁石を入れる碁笥(ごす)のような形をしていた。
 いや、お香を入れる香盒(こうごう)かもしれない。
 とにかく、そんな形をしていた。
 若い女がしゃがみ込んで、丸底を指差している。
 小さくて白い札が張られて、何か書かれている。
 「AD29770707」
 文字のようだが読めない。異国の文字か。
 田吾作が静かに首を振ると、若い女は、中に案内した。
 中は明るく、天窓があり、椅子があった。それだけだ。
 動力源というか、仕掛けらしき機材は見当たらない。
 うつろだ。この乗り物は一体何だろうか?
 そもそも乗り物なのか?うつろ舟?
 「……この舟で海を渡って来たのか?」
 田吾作は尋ねた。
 ――違う。
 若い女がこちらを見詰めていた。今、声がした?
 ――私は遠い処から来た。
 それは見れば分かる。異国の姫か。
 しかしこの声は何だ?直接頭に響いて来る。
 「……妖術の類か?」
 田吾作がそう言うと、若い女はまた嘆息した。
 
 とりあえず、困っているようなので、田吾作は通報した。
 村の顔役と相談役の老人、その他大勢がやってきた。
 彼らは遠巻きに、うつろ舟の金色姫を見ていた。
 「……あの女は異国の皇女に違いない」
 相談役の老人は言った。
 「といいますと?」
 村の顔役が尋ねた。
 「……異国で禁を犯したため、海に流された」
 「どのような禁を犯したのですか?」
 相談役の老人は片目を瞑った。
 「……あの白い箱を見ろ」
 村の顔役は、金色姫が持つ玉手箱を見た。
 「……あの箱の中には男の首が入っている」
 「え?そうなのですか?」
 村の顔役は驚いた。
 「……そうだ。愛人の首が入っている」
 相談役の老人がそう言うと、村の顔役は恐れた。
 「でも何で男の首が入っているんですか?」
 「……禁を破ったからだ。男は処刑された」
 「なぜ皇女は処刑されなかったのですか?」
 「……皇女を殺す訳に行かない。だから海に任せた」
 「海に任せた?」
 「……ああ、そうじゃ。助かるも助からないも海と言う訳じゃ」
 村の顔役はそんなものかという顔をしていた。要するに追放か。
 金色姫は、うつろ舟から離れると、田吾作に向かって行った。
 何やら話し掛けているようだが、田吾作が首を振っている。
 ダメだ。話が通じていないようだ。やはり異国の姫か。
 金色姫がこちらにやって来た。田吾作も付いて来る。
 何やら怒っていた。こちらが話していた内容が伝わったようだ。
 でたらめだと言っているのか。仕方なく村の顔役は食べ物を出した。
 とりあえず、茶を飲んで、飯でも食べて、落ち着いてもらおう。
 だが金色姫は、こちらが用意した食事は拒否した。
 自前で用意した食べ物があるらしい。金色姫はうつろ舟に入った。
 「これからどうします?」
 田吾作が尋ねると、村の顔役は思案した。
 「……地頭様に言うしかない」
 明らかに村の管轄を超えている。村でどうにかできる問題ではない。
 最終的には、江戸まで話が届いて、老中の預かりとなるか。
 「長崎に回ってもらうにしても、遠いな」
 相談役の老人はそう言った。
 この時代、外国関係は長崎が預かる事になっている。
 そもそもこのうつろ舟は動くのか。金色姫は何をしているのか。
 だがそうこうしているうちに、うつろ舟が薄く発光し始めた。
 田吾作たち村人は下がって、様子を見守った。
 うつろ舟は宙に浮き上り、ゆっくりと回転し始めた。
 ふと霧が出て来た。風も吹いて、上空に「穴」が発生した。
 うつろ舟は、上昇して、その黒い「穴」の中に入って行った。
 すると、「穴」がふっと消えて、何事もなくなった。
 後に残されたのは、田吾作たち村人だけだった。
 
 この事件はこれで終わりだ。後日談もない。
 共通して伝わるあらましはこうだ。
 享和三年、常陸国の原舎濱に「うつろ舟」が漂着した。
 香盒のような形をしていて、長さが3間あった。
 5尺の若い女がいて、白い箱を持ち、異国の言葉を喋った。
 村で対応したが、最終的にどうなったのか伝わっていない。
 うつろ舟は、立ち去ったようだが、詳細が分からない。
 郷土資料も複数存在し、簡単なスケッチも残されている。
 若い女の絵と、うつろ舟の絵だ。
 この事件は何なのか?宇宙人という説もある。
 『南総里見八犬伝』で有名な戯作者、曲亭馬琴(注114)も取り上げた。
 兎園会(とえんかい)という文人たちの会合で、馬琴が発表した。
 「虚舟の蛮女」という短いお話だ。好事家(こうずか)が珍重した。
 この事件が起きた場所は、現在正確に分かっている。記事を引用する。
 
 漂着地は「常陸原舎濱(ひたち はらしゃりはま)」と記されている。江戸時代の常陸国鹿嶋郡に実在し、伊能忠敬が作製した地図「伊能図」(1801年調査)にある地名で、現在の神栖市波崎舎利浜(しゃりはま)に当たる。(注115)
 
 事件が起きた日時は二説ある。1803年2月22日と同年3月24日だ。
 最近、新資料が発見されたため、そうなっている。
 日本のロズウェル事件とも言われるが、宇宙人ではないかもしれない。
 どちらかと言うと、未来人で、タイム・マシンの類ではないか。
 うつろ舟の中は、あまりに物がなかったそうだが、これはUFO的だ。
 タイム・マシンもUFOも、時空を渡る点で、似たようなものである。
 うつろ舟の金色姫は、江戸時代に来た未来人だったではないだろうか?
 
注114 曲亭馬琴/滝沢馬琴(1767~1848年)『南総里見八犬伝』1842年 江戸
注115 茨城新聞、2014年5月14日、記事「「うつろ舟」漂着は波崎?」
国立公文書館 https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hyoryu/contents/12.html#sec2
参考動画 https://www.youtube.com/watch?v=aGaKIrrBbJo

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺019

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