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[英詩]ディランと聖書(14) 聖書と文学(Gilmour-3)

※ 旧「英詩が読めるようになるマガジン」(2016年3月1日—2022年11月30日)の記事の避難先マガジンです。リンク先は順次修正してゆきます。

※「英詩のマガジン」の主配信の12月の1回目です(英詩の基礎知識の回)。

ディランと聖書の関りについては、いろいろなアプローチがありえます。それを原点に返って考えてみます。なお、この問題は、ディランを〈詩〉や〈小説〉や〈文学一般〉と置換えても ほぼ成立します。

何度か触れた新約聖書学者のギルモー (Michael J. Gilmour) の研究 (下記の基本的文献の (3), 下) について、そのアプローチを正面から考える3回めです。

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前回は、方法論の議論に入る前のトリヴィアのような話題に終始しました。1965年のインタビューでの記者との会話を聴き直す。ボブ少年に教えたラビ。ディランの改宗についての研究書をディランが自分で買って知人に配ったこと。インタテクスチュアリティの語を発明したクリステヴァがディランより1ヶ月だけ年下であること。等々です。ギルモー自身が、なぜディランなのかの問いには答えられていません。それだけ、この問題は攻めるのが難しそうです。ただ、ギルモーが目指しているのは、英文学への聖書の影響をまとめた 𝐴 𝐷𝑖𝑐𝑡𝑖𝑜𝑛𝑎𝑟𝑦 𝑜𝑓 𝐵𝑖𝑏𝑙𝑖𝑐𝑎𝑙 𝑇𝑟𝑎𝑑𝑖𝑡𝑖𝑜𝑛 𝑖𝑛 𝐸𝑛𝑔𝑙𝑖𝑠ℎ 𝐿𝑖𝑡𝑒𝑟𝑎𝑡𝑢𝑟𝑒 のディラン版だということは、おそらく確かでしょう。

ともあれ、今回は、その続きで、やっと方法論の問題に入ります。

本マガジンは英詩の実践的な読みのコツを考えるものですが、毎月3回の主配信のうち、第1回は英詩の基礎知識を取上げています。

これまで、英詩の基礎知識として、伝統歌の基礎知識、Bob Dylan の基礎知識、バラッドの基礎知識、ブルーズの基礎知識、詩形の基礎知識などを扱ってきました。(リンク集は こちら )

また、詩の文法を実践的に考える例として、「ディランの文法」と題して、ボブ・ディランの作品を連続して扱いました。(リンク集は こちら )

詩において問題になる、天才と審美眼を、ボブ・ディランが調和させた初の作品として 'John Wesley Harding' をアルバムとして考えました。(リンク集は こちら)

また、7回にわたってボブ・ディランとシェークスピアについて扱いました (リンク集は こちら)。

最近は、歴史的には、そして英語史的にも、同時代の英訳聖書と、ディランについて扱っています。

「ディランと聖書」シリーズの第1回でもあげましたが、ディランと聖書の問題を考えるうえでの基本的文献は次の通りです。

(1) Bradford, A[dam]. T[imothy]. 'Yonder Comes Sin' [formerly 'Out of The Dark Woods: Dylan, Depression and Faith'] (Templehouse P, 2015)
(2) Cartwright, Bert. 'The Bible in the Lyrics of Bob Dylan', rev. ed. (1985; Wanted Man, 1992)
(3) Gilmour, Michael J. 'Tangled Up in the Bible' (Continuum, 2004)
(4) Heylin, Clinton. 'Trouble in Mind: Bob Dylan's Gospel Years - What Really Happened' (Route, 2017)
(5) Karwowski, Michael. 'Bob Dylan: What the Songs Mean' (Matador, 2019)
(6) Kvalvaag, Robert W. and Geir Winje, eds., 'A God of Time and Space: New Perspectives on Bob Dylan and Religion' (Cappelen Damm Akademisk, 2019) [URL]
(7) Marshall, Scott M. 'Bob Dylan: A Spiritual Life' (WND Books, 2017)
(8) Rogovoy, Seth. 'Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet' (Scribner, 2009)

これら以外にも、一般のディラン研究書のなかにも聖書関連の言及は多く含まれています。それらについては、参考文献 のリストを参照してください。

※「英詩が読めるようになるマガジン」の本配信です。コメント等がありましたら、「[英詩]コメント用ノート(202112)」へどうぞ。

このマガジンは月額課金(定期購読)のマガジンです。月に本配信を3回お届けします。各配信は分売もします。

英詩の実践的な読みのコツを考えるマガジンです。
【発行周期】月3回配信予定(他に1〜2回、サブ・テーマの記事を配信することがあります)
【内容】〈英詩の基礎知識〉〈歌われる英詩1〉〈歌われる英詩2〉の三つで構成します。
【取上げる詩】2018年3月からボブ・ディランを集中的に取上げています。英語で書く詩人として新しい方から2番めのノーベル文学賞詩人です。(最新のノーベル文学賞詩人 Louise Glück もときどき取上げます)
【ひとこと】忙しい現代人ほど詩的エッセンスの吸収法を知っていることがプラスになります! 毎回、英詩の実践的な読みのコツを紹介し、考えます。▶︎英詩について、日本語訳・構文・韻律・解釈・考察などの多角的な切り口で迫ります。

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これまでのまとめ

ディランと聖書の問題を扱うシリーズの概要は次の通りです。

シリーズの (1), (2), (3), (4) についての簡単なまとめは こちら

シリーズの (5), (6), (7), (8) についての簡単なまとめは こちら

シリーズの (9), (10), (11) についての簡単なまとめは こちら


聖書と文学、聖書とディラン

前回は、ギルモーが聖書とディランについて考える上で2つの問題があることを取上げた。一つはそれについての書を著すだけの理由 (ディランにおいて本当に聖書はそれほど顕著な問題なのか)。もう一つは自分がなぜディランを取上げるのか。後者については、いろいろ他の研究を挙げてはいるものの、結局自身のことには答えられていない。

ギルモーはディランと聖書について考える際の方法論は、インターテクスチュアリティを用いると言っている。それはどんな方法論なのか。


Intertextuality の最もシンプルな形

ギルモーは intertextuality の最もシンプルな形は〈源泉の特定〉(source identification) であると言う。あるテクストがどこから引かれているか、その身元確認をおこなうことだ。あるテクストが本人の作ったテクストではなくて、どこかから来ているとなったときに、その出典を探りあて、確かにそれだと把握することだ。

その目的は、ブルーム (Harold Bloom) 風に言えば、「文学的先駆者 (先輩、さきがけ、先鋒)」'literary precursor' を見つけることだ。あるテクストを作った人 (author) が親しんでいる作品が、その元の形からさまざまな度合いで変えられて、テクスト中に引用や言及の形で取込まれるとき、その源泉である作品を特定することだ。

ところが、このような intertextuality の理解は、あまりにも単純化しすぎであると、馬鹿にされてきた。クリステヴァ (Julia Kristeva) が「源泉研究という陳腐な意味」(banal sense of 'study of sources') に言及し、ブルームが「退屈な元ネタ探し屋、引用列挙産業」(wearisome industry of source-hunting, of allusion-counting) などと揶揄したことがある[「産業」の語は、文学研究の世界で肥大化しすぎた業態についてけなす言い方(the Shakespeare industry「シェイクスピア産業」など)]。


著者の意図

しかし、ギルモーは、ここで問題なのは、あくまで解釈であると指摘する。単に源泉を発掘し、著者の意図と著者における文脈を復元することで、はたしてあるテクストの意味が明らかになるのか。まず確実にそうはならないと、ギルモーは言う。

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