詩のタクソノミ

世界最高の韻律書

 詩人の多くは詩学をタクソノミ(分類の学)と捉えているのではないか。

 アイルランド語強勢詩についての世界最高の韻律書を書いたのはブランケンホーンという人だけど、その本はほとんど読まれた形跡がない(著者に会ったときに確認した)。だから、中身も世に知られてはいない。でも、ともかく、読んでみると、中身の大部分はタクソノミだ。徹頭徹尾タクソノミだ。

 よく考えてみると、べつに不思議でない。和歌でも俳句でもタクソノミの嵐だ。詩を作る人は自分がどういう詩を作っているか意識している。また意識していなければ作れない(霊感の奔流にしたがう稀有な作詩事例を除く)。無形の詩などというものはない。

詩論と文芸批評は似て非なるもの

 詩学をもって論じられた文章と文芸批評の文章とは一見似ているけれども、まったく違うものだ。

 文芸批評は文学の一分野だけれどもアイルランド語や英語の詩学はその実体は数学や言語学に近い。どちらかといえばサイエンスといったほうがいい。サイエンスだとすれば、基礎から積み上げれば、だれでも理解可能だ。文学的感性は必要ない。

 しかし、なぜそうなっているのか、その初期値を与えるのはサイエンスではない。インスピレーションとか詩的霊感とか呼ばれるものや、文学的感性、文学的直観など、サイエンスの対極にあるものがそれを与える。それを解くためにこそ文芸批評がある。

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