見出し画像

[英詩]ディランと聖書(13) 聖書と文学(Gilmour-2)

※ 旧「英詩が読めるようになるマガジン」(2016年3月1日—2022年11月30日)の記事の避難先マガジンです。リンク先は順次修正してゆきます。

※「英詩のマガジン」の主配信の11月の1回目です(英詩の基礎知識の回)。

ディランと聖書の関りの問題にはいろいろなアプローチがあります。その点について、原点に返って考えてみます。なお、この問題は、ディランを〈詩〉や〈小説〉や〈文学一般〉と置換えても ほぼ成立します。

これまで何度か触れてきた新約聖書学者のギルモー (Michael J. Gilmour) の研究ですが (下記の基本的文献の (3), 下)、彼のアプローチについて正面から取上げてきませんでした。そこで、前回 から、それを考えはじめました。

画像2

本マガジンは英詩の実践的な読みのコツを考えるものですが、毎月3回の主配信のうち、第1回は英詩の基礎知識を取上げています。

これまで、英詩の基礎知識として、伝統歌の基礎知識、Bob Dylan の基礎知識、バラッドの基礎知識、ブルーズの基礎知識、詩形の基礎知識などを扱ってきました。(リンク集は こちら )

また、詩の文法を実践的に考える例として、「ディランの文法」と題して、ボブ・ディランの作品を連続して扱いました。(リンク集は こちら )

詩において問題になる、天才と審美眼を、ボブ・ディランが調和させた初の作品として 'John Wesley Harding' をアルバムとして考えました。(リンク集は こちら)

また、7回にわたってボブ・ディランとシェークスピアについて扱いました (リンク集は こちら)。

最近は、歴史的には、そして英語史的にも、同時代の英訳聖書と、ディランについて扱っています。

「ディランと聖書」シリーズの第1回でもあげましたが、ディランと聖書の問題を考えるうえでの基本的文献は次の通りです。

(1) Bradford, A[dam]. T[imothy]. 'Yonder Comes Sin' [formerly 'Out of The Dark Woods: Dylan, Depression and Faith'] (Templehouse P, 2015)
(2) Cartwright, Bert. 'The Bible in the Lyrics of Bob Dylan', rev. ed. (1985; Wanted Man, 1992)
(3) Gilmour, Michael J. 'Tangled Up in the Bible' (Continuum, 2004)
(4) Heylin, Clinton. 'Trouble in Mind: Bob Dylan's Gospel Years - What Really Happened' (Route, 2017)
(5) Karwowski, Michael. 'Bob Dylan: What the Songs Mean' (Matador, 2019)
(6) Kvalvaag, Robert W. and Geir Winje, eds., 'A God of Time and Space: New Perspectives on Bob Dylan and Religion' (Cappelen Damm Akademisk, 2019) [URL]
(7) Marshall, Scott M. 'Bob Dylan: A Spiritual Life' (WND Books, 2017)
(8) Rogovoy, Seth. 'Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet' (Scribner, 2009)

これら以外にも、一般のディラン研究書のなかにも聖書関連の言及は多く含まれています。それらについては、参考文献 のリストを参照してください。

※「英詩が読めるようになるマガジン」の本配信です。コメント等がありましたら、「[英詩]コメント用ノート(202111)」へどうぞ。

このマガジンは月額課金(定期購読)のマガジンです。月に本配信を3回お届けします。各配信は分売もします。

英詩の実践的な読みのコツを考えるマガジンです。
【発行周期】月3回配信予定(他に1〜2回、サブ・テーマの記事を配信することがあります)
【内容】〈英詩の基礎知識〉〈歌われる英詩1〉〈歌われる英詩2〉の三つで構成します。
【取上げる詩】2018年3月からボブ・ディランを集中的に取上げています。英語で書く詩人として新しい方から2番めのノーベル文学賞詩人です。(最新のノーベル文学賞詩人 Louise Glück もときどき取上げます)
【ひとこと】忙しい現代人ほど詩的エッセンスの吸収法を知っていることがプラスになります! 毎回、英詩の実践的な読みのコツを紹介し、考えます。▶︎英詩について、日本語訳・構文・韻律・解釈・考察などの多角的な切り口で迫ります。

_/_/_/

これまでのまとめ

ディランと聖書の問題を扱うシリーズの概要は次の通りです。

シリーズの (1), (2), (3), (4) についての簡単なまとめは こちら

シリーズの (5), (6), (7), (8) についての簡単なまとめは こちら

シリーズの (9), (10), (11) についての簡単なまとめは こちら


聖書と文学、聖書とディラン

前回 はギルモーのアプローチについて見た。

今回は、聖書がディランを含む詩や文学に影響を与えている、そもそもの現場に近づいてみる。

フライ (Northrop Frye) が聖書について、〈これほど巨大で、無秩序に広がり、気配りのない書物が、われわれの文化的伝統の真ん中に「目に見えぬ敵」または『ペール・ギュント』のスフィンクスのように得体の知れぬものとして鎮座している〉のはなぜだろうと問うたことがある (Northrop Frye, 𝑇ℎ𝑒 𝐺𝑟𝑒𝑎𝑡 𝐶𝑜𝑑𝑒: 𝑇ℎ𝑒 𝐵𝑖𝑏𝑙𝑒 𝑎𝑛𝑑 𝐿𝑖𝑡𝑒𝑟𝑎𝑡𝑢𝑟𝑒 [Academic P, 1981])。


𝐴 𝐷𝑖𝑐𝑡𝑖𝑜𝑛𝑎𝑟𝑦 𝑜𝑓 𝐵𝑖𝑏𝑙𝑖𝑐𝑎𝑙 𝑇𝑟𝑎𝑑𝑖𝑡𝑖𝑜𝑛 𝑖𝑛 𝐸𝑛𝑔𝑙𝑖𝑠ℎ 𝐿𝑖𝑡𝑒𝑟𝑎𝑡𝑢𝑟𝑒

難問だ。この問題に答える前に、聖書が西欧文学にどのように影響を与えているかを調べた本が出ていると、ギルモーは指摘している。次の有名な本だ (下)。

David Lyle Jeffrey, ed., 𝐴 𝐷𝑖𝑐𝑡𝑖𝑜𝑛𝑎𝑟𝑦 𝑜𝑓 𝐵𝑖𝑏𝑙𝑖𝑐𝑎𝑙 𝑇𝑟𝑎𝑑𝑖𝑡𝑖𝑜𝑛 𝑖𝑛 𝐸𝑛𝑔𝑙𝑖𝑠ℎ 𝐿𝑖𝑡𝑒𝑟𝑎𝑡𝑢𝑟𝑒 (Eerdmans, 1992)

画像1

この本は、英文学の主要な作家において、聖書のモチーフや引用や言及がどのように現れているかを調べたものだ。ディラン版のそういう本がほしいものだ。

編者のジェフリはこういうプロジェクトが必要であったわけを、〈現代の英文学の読者にとっては、聖書は閉じられた本、「死んだ」本にさえなっているが、それでも、とりわけ聖書が絶えず「聞こえている」〉からであると、述べている。ディランを受取るひとも、同様の体験をしていることだろう。聖書のひびきは、しつこいくらいに聞こえてくる。

私はいろいろな機会にディランを講じたときに、このレベルまでは入れなかった。ディランのテクストそのものの解析で手一杯で、とても、そこここに聞こえる聖書のひびきにまで手を伸ばす余裕がなかったのである。

しかし、ボブ・ディランを真剣に聴こうとすれば、どうしてもこの問題は避けて通れない。

上に〈ディラン版のそういう本がほしいものだ〉と書いたが、ギルモーが 𝑇𝑎𝑛𝑔𝑙𝑒𝑑 𝑈𝑝 𝑖𝑛 𝑡ℎ𝑒 𝐵𝑖𝑏𝑙𝑒 を書いたのも、そのような意図だった。少なくとも、量ではなく、質において、𝐴 𝐷𝑖𝑐𝑡𝑖𝑜𝑛𝑎𝑟𝑦 𝑜𝑓 𝐵𝑖𝑏𝑙𝑖𝑐𝑎𝑙 𝑇𝑟𝑎𝑑𝑖𝑡𝑖𝑜𝑛 𝑖𝑛 𝐸𝑛𝑔𝑙𝑖𝑠ℎ 𝐿𝑖𝑡𝑒𝑟𝑎𝑡𝑢𝑟𝑒 のディラン版を目指した。量の問題をいえば、ギルモーの書は全146頁の薄い本であるのに対し、手許の 𝐴 𝐷𝑖𝑐𝑡𝑖𝑜𝑛𝑎𝑟𝑦 𝑜𝑓 𝐵𝑖𝑏𝑙𝑖𝑐𝑎𝑙 𝑇𝑟𝑎𝑑𝑖𝑡𝑖𝑜𝑛 𝑖𝑛 𝐸𝑛𝑔𝑙𝑖𝑠ℎ 𝐿𝑖𝑡𝑒𝑟𝑎𝑡𝑢𝑟𝑒 (ハードカヴァ) は大判で全960頁である (下)。圧倒的な差がある。収められた情報量にはざっと十倍以上の開きがある。

画像3

ギルモーが、近年増えつつあるディラン研究のうち、聖書的側面について貢献することを考えて著した同著の巻末には、ディランの全作品 ("𝐿𝑜𝑣𝑒 𝑎𝑛𝑑 𝑇ℎ𝑒𝑓𝑡" (2001) まで) における聖書への言及や引用が一覧で載っている ('Table One: A Selective Index of Biblical Imagery in Bob Dylan's Lyrics')。しかし、その部分は28ページしかなく、聖書関連の網の目のごく一部でしかないことはギルモーも分っている。本マガジンでも折にふれて指摘したように、実際にディランの各作品を分析してみると、ギルモーの表に漏れた部分は少なくない。


第1の問題

その上で、ギルモーは同著の意義に関連して、2つの問題を検討している。

第1の問題。この書で傾けるくらいの注意が必要といえるほど、聖書はディランの作品で顕著な存在なのか

この問いに対しては、ディランの1965年のインタビューのことばを額面通り受取れば、〈いいえ〉と答えたくなる。少なくとも、初期の作品に関しては。

イギリスを公演旅行中だったディランに、ロンドンの Evening Standard 紙の記者 Maureen Cleave が尋ねた、というより囁くように訊いたという。〈あなたは聖書を読むのですか〉と。ディランは間髪入れず no と答えた。

'I've glanced through it, but I haven't really [read it].'
ざっと目を通したことはあるけど、本当に読んだわけじゃない。

だが、この答えは、実は逆の方向を意味していると、ギルモーは言う。どういうことなのか。

ギルモーによれば、これは、(インタビューアが) ディランの歌をよく聴いて、知的な問いを準備するだけの時間をかけて来ない限り、まともな答えは返さない、という意味だという。

愚問を発する記者をディランが馬鹿にしていたことは、D. A. Pennebaker のフィルム ('Dont Look Back', 1967) などを見れば明らかだ。ギルモーはその映画で上記の記者とのやりとりを見て、ディランの言葉を文字にしたのである。

上記のギルモーの指摘に関し、補足しておきたい。

ここから先は

5,732字 / 3画像
この記事のみ ¥ 400
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?