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【哲学】ニーチェ思考で振り返る2020年

あいさつ

少し前に2020年に多発した自粛警察の行動動機を上手く代弁するドイツの学者を知ったので、今回はニーチェの話になります。

本題

哲学=世の中の仕組み

と捉えた時、ニーチェは人間が精神持ってた存在であり、世の中で発生する出来事に善悪の価値観で判断するものだと言ってます。
中でも、有名な発言として以下のものがあります。

「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」

これは世の中で発生する出来事に対し、数多の解釈を述べる人は存在するし、「既成事実化」した解釈も存在するが、どれも「事実」ではないとする考えです。

この考え方は人々が善悪の価値観で他者を判断する上で、正義の人と悪の人の対立軸を勝手に作る性質があるからとしています。例えば、自分よりも裕福な人物を嫌う者は自分より裕福な人物を悪の人と定義し、自分と同じ水準もしくは、自分以下の水準の裕福さの人物を同じ弱者としての正義の人とする思考になります。

このような対立軸の考え方を持つ者は、悪の人と定義した人物が不幸な目に合うと、悪を退治した弱者側の正義の人として歓喜する性質を持ちます。このように自身を弱者と勝手に決め、自分より優れたと劣等感を懐いた存在を干そうとする者達をルサンチマンと言います。

ニーチェは、人間の文明に弱者を正当化しようとするルサンチマン的な気質が根強いと考えてます。弱い人を助けたり、弱い人に同情するといった一見弱者を救済しようとする美徳の根幹にも、弱者を正当化しようとする性質があるとしています。この弱者を正当化する背景には、自身も弱者であると考え、同様に弱者として救済されたい願望があるからとしています。

ではなぜ、ニーチェはこのように主張しているかと言いますと、弱者が弱者を正当化する風潮により、弱者が更なる弱体化の連鎖に巻き込まれ、周囲に弱者を増やそうとするからだそうです。

どういうことかと言いますと、弱者を正当化する考え方によって、弱者から抜け出す為の変化を起こす行動を阻害する思考に陥るからになります。同じ弱者としての安心感を与え、変化の芽を摘んでしまいます。更に、弱者が集団化すると勝手に強者の存在を否定し、弱者から抜け出そうとするものを排除する意識を持つようになる。

結果として、弱者を救済する名目がいつの間にか弱者を増やすという矛盾が発生してしまい、弱者意識の結束が強ければ、強いだけ弱者として暮らしていこうとします。

このようにニーチェは、この負のスパイラルを指摘し、強者になろうとする意志の大切さを説いてました。ニーチェ的考えは強者が正義であり、強者にならなければいけない考えです。ただ、強者になろうとする者は弱者のみならず、強者の意見に惑わされずに自身の考えを持たなければいけない孤独な存在になる覚悟が必要とも言ってます。

周囲に惑わされずに自身の価値観で善悪の判断が可能な存在を超人としてます。

ただ、結局のところ、我々の実在する世界が無限の時間の中で、我々が行った行動と類似する行動を繰り返す無限ループ状態にあり、世界そのものには意味がない状態で無限の時間を過ごしているという結論をニーチェは出してます。

そんなニーチェは精神崩壊を起こし、亡くなりました。

2020年における自粛警察とのつながり

しかし、2020年を振り返れば、自粛警察がルサンチマンとして、勝手に悪の人と決めつけた商店に嫌がらせをするなどの被害が多発する様子を見る限り、ニーチェの考え方は今でも他者の行動動機を説明可能ということが分かります。

締め

ニーチェのように精神崩壊を起こさない範囲で、超人目線で冷静に暮らしていくことが大切であり、間違ってもルサンチマン的発想に染まってはいけないと思うこの頃です。

※ただ、本当に困っている人が再び立ち直れるように支援することは良いことだと私は考えてますので、そこのところは勘違いをされないようにお願いします。ニーチェも「よい評判を得るために自己を犠牲にしなかった人が何人いるだろう?」と述べてるように自己犠牲を否定している訳ではないので、ニーチェに対する評価も勘違いをされないようにお願いします。

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