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入院・手術前に心がけたこと〜後編〜〔卵巣腫瘍+開腹手術 道々の記⑱〕

さて、12月初旬に、病院から入院・手術日の決定と手術オリエンテーションの日程の連絡があり、いよいよ手術が間近に迫っていることを否応なく意識する日々… まだ、手術前にやっておきたいことがある!(前編はこちら)と、夫と相談しながら計画を立てました。

3rd step:三崎のマグロと海獺島あしかじま

私が今後の作品の種として関心を抱いているテーマのもう一つは、かつて、日本列島の沿岸に生息していた ”あしか" について。日本全国に、”あしか” や ”とど” の名前を冠した島や岩礁は100箇所以上あったそうなのですが。
私の身近なところにも ”あしか” がいたんだ!? と驚いた、浦賀の海獺島あしかじまは、地図を確認すると、一般人は陸上からでは島を近くに望む場所まで行けない環境にあり。どうしたら少しでも近づけるかな…と、あれこれ調べているうちに、東京湾フェリーの航路が近くを通っていることを発見!
「これなら、行けそう!今のうちに是非、行っておきたい!!」と夫に相談すると、それだけが目的ではいい顔をしてくれなかったけれど…三崎のマグロを食べに行くついでに、久里浜からフェリーに乗るなら、一緒に行ってもいいよ…と、渋々ながらも応じてくれました。

事前に京浜急行電鉄の『みさきまぐろきっぷ』を購入し、東京湾フェリーは、船上から夕陽を見られる日没前後の時間帯の、久里浜港→金谷港→久里浜港の往復90分の船旅を計画。二人のスケジュールを考慮して、手術オリエンテーションを数日後に控えた12月中旬に、決行しました。

幸い、当日はお天気にも恵まれて、まずは京急電車とバスで三崎港へ直行。三崎の漁師町を散策しながら、まぐろづくしのランチを堪能。大漁旗の染元を見学したり、お土産物を選んだり、味わい深い雰囲気のカフェでくつろいだり
…と、ひとしきり二人で楽しんだあと、久里浜へ移動して、いよいよ念願のフェリーに乗船しました。

浦賀の海鹿島には灯台があって目印になるので、久里浜の海岸からも遠目に小さく見えていたのですが、フェリーが久里浜港を出港すると、ぐんぐん近づいていって、デッキで潮風に煽られながら踏ん張ってカメラを構える私の心臓もドキドキしてきますー!

この日は、夕方から雲が出てきて、残念ながら海に沈む夕陽も、夕焼けで空が全面に染まる様子も見られませんでしたが…それでも、陸上から眺める小さな小さな海獺島の見え方よりも、グッと満足できる風景でした。

海獺島は二つの岩からなっていて、片方には灯台、もう片方には
この年の夏頃まで、波と風の観測を行うアシカ島海象観測ステーションが建っていました。
老朽化で撤去されたのでしょう。こんなに平らな岩なら、アシカの群れが寝っ転がれそう!


4th step:傷が入る前の身体を撮影

ロニ・ホーン展を見に箱根に行き、思いがけずも金色姫こんじきひめ像をたなごころに載き、浦賀の海獺島の撮影もできて、手術オリエンテーションほか一連の入院・手術前の説明が終わっても、まだ私の気持ちの内には、やり切れていない感じが残っていました。それは何故か…は、私自身が、一番よく知っています。

ある晩、思い切って夫に話してみました。「入院・手術の前に、もう一つ、やっておきたいことがあるんだけど… 傷が入る前の身体を、写真に撮っておきたいの。」夫は驚いた風もなく、真顔で受けとめてくれて、「それならどこで撮るか、だね。家では手狭だし、スタジオを借りるのは大袈裟だし… ホテルの一室で撮るのはどうだろう? 窓の大きい部屋を選べば、自然光で撮影できるよ」「どんなふうに撮りたいのか、よく考えておくといいよ」
…お互い、カメラマンであることで理解が早くて助かります。

残された時間は限りがあって… 私は年内の学校の仕事納めの帰り(入院のギリギリ3日前)の夕方、横浜の港に面したホテルの角部屋にチェックイン。夫は先に準備をして待っていてくれ、その晩は二人でゆっくりクリスマス前の夕食を楽しんで和やかに過ごし、翌朝、11時チェックアウトまでの間に、撮影を試みました。

自分でセルフポートレイトを撮りたかったので…iPhoneとiPadでシャッターを切るテザリング撮影をしましたが、自分で演出して自分を撮るのは、普段そんなことを試したことのなかった私には、なかなか難しく…。満足のいくものが撮れたか、というと微妙な感じですが、チャレンジしたことそのものには満足しました。最後に、少し夫にも撮影してもらい、ひとまず、これで入院・手術前に思い残すこともなくなり、気が済みました。


5th step:入院までの宿題に答えを出す

この試みの収穫は、思いがけないところにもありました。
翌朝の撮影に備えて、前夜はお行儀よく枕を並べて眠りについたのですが… 夫から「みちは、子宮をどうすることにしたの?」「麻酔はどうするの?」と、前回の病院での面談から宿題になっていたことをさりげなく問いかけられたのです。

病院で、手術とその内容をほのめかされた最初の時から…子宮を温存するかどうかについては、ずっと考え続けてきたことですし、硬膜外麻酔の副作用の可能性(=術後に足の痺れが出るかもしれないこと)については、日々の生活はもちろんのこと、カメラマンとしては、仕事や作品制作の実際に大きく影響する問題です。

この1ヶ月ほど、夫と自然の中に出かけて気分転換を楽しんできた間に、入院や手術について、当初の戸惑いから、徐々に現実を受け容れる心構えができてきていましたが、手術を目前にして、浮き彫りにされた宿題については、まだ迷いがありました。そして、夫から問いかけられるまで、自分の中でも、明確に答えを見出せていなかったような気がしていたのですが…
このタイミングで発せられた夫の静かな問いかけを、深く噛み締めて、一呼吸おいたとき、心の奥から自然に言葉が湧き出てきました。


「子宮については、ね。摘出することにしたよ。確かに、いま何も問題のない子宮を体から切り離してしまうことで体全体のバランスが崩れるんじゃないか、とか、気になる面もあるけれど。そして、子宮を温存して、定期的に検診を受けていればいいじゃないか、とも思ったけれど」

「でもね、この先、私もさらに歳を重ねて、それと同時に、母も、あなたも、歳を重ねていったときのことを考えるとね。今なら、あなたも元気だし、母も落ち着いているから、私はその点では安心して手術を受けられるけれど。この先、もしも私が具合が悪くなった時に、母やあなたの状態が良好かどうか、保証はない。母か、あなたか、どちらか、あるいは両方ともが具合が悪くなっていることも大いにありうる。そうなったら、とても大変だから、今のうちに、不安要素は取り除いておきたいと思うの」

「私の場合は、子宮に対して、妊娠して子を育む役割を果たさせてあげられなかった…と申し訳なく感じるところもあったのだけど。ふと、この子宮と一緒に生きてきた私が、写真の作品を、世の中に生み出すことができたのだから… もうそれでいいよね、と思えたんだよ。だから、今まで一緒にいてくれてありがとう、と、卵巣と、子宮と、お別れすることにしたよ」


「麻酔の副作用で、足に痺れが出たら…と思うと、この先の人生への影響は大きいだろうから、確かに怖いよ。でも、手術に臨むということは、麻酔だけでなく、どんな小さな確率でも、あちらあこちらにリスクは潜んでいて、ごくごく稀な割合でも、そのリスクに陥ってしまうこともある。でも、それを気にして忌避していたら、大元の病源を治療する目的が著しく損なわれてしまう。だから、不安要素にこだわるより、大いなる力に身を委ねて、治癒することを信じて臨もうと思う」

「先生方がどんなに細心の注意を払って手術に臨んでくださっても、どうしても、副作用や後遺症が残ってしまうことはあると思う。もしそうなったら、そうなったときで、その試練を与えられたことで、それまで全く気がつかなかった、別の恩寵や幸せに気づくこともできるんだと思うから、辛いことかもしれないけど、それをよしとして受け容れようと思う」

「硬膜外麻酔は、最悪しなくても何とかなるということだったけど、術後の痛みを抑えるのが目的だということは、麻酔がうまく効けば、術後の回復がより楽に、より早くなるということだと思う。だから、それを信じて臨んでみるよ」


自分でも驚くくらい冷静に、言葉が出てきて、びっくりしました。
夫も、驚いたかもしれませんが、静かに受け容れてくれました。
「そうか。わかったよ。今はとにかく、手術が順調に行われ、成功することを祈ろう!」と言ってくれ、二人とも安心して、穏やかな気持ちで眠りにつくことができました。

これが、この1ヶ月あまりの間に、二人で話し合ったり、病院の検査や面談に臨んだり、気分を切り替えて外出を楽しんだりしてきたことの、何よりの実りだったと、しみじみしました。家での会話ではなく、非日常の場と空間に身を置いたことが、良かったのだろうな…と思いました。

この撮影の間、寒くなってきたときに、私の体を温めてくれた、お気に入りのストールです。
薄手のウールの大判のストールを、肌にふわっとまとうだけで、ずいぶん暖かかったです!

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