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『むらさきのスカートの女』ノート

今村夏子著
朝日文庫
 
 この小説は2019年上半期の第161回芥川賞受賞作である。
 主な登場人物は書名になっている〈むらさきのスカートの女〉と語り手であり登場人物のひとりである〈黄色いカーディガンの女〉。なんとも不思議な読後感の作品である。
 
 〈むらさきのスカートの女〉の名前は日野まゆ子。〈黄色いカーディガンの女〉の名前は権藤という苗字しか出てこない。権藤はあるホテルの客室清掃会社のチーフをしている。
彼女は〈むらさきのスカートの女〉と友だちになりたいと思っており、まるでストーカーのように〈むらさきのスカートの女〉の行動パターンをつかみ、遠くからその存在を見つめる。そして自分と同じ仕事に就けようとさまざまな手を打つ。また面接のために髪の毛をはじめ身なりを整えさせようと工夫を凝らす。

 めでたく〈むらさきのスカートの女〉は同じ会社に採用され、最初の印象とちがって、テキパキと仕事をこなすようになり、その仕事ぶりが認められチーフに昇格という話まで出る。
 そのうち、彼女は妻子ある上司の所長と親しくなり、所長の車で一緒に出勤するようになり、たまに夜も一緒に過ごすようになる。
 一方、〈黄色いカーディガンの女〉は、何とか〈むらさきのスカートの女〉と友だちになりたいと、いろいろ手を尽くすがなかなかうまく行かない。
 
 と、ここまで書くと、よくあるプロットの小説のように思えるが、あちこちに不思議な不可解な場面が描かれる。
 例えば、最初の場面で〈むらさきのスカートの女〉がクリームパンを買って、公園の彼女専用のベンチでそれを食べる場面があるのだが、〈黄色いカーディガンの女〉も最後の場面でクリームパンを買って〈むらさきのスカートの女〉の同じベンチに座って食べようとするのだ。子どもたちはこの二人の女を区別していないように見える。
 
 〈むらさきのスカートの女〉は語り手である私の姉に似ている気がするということは、自分は〈むらさきのスカートの女〉に似ているのかと思う場面もある。

 また、私は〈むらさきのスカートの女〉と違って、その存在を知られていないし、誰も〈黄色いカーディガンの女〉のことを気にも留めない。

 通勤バスの中で、私は〈むらさきのスカートの女〉の右肩にご飯粒がついているのが気になり、それを取ってあげようと車内で近づいていくが、バスが揺れて彼女の鼻をつまんでしまう。しかし、彼女はバスをおりても自分を気にも留めない。まるで、そこにいない存在のように…。
 
 〈むらさきのスカートの女〉と同じバスに乗り、ずっとあとをつけていくと喫茶店で所長と待合せをしていた。〈黄色いカーディガンの女〉も同じ店に入る。そのあと二人が映画館に入ったので、彼女もついて映画を観るともなく、二人を観察している。そのあと二人が入った居酒屋にもついていくが、二人が店を出たあと、〈黄色いカーディガンの女〉は勘定もせずに店を出て行くが誰も追っかけてこない。
 
 二人の帰り道のバスにも彼女は乗り込み、背中合わせになるが、二人には気付かれない。
 
 まゆ子はある用件で自宅のアパートを訪ねてきた所長とトラブルになり、アパートの2階の通路から突き落としてしまう。そこに〈黄色いカーディガンの女〉が駆け付け、彼女を助けようとするが、まゆ子は〈黄色いカーディガンの女〉が誰か気付くこともない。しかし、彼女はまゆ子をその場から逃がす手助けさえする。逃げるときに約束した落ち合う場所にもいない。その後〈むらさきのスカートの女〉は今も見つかっていないと書く。
 
 と、何度も読み返すうちに、この二人の女は同じ女なのではないかと思いついた。表紙のデザインの不思議さにも納得がいった。
 
 解離性同一性障害の人の物語と書いてしまえば身もフタもないが、それをこのような物語にしてしまう作者の筆力に敬服する。
 全く違う読み方かも知れないが、作品は作者の手を離れると作者の意図にかかわらず多様な解釈があっていいと思うので、思い切って書いた次第である。

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