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『それでも、日本人は〝戦争〟を選んだ』ノート

加藤陽子
朝日出版社

 2009年に刊行されたこの本は、栄光学園という鎌倉市にある中高一貫校の中学1年生から高校2年生の生徒15人を相手に、歴史学者の加藤陽子が5日間の生徒への質問のやりとりを含む講義の内容を収録している。

 戦争を間近にしての、当時のわが国の指導者層の、天皇との距離感による本音と建て前の乖離などを織り込みながらの内容は多面的で興味深い。
 ちなみに栄光学園は高校からの生徒募集はしていない完全中高一貫男子校で、カトリック修道会の一つであるイエズス会を教育母体としている。

 著者の加藤陽子教授は当時東京大学文学部で、日露戦争から太平洋戦争までを講義しており、一番の専門は1930年代(昭和5年~14年)の外交と軍事で、いまは東京大学大学院人文社会系研究科に所属しておられる。

 内容は序章の〈日本近現代史を考える〉から、第1章〈日清戦争――「侵略・被侵略」では見えてこないもの〉、第2章〈日露戦争――挑戦か満州か、それが問題〉、第3章〈第一次世界大戦――日本が抱いた主観的な挫折〉、第4章〈満州事変と日中戦争――日本切腹、中国介錯論〉、第5章〈太平洋戦争――戦死者の死に場所を教えられなかった国〉と構成されている。

 序章のテーマのひとつ「なぜ二十年しか平和は続かなかったのか」では、E・H・カーという英国の歴史家の著作である『危機の二十年 1919-1939』を取り上げている。
 交戦諸国の戦死者数が1千万人を超えた第一次世界大戦後、1919年のパリ講和会議に始まったヴェルサイユ体制=国際連盟がなぜ20年しか保たれなかったのか。国際連盟設立を提唱したウィルソン大統領の米国は最終的には上院の反対で加盟できず、英国、フランス、イタリア、日本が中心となって発足するが、この国際連盟の試みが何故失敗したのかという問いにカーは正面から答えようとした。
その理由は、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジを卒業したばかりのカーは、外交官としてパリ講和会議に出席しており、カーにとっては他人事ではなく切実な問題であったからだ。

 第二次世界大戦が刻々と近づいてくる足音を聞きながら、当時の人々が持っていた敵国ドイツが一方的に悪いのだという一般的認識に反して、カーはドイツが悪いのではなく、そもそも国際連盟が間違っていたのだ、敗戦国ドイツに対する連盟の処し方が間違っていたのだと結論する。
 敗戦国ドイツに過剰ともいえる戦時賠償を課したことが、ナチスドイツ台頭の遠因であるという認識は、いまでこそ一般的になってはいるが、当時、カーがこのような一般的認識とは大きく異なった考え方を公表するのは相当勇気ある行為であったろう。

 同じく序章の五番目のテーマ「歴史の誤用」では、米国の歴史家、アーネスト・メイの『歴史の教訓』(1973年刊行)という著作を取り上げる。
ベトナム戦争の終結は1975年で1973年は米軍がベトナムから撤退した年だ。メイは、「なぜこれほどまでにアメリカはベトナムに介入し、泥沼にはまってしまったのか」と問う。

 米国の政府機関で最も頭脳明晰で優秀な補佐官たち(ベスト・アンド・ブライテストといわれていた)が政策を立案していたはずだったのに、何故泥沼にはまるような決断をしてしまったのか。メイは史料や記録を分析してその原因を提示している。

 第5章の最初のテーマの「太平洋戦争へのいろいろな見方」では、開戦の第一報を取り上げ、これを聞いて普通の人がどう思ったかというのは、なかなか記録に残らないと述べる。
 開戦の第一報は、大本営陸海軍部、午前6時発表の臨時ニュースとしてラジオで流された。
「帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という有名なフレーズであるが、これを聞いた政治学者の南原繁(後に東京大学総長)は次のような短歌を詠んでいる。
〈人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ〉
 その意味は、人間の常識を超えて、学問から導かれる判断をも超えて戦争は起こされた、日本は世界を敵にしてしまった、という嘆きであった。しかしこのような思いは、戦争反対の大きな声にはならなかった。
 
 開戦時の国民総生産は、米国は日本の12倍、軍需産業をはじめすべての産業の基礎となる鋼材は日本の17倍、自動車保有台数は日本の160倍、石油は日本の721倍もあった。このような絶対的な差を政府は国民に隠そうとはしなかった。むしろ物的な国力の差を克服するのが大和魂なのだと、精神力を強調するために国力の差異すら強調していたのである。そして「もう戦争しかない」と思ったのは何故なのか。
 
 講義内容のごく一部しか紹介できなかったが、この本を読み終えて、日清戦争から太平洋戦争までのわが国の戦争の正当化の論理と、近代史の断片的な知識が一つに繋がった思いがした。

付記:この原稿を書き終えたあと、新聞を読もうと開いたら朝日の13面に加藤陽子先生のインタビュー記事が載っていて驚いた。長く生きていると時々このようなシンクロが起きるのが面白い。

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