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『もう時効だから、すべて話そうか――重大事件ここだけの話』ノート


一橋文哉著
小学館文庫

 未解決事件あるいは冤罪事件に興味を持ったのは学生の頃だ。学生時代を過ごした長崎で起きた「県議会議長刺殺事件」(1969年・未解決)がそのきっかけだった。

 当時、大学のキャンパスには、「狭山冤罪事件糾弾!」、「石川一雄さん即時釈放!」、「ベトナム戦争反対!」などと書かれた大きな立て看が林立しており、その横では連日、ヘルメットを被ってタオルで目以外を覆った左翼系の学生が、独特の調子で「ベーテー」を糾弾していた。この「ベーテー」は最初聞いたときはわからなかったが、「米帝国主義」であり、それに追随する「日本政府」を糾弾していたのだった。
 彼らの主張は論理があるのかないのかよくわからなかったが、「狭山事件」については、その後、鎌田慧ほかいろんな作家が取り上げており、何冊も読んだ。

 そのほか、「三億円事件」「グリコ森永事件」「世田谷一家殺人事件」「餃子の王将社長射殺事件」「赤報隊事件(朝日新聞阪神支局襲撃事件ほか)」「八王子スーパー射殺事件」「警察庁長官狙撃事件」(順不同)などなど、未解決事件を取り上げた本を数多く読んだ。

 この本は、長年、新聞社の事件記者そして雑誌記者として取材をしてきた一橋文哉氏(覆面ジャーナリストと書かれてあるので、本名ではないのだろう)が、自身のノンフィクション作家としての原点となった「グリコ森永事件」をはじめ、三億円事件、オウム真理教事件、世田谷一家殺人事件、和歌山毒カレー事件など未解決事件だけでなく、犯人は捕まったが動機不明の事件を取り上げ、一般紙では決して報道されない事件の裏事情にも踏み込み、わが国の警察の捜査手法や刑事警察と公安警察の対立、刑事司法の在り方、少年犯罪者の更生施設などの問題点にも言及している。

 取り上げた事件の性質上、「すべて話そうか」という書名にもかかわらずところどころに奥歯にモノが挟まったような表現も見受けられるが、それがどのような意味なのかを考えるのも興味深い。

 三億円事件の項で、有名になった「白バイ警察官のモンタージュ写真」は捏造だったと書かれているが、私には既読感があった。随分前(少なくとも20年以上前)の月刊誌「文藝春秋」で同内容の記事を読んだ記憶があり、なぜこんな大事なことを新聞が報道しないんだと疑問に思った覚えがある。
「文藝春秋」のバックナンバーも自宅にかなりの数を保管してあったが、収容スペースの問題で、10数年前に廃棄した。ただし、興味深い記事は切り取ってホチキス止めした覚えがあるので、まだ3階のロフトに残っているかも知れない。著者の名前の記憶はないが、ひょっとしたらこの著者かも知れない。大宅文庫か国会図書館で調べたらはっきりするかも知れないが、ここは私の記憶を信じよう(笑)。

 第6章「スクープのコツはここにあり」は、著者の取材手法から失敗談まで、様々な経験談が描かれている。
 そして、著者はこう書く。
「犯罪はもともと理不尽なものだが、私が取材する基準の一つは被害者の苦しみや心の痛みを感じ、『この犯罪は絶対に許せない。いかなる障害や攻撃があっても書くべきだ』と思えることである。ある日突然、隣室で暮らす少女が、街を歩いていた若者が、『だれでもいいから殺してみたかった』と無差別殺人を始めることを許す訳には行かない。その思いこそが一橋ノンフィクションの出発点と言える。」

 無差別殺人を、現代社会の病理といって切り捨てるのは簡単だが、それよりも人間が抱える深い闇に迫る事の方が私は興味がある。

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