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『本当の翻訳の話をしよう』増補版ノート

村上春樹 柴田元幸
新潮文庫

 小説家で海外小説などの翻訳も手がける村上春樹氏と、アメリカ文学者で翻訳の大家の東京大学名誉教授・柴田元幸氏の翻訳を巡る六つの対談とそれぞれお二人の講演が一本ずつ収められている。

この本の前半には、海外作品の原文と、村上春樹氏の翻訳、柴田先生の翻訳が見開きで載っており、翻訳の違いについてお互いが批評し合い、二人の翻訳に対するこだわりが浮き彫りになって面白い。取り上げられた作品は以下の通りである。

〇〝Playback〟by Raimondo Chandoler(2か所)
〇〝The Greaat Gatsby〟by F.Scott Fitzgerald(2か所)
〇〝The Headless Hawk〟by Truman Capote(2か所)

 その翻訳の比較の合間に、村上氏と柴田先生がそれぞれ選んだ「復刊してほしい翻訳小説50」の合計100冊のリスト(2015年9月時点)が五十音順に載っている。その後何冊が復刊されており、その作品には◎が付けられている。二人の間で重複している作品がないか、チェックしてみたが、どうもないようだ(どなたか再チェックしてみて、あったら教えて下さい)――と書いていて、いま気がついたが、100冊だから、ダブりはないという事がわかった。ダブりがあるんだったら、100冊ではなくなりますよね(「当たり前だ!」…カゲの声)。私の認識不足でした。

 それと、この本を読んで面白かったのは、翻訳作業に絡めて随所に村上春樹氏の小説の作法というか、方法論や思想と創作に関する考え方が随所に出てくることだ。

「小説っていうのは描写と会話を織り交ぜていくものなんですよね。会話ばっかり続くと小説にならないし、描写ばっかり続いてもやっぱり小説にならなくて、どういうバランスで、どうやって描写と会話を織り交ぜていくかということが、どの時代にあっても小説を書くことの根本的なテーマになります。」(P95)


「僕は思想的なことではなく、個人的に内在するもの、その源泉から出てくるものから物語を書いています。はじめから『こういう文脈(コンテクスト)で書こう』とはまったく思わない。僕が考える世界観とか宇宙観とかはまったくないんです。……中略……創作的な源泉から物語を拵えていくわけですが、その物語から自分の宇宙観や世界観を俯瞰することはできるかも知れない。」(P159)

「僕も小説を書くわけだけれど、スタイルはまったくちがうにもかかわらず、彼(リング・ラードナー・米国の作家でジャーナリスト)のヴォイスの力強さには感心するんですよね。小説というのは耳で書く(原文は傍点)んですよ。目で書いちゃいけないんです。といって書いたあとに音読してチェックするということではなくて、黙読しながら耳で立ち上げていくんです。そしてどれだけヴォイスが立ち上がってくるかということを確認する。」(P297)

 村上春樹氏の作品を読んで私が感じるそのままだったことが、当たり前だけれども面白かった。

 難しい翻訳論の合間に、口直しのように面白い話が載っている。昔、神保町にあった東京泰文社というペーパーバックを扱っている古書店の話――。
 お店の人が古本一冊一冊に店独自の帯を巻いて、原題を勝手に翻訳した書名をその帯に書いていたという。
 例えば、英国の戦争小説『鷲は舞い降りた』(ジャック・ヒギンズ著。映画も面白かった!)の原題は〝The Eagle Has Landed〟というのだが、『鷲は土地を持っていた』と書いてあったそうな。またフォークナーの〝As I Lay Dying〟は『死の床に横たわりて』と翻訳本のタイトルはなっているが、その店の自作の帯には、『私が寝そべって死にかけているので』となっていた。おそらくお店の人が翻訳本に当たらずに、あるいは翻訳本が出ていることを知らずに、お客のために訳して帯に書いたのであろう。あるいは余程ユーモアのある店主だったのか(笑)。

 ところで、この本と似たようなタイトルを前に見たことがあったなと、本棚を見ていたら、『本当の戦争の話をしよう』(ティム・オブライエン著 村上春樹訳)を見つけた!

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