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『月夜の森の梟』ノート

小池真理子著

朝日新聞出版刊

  小池真理子は、ほぼすべての作品を読んだ作家の一人である。読書記録を見ると、30代半ばから40代半ばまで特に集中して読んでいる。

 散歩がてら入った書店で久しぶりに小池真理子の名前を見つけて手に取った。最初に目に留まったのは、この本のタイトルと静謐さに満ちた装幀で、そのあと小池真理子の名前を見つけて買い求めた。

 著者の配偶者は2年ちょっと前に亡くなった藤田宜永(ふじたよしなが)で、二人とも直木賞作家という珍しい夫婦である。

   この本は藤田の死後(2020年1月30日逝去)、半年ほどしてから旧知の編集者から亡き藤田さんを巡るエッセイを書いてみないかと言われたのがきっかけで、亡くなった年の6月から約1年間にわたって朝日新聞に連載した原稿をまとめたものだ。

 

 この二人は子どもを作らない選択をして、事実婚を続けていたが、その後入籍した。そして銀行や病院で、「藤田さん」と呼ばれることにようやく慣れてきた2018年春頃に、宜永の肺に腫瘍が見つかった。15、6歳の頃からの喫煙習慣で、ハイライト(懐かしい名前)を1日3箱吸っていたという。それ故必然というか66歳にして肺気腫として診断され禁煙したが、その後末期の肺がんと診断され宜永は闘病生活に入った。

 そして宜永の闘病中の様子や夫婦の心象風景、また夫とのこれまでの生活の中から浮かび上がってくる彼の言葉や記憶などを振り返りながら自分の深い悲しみの心を投影した小池真理子の明晰な文章に心惹かれた。

   余命を自覚した宜永はあるとき真理子にこう言う。
「年を取ったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」

 この言葉に病と死に向き合ってからの一番の無念さが凝縮されている。

 ある寒い夜、真理子はお腹が空いて、カップラーメンを食べようとストーブの上で湯気を立てていたやかんからお湯を注いだとき、ふとソファに仰向けの姿勢で寝転んでいた宜永が、「あと何日生きられるんだろう……もう手立てがなくなっちゃったな」と呟いた。しかし真理子は黙ったまま目を伏せて、湯気の立つカップラーメンを食べ続けたという。そして、この人はもう助からないんだと思うと気が狂いそうになり、箸を置き、鼻水をすすりながら、彼の肩や腕をそっと撫で続けたそうだ。その時のことを、ふつうはあんな時にカップラーメンなど食べないだろう。泣きながら、絶望しながら……いくらなんでも、あんまりだったなと述懐する。しかし、ひとり残されると分かっている方はこんな時何ができよう。生きていくしかないのだから、お腹が空いたら食べるしかないのだ。

   37年前に二人が一緒に暮らし始めたとき、お互いの蔵書を書棚に作家別に並べたら、二人とも好きだった三島由紀夫については一冊も重複する作品がないことがわかって驚いたそうだ。いろんなことでお互いよく議論し、もう別れるしかないとまで発展するような論争をした二人だが、三島由紀夫の小説や評論などについて話しているときだけは意見の相違は出ず、何から何まで気が合い、議論に発展することはなかったという。しかし、病を得てからは太宰治の話を好んでするようになったという。三島由紀夫が太宰治を嫌っていたというのは知られた話だが、どういう心境の変化があったのか。二人の共通点はともに自死をしたということだけだ。

 闘病中、些細なことにも神経過敏になっていた宜永は、真理子の言葉尻を捉えては己の絶望を苛立ちに変えて投げつけてきたことも多くあり、自分の心労もわからずにそのいいぐさは何だと、猛烈に腹が立ったこともあるという。しかし、そのたびに彼は諦めきった口調で、「もうじき解放されるよ」と決まって口にするのだ。死へのささやかな抵抗と残された時間の少なさに絶望しつつ、それまで何でも受け入れてくれた真理子の心に少しでも爪痕を残したいという宜永のささやかな希望と思いやりだったのか。

 何もかも知り尽くしていたはずの宜永について知らないことが山のようにあったということに気付いたり、ジャージのゴムが緩んだので、付け替えてくれと頼まれていたのに、亡くなった後にふとしたことでジャージがそのままの状態で出てきて、たかがゴム一本、どうしてすぐに付け替えてあげられなかったのだろうと後悔する自分がいる。

 宜永が元気だったある日、ふとした思いつきで、同じ敷地に立つ彼の仕事場を、あなたが死んだら霊廟にするっていうのはどう、と提案すると、彼は大いに喜び、大乗り気になったそうだ。それから彼の仕事場を「霊廟」と呼んでは二人で面白がった。いまその仕事場は文字通りの「霊廟」になっている。彼が亡くなってから、何一つ変えていない。捨ててもいない。書棚の本の並べ方、着古した部屋着、スリッパ、壁に貼られたメモ書きなどもそのまま置いてある。この部屋だけは時が止まったままなのだ。

 二人は夫婦愛、相性の善し悪しとは無関係に、互いが互いの〝かたわれ〟だったと小池真理子は最後に書く。時に強烈に憎み合いながらも許し合い、最後は苔むした森の奥深く、ひっそりと生きる野生動物のつがいのように、互いがなくてはならないものになった。〝かたわれ〟でなければそうならなかったと述懐する。〝愛〟などという手垢の付いた言葉を突き抜けた人間関係の大事さや不思議さを思う。

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