ラデファンス

その頑張りは、今、絶対必要ですか?


私が、ある国際企業の広報の仕事をしていたときは、毎日、大量のメディア関係の記事に目を通し、重要と思われるものを英訳し本社にレポートを送り、会社の新方針が決まるたびに、そして新製品が発売されるたびに、世界30カ国以上に発信するプレスリリースを英文と日本文で同時に書いていました。

もちろん、そういった社外に発信する公的文書は、外部の翻訳会社に下訳をお願いはするのですが、その英文のニュアンスが社の方針と一致しているかどうかをチェックするのは私の仕事で、帰国子女でも英語圏に留学経験があるわけでもなかった私は、受験英語を屈指しながら、綱渡りの仕事をしてきました。

もちろん、それらの仕事は、ほんの一部で、その合間に新聞社の取材を受け、社内の会議に出席し、広告代理店の方と一緒にイベントの企画をし、新製品のプロモーションのために、雑誌社を回り、社内でも社外でも、いつも走りまわっていたのです。


そして、私は妻であり母でもありました。


しかも子供はまだ小さくて、延長保育をお願いしても、お迎えに間に合わない私は、保育園を2園掛け持ちして、毎日、時間との戦いの綱渡りの日々を送っていたのです。

子供が熱を出して、保育園から電話がかかってきても、すぐに帰れない状況だったので、いつもピリピリと神経を尖らせ、今日も何事もなく無事に1日が終わることだけ考えながら、仕事が終わった後も、ママチャリを立ち漕ぎして保育園にお迎えに行き、家に着いてからも、子供に夕食を食べさせながら、洗濯をし、明日の仕事の資料に目を通し、子供をお風呂に入れて、保育園でたっぷりお昼寝をさせてもらって、全く眠くなくて、ママともっと遊びたがる子供を無理やり寝かしつけた頃には、もう疲れすぎていて、極度のストレスのため自律神経が狂ってしまった私は、疲れているのに頭が冴えて全く眠れないという苦しい日々を送っていました。


なぜ、今、こんな昔のことを書いているかというと、つい最近、ニュースキャスターの黒木奈々さんの本を読んだからです。



🔗 未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター 単行本(ソフトカバー) – 2015/3/26


黒木奈々、31歳。NHK BS1「国際報道2014」のメインキャスターに抜擢され、その前途は輝かしいものに思われていた。
そんなある日、友人との食事中に突然の胃痛に襲われる。救急車で運ばれ、胃せん孔との診断で入院。しかし、それは、たんなる胃潰瘍ではなくステージ3の胃がんだった……。
セカンドオピニオンを得て、胃の全摘出を決意。同時に、自らの病名を公表し、病と戦うことを宣言する。
キャスターという立場を生かし、同年代の働く女性たちが、がんに襲われたとき、何か力になれるのではないかという信念のもとに、がん宣告のあとの心境を綴った手記が本書である。
あくまで明るく、前向きに病と闘いつつも、32歳の女性ならではの悩みはつきない。
容姿が取りざたされる職業で、果たして自分は仕事に戻れるのか。
これまでキャリアを優先してきたけれど、もう一度、誰かと恋ができるのだろうか。
結婚は? 子どもを持つことは?
何も「あきらめない」ことを目標とする今の女性たち。その中でがむしゃらに先頭を走ってきたキャスターが突然の病に襲われたとき、何を選び、何をあきらめるのか。
揺れ動く気持ちを素直に書き記した闘病記。(以上、アマゾンの紹介文から)


彼女の手記を読んでいて、昔の自分を思い出して涙が止まらなくなりました。

夢に向かって頑張っている彼女の姿は、素晴らしく輝いているのですが、一生懸命に頑張る優等生の姿が、かつての自分と重なってなんとも痛々しく感じたのです。


彼女の病気は、進行がとても早いスキルス癌だったそうで、仕事のストレスとの関連性はわかりませんが、読みながら、そんなに頑張らなくてもいいんだよ、もっと楽に生きてもいいんだよと、まるで頑張り屋さんの我が子を思う母親のような気持ちになりました。

ワーキングマザーだった当時の私は、夫も子供もキャリアも手に入れて、都心に新築マンションを購入し、その後、都内の一等地に一戸建てを建て、絵に描いたようなスーパーウーマン症候群に陥っていたのです。

ダブルインカムだったので、生活には余裕があり、子供には好きなだけおもちゃを買ってあげることができました。

習い事も子供がやりたいことだけでなく、自分がやらせたいからという理由で選んでやらせたものもたくさんありました。

でも、子供と一緒にゆっくり過ごす時間も、夫と愛を確かめあう時間もありませんでした。


時間だけでなく、心の余裕も全くなかったのです。


ただ、いつも次にすることを考えて、今を生きていませんでした。

体調が極限まで悪くなっても、休みを取るなんて考えられませんでした。

貴重な有給休暇は、子供が熱を出したときのために取っておかなければなりませんでしたから。

そして、ある日、家庭の中に愛が全くなくなっていることに気づきました。

地位や家、美しい家具などの目に見えるものは増えていくのに、私の内部の愛は完全に枯渇していたのです。

その頃、さらに自律神経の乱れのためからの不眠はひどくなり、会社でも頭の中が霧でいっぱいのような感じで、上司の指示が的確に把握できなかったり、思い通り残業のできない私に対する、独身で自由に働ける同僚の心無い一言に、突然涙が出てくるなど、心も体も、もう限界を通り越していました。


その時、私は、自分の手を見て思ったのです。

私の手は右手と左手の二つしかないのに、いくつのものを掴もうとしていたのか。。。

自分の手をじっと見つめていると、それらを掴んで離さなかったために、本当に大切なものが手の中から滑り落ちていくのが、まるで映像のように見えたのです。

もうこれ以上続けていたら、きっと私は全てを失う。

そう思った瞬間でした。


その後、子供を連れてパリに移住することになるのですが、その話はまたいつか。。。



元記事:その頑張りは、今、絶対必要ですか?(ミカリュス・ブルガリスの心の薬箱)September 26, 2016 16:15:06 テーマ:気づき

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