見出し画像

【海外出産奮闘記#6】日本と比べ超アナログ検診…、でも街ゆく人皆が暖かい「アメリカ妊婦事情」編


大学卒業後、まともに就職活動もせず、ふと見つけた広告に応募し採用され、現代美術ギャラリーで楽しく働く私に向かって、ある日母はこう言放ちました。
「あんたはきっと“いきおくれ”て、30過ぎで猫と一緒に1人暮らしするんでしょうね」と……。
しかし、人生には時に天変地異の如き出来事が降り掛かります。25歳で出会った彼と、次の日からおつきあいをスタート。半年後に妊娠、入籍する事に!
ドタバタの海外出産後、酷寒の地ボストンでの生活から、夫の就職を機に新天地カリフォルニアに住居を写した私たち一家。自由奔放な娘に四苦八苦する中で、まさかの「年子妊娠発覚」までをお伝えした前回。

今回は、二度目の妊娠となる経験に基づき「アメリカ妊婦事情」についてお送りします!

■「アメリカの巨大妊婦」と「アジア人である私」

さて、当時、日本ではこんな流行がありました。

「妊婦は8キロまでしか、体重を増やしてはいけない」

それを人伝えに聞いた時、私はぎょっとしました。私は第一子妊娠時も、最後には10キロ強増えていましたから。

「順当に増えていけば、8キロなんて余裕で超えてしまう……まずい!」と焦ってふと隣をみると、絶句です。そこには山のようなお腹を抱えたアメリカ人妊婦さんがいらっしゃいました。見るからに、絶対、8キロ増どころではありません。

どんなに太っても、アジア人女性はアメリカ人女性と比べると、小さく見えます。「まだまだ、わたし大丈夫だよね……ウン、大丈夫なはず。」そんな気持ちになります。

今の妊婦検診では「一律8キロまで」なんていうことは言われないようです。筆者の経験上、そして周りのママ友を見ても、あまりストレス無く自然に妊娠生活を送っていれば、体重増加のキロ数に関わらず、赤ちゃんは健康に産まれてきているような印象があります。そして、産後も自然に戻っているような気がします。

(大体、激太りするのはストレスが原因なので、表面的に体重制限しても他にしわ寄せが来るのでは、と思います。)

「昔は8キロまで。今はそんなことは言われない」と、言うことが変わるところからして、医療がいつだって完璧であるとは限らないということを表しています。そんな結論に達した私は、結局あまり何も体重のことは気にしないで過ごしたのでした。そしてそれは、3人目妊娠時、4人目妊娠時に至るまで一貫していました。


■体重計でカルチャーショック!? 超アナログな「アメリカ妊婦検診事情」

アメリカの病院で一番最初にカルチャーショックだったのが、なんといっても体重計です。

健診で私の目の前にでんと現れたのは、針で数字を指し示すタイプの、無骨でシンプルな、銀色の体重計でした。

揺れる針がピタリと落ち着くまで所在無さげに待たなければいけない、アレです。気の迷いでちょっとでも足を動かそうものなら、その待ち時間はさらに延長されてしまう、アレです。

体重計のみならず、血圧計も、物珍しいものでした。ポンプで“シュシュシュ”とふくらませるものです。

アメリカは「医療が発達しているイメージ」でいたので、こんな素朴な道具を使っているとは・・・。ここでまずカルチャーショックを受けた私を、さらに、"素朴"を絵にしたような診療台待ち受けていたのです。

日本での妊婦健診でわたしが見たものは、ほとんどが電気で動く機械でした。体重計、血圧計から内診台に至るまで、ほぼ全てです。

特に内診台が屈辱的に感じるシロモノでした。座っている椅子がグイーン……とナナメに上がってゆき、お股の位置が医者の目線に上がったら、ピタリと止まります。カーテンの向こうで、間抜けに浮かんだ自分のお股を、おそらくまじまじと見られながら、何事かカチャカチャと処置をされるのです。(ちなみに私はこれが個人的に大嫌いです)

対してアメリカの診療台は、ただの寝台でした。寝る所と、足4本だけで構成された、ザ・寝台です。文字通り、「ただの寝台」です。

そこにお医者がおもむろに、寝台の下に設置されていたロール紙をガガーッと引き出し、ペッと寝台に敷きます。「さあ、ここに横になって」と指し示すお医者のための椅子はありません。患者と、その家族が座るための椅子だってありません。四角い部屋に、寝台が一つだけ。素朴を、やはり絵に描いたような診療室でした。

毎回の検診では、尿検査に体重&血圧チェック、子宮低長をメジャーで計り、胎児の心音のみを聴くエコーをします(映像は無し)。それからヒアリングをして、終了です。

念の為に付け足しておくと、私が出産したのは、当地ではわりと有名な大きな病院です。

病院が有名であるということと、妊婦検診が電動機械で行われるのか、手作業が多いのか、ということは、全く無関係なのだなあ、と思った事を憶えています。

ちなみに、心音エコーの際にお腹に塗りたくる、べたべたのジェリーを拭くのも、寝台に敷いた、ガサガサの硬い紙だったのでした……。雑ですが、それが標準なのだから気にするのは全くの無駄です。

当たり前ですけど、ガサガサでキレイに拭けないんです。自前のタオルが必携だったのでした。


■自然派ママへのルーツは「内診無し、エコーも無しの検診」

特に私が意外に感じたことは、エコーです。日本では毎回されていた内診とエコーは、アメリカではしません。エコーは、妊娠中問題が無ければ、「合計2回だけ」と決まっています。内診も妊娠中を通してされたのは数回です。どちらも“必要あらば”されるといった感じです。

この理由としてはおそらく、アメリカの高額な診療代と(エコーは診療点数が高いのです。)、さらにエコーの危険性もあります。

エコーの胎児への悪影響は、全くのゼロではない、というのがアメリカでは主流の意見らしいです。では日本で有無を言わさず、毎回流れ作業的になされてしまうのは、どうしてなんでしょうね?

先の体重管理の話でもそうですが、所と時代変われば常識が異なる医療事情。誰かに言われた事を鵜呑みにせず、自分で選択するための知識は、自分を守るために必須だと感じました。今思えば、ここで感じた疑問が、現在“自然派”を自負する私へ変貌するための、岐路だったのかなと思います。


■妊婦に優しい街・アメリカ

とにかくアメリカは妊婦と子連れに対する視線が温かい。これはロサンゼルスだけではなく、ボストンでも感じた事です。

ベビーカーを押す私が段差の前でほんの数秒止まっただけで、3方から手伝いを申し出てもらったことがあります。ある時、ホームレスの人からも「手伝おうか?」と言われたときは仰天したものの、とても嬉しく感じました。

また、交通量がそれほど多くない信号の無い通りで、車の流れが途切れるのを待っていると、車の方がぴたりと止まって道を譲ってもらえるのも当たり前でした。こちらが恐縮してしまうくらい、妊婦時代は大事に、大切な存在として扱われたのです。


■赤ちゃんは「小さな宝物」

通りすがりに小さな長女をのぞきこみ、満足気に微笑みながら立ち去られたり、「なんて可愛い赤ちゃんなの、あなたって!まるで小さなかぼちゃみたい!」とかなんとか、独特の褒め言葉をやはり独特のテンションでかけられることにも、アメリカに住んでわりとすぐに慣れました。

赤ちゃんがギャアギャアと泣いてるときにも、困ったように微笑んで見守られるか、「どうしたんだろうね、キャンディーをあげてもいいかい?」などと声をかけてもらうことも、珍しくありませんでした。

この話をする時は、どうしてもわが国日本の悲しい状況と比較してしまいます。日本に里帰りして赤ちゃんを連れて街を歩いていると、私は邪魔者扱いされたような気持ちになったものです。これに関しては、ママ友の間でも、同意見が多いです。「街中で自分がどれだけひどい仕打ちを受けたか」。小さな子を持つ母なら誰もがしたことのある話題ではないでしょうか。

対してアメリカでは、赤ちゃんや子どもに微笑みと優しさを向けられます。大人のみならず、十代の若者ですら、赤ちゃんにとても優しいのです。そんな風に扱われていると、私は、自分がまるで小さな宝物を連れて歩いているような、なんとも誇らしい気持ちになったものです。

私が毎日振り回されているこの子は、社会から大切に扱われるべき、小さな宝物。宝物付きの私だって、やはり大事な宝物。

慣れない子育てと妊婦生活に疲労困憊してやさぐれたメンタルのときに、そんな風に感じることが、ガタガタに崩れた気持ちを少しずつ建て直す助けになったのは、言うまでもありません。

ビーチを散歩するときだけ、一人で歩く長女。

そんなわけで、サンタモニカでは外出のストレスはほぼ無く、毎週のファーマーズ・マーケットで野菜を買ったり、日本でも人気の“ホールフーズ・マーケット”や“トレーダー・ジョーズ”と言ったスーパーで買い物を楽しみ、ビーチへ散歩して過ごしました。

サンタモニカ・プロムナードのファーマーズ・マーケットにて

次回は「いよいよ次女出産編!」をお送りします。

★今回の教訓★
(1)アメリカの妊婦健診事情は超アナログ!カルチャーショックを受けます
(2)日本と比べ街ゆく人皆が妊婦に優しいアメリカ、日本も見習って欲しいです
(3)赤ちゃんは「小さな宝物」、メンタルがガタガタの時は思い出しましょう



サポートは、あってもなくても、どちらでも。