見出し画像

『池水尽く紅』と『明治xx年代の想像力』に見る、何もかも失ったときの道標

自分のしてきたことに価値を感じられなくなってしまったら……そのとき、どうすればいい?
いったい何が残るの?

【東方二次創作漫画】 池水尽く紅 [16話] - 芦山

 『池水いけみずことごとあか』のうち、上記あたりの話数で繰り広げられる話では、新聞記者として新聞大会に臨む烏天狗たちの取材と執筆の日々が描写されている。新聞などくだらないと揶揄され、取材を続けるほどに長年自分が信じた言葉が文字通りの嘘偽りだったと明るみになり、なぜ書くのかを問われるような現実ばかりを目の当たりにする。それでも書く。それでも書き続けている。それでも書き続けるための何かを、探している、あるいは手放さないようにしている。

 この記事でしたい話を端的に言うと、冒頭の引用文である。
 俺の言葉でいうのなら、ある大事な、生きる理由に値するだけのものを喪失したとき、人間はどう立ち上がればいいか、という話だ。
 ずっと信じてきたもの。バイブルとも呼べるほど必携としてきた考え。長年想い患っていたもの。それは、恩人の言葉だったり、大好きな作品の一幕だったりする。濁流のような日々の中で見つけたひとかけら。後生大事に抱えているもの。

 (『池水尽く紅』の、本記事冒頭の引用文に至るまでの流れは悲痛だ。売れない新聞記者ながらも何十年もやってきたからす天狗、姫海棠ひめかいどうはたて。「書くことの意味がわからなくなったときはいつもこれを読み返すの」と言って彼女が取り出すのは自分宛の一通のおたより。物語が進むにつれて、この手紙の正体が、天狗たちが新聞を出すことを奨励した鞍馬大天狗が、不特定多数の新聞記者に対して手あたり次第バラまいていたものだと明かされる。自分の記事を読み、それに何かしらの感動を抱いて書かれたものではなく、ただ機械的に、何も読まれずに出されていただけのものであり、自分の記事の面白さを知ってもらったわけではない、ということを知る。放心の最中、新聞記者としてしのぎを削る好敵手に出くわし、思わず冒頭の引用文を吐露する。
 漫画では、読まれない自分の記事の山を見て疲弊の色を露わにする様と、大切なものを扱うときのあどけない少女の風貌が、対比のように描かれている。その様が儚く、また痛烈だ)


 俺がかつて歌詞の翻訳記事を書いていた頃、「喪失」というテーマについては何度も取り上げたことがある。

 マジでキリがないので、リンクはこのへんにします。もしも気になったら、俺が書いた翻訳記事のマガジンを逆さに振ってほしい。


 歌詞において描かれる喪失とは多くの場合、大切な人間を失った悲しみが吐露されている。ただ俺は、大切な人、家族や友人などが死別した経験を、未だに物心ついてからしたことがない。
 それでも俺が喪失というテーマを取り上げるのは、俺にとって喪失とは身近で共感足り得るものだからだ。何を言っているのかというと、俺は人間ではなく、信条や心構え、バイブルと呼べるような考えを喪失した経験がある。それが何年も続いていて、然るに、「自分にとって致命的に大切な何かを失くして、二度と見つけられなくなる」というシチュエーションに、ひどく感情移入してしまう節がある。

 

 例えば、下記は、その傷心の最中に俺が書いていた掌編のひとつだ。

かくして私は、幻想に対する信仰と憧憬を失った。
それは決別すべくと勇んで切り捨てたのではなく、ただ現実の質量が生活の中で増していく中で、夢を見なくなっていっただけのことである。
居心地が悪くなり、通う足が遠のき、いつしか昔の思い出となるように。
幻想郷は、過去の遺産となり、ともすれば恥ずべき現実逃避の物語だったのだとさえ。
今は思うのだ。

 で、下記は、上の掌編のタイトル元になった楽曲の和訳記事で、この記事の中で話している内容が掌編の内容に繋がっていたりする。

「現実のような夢」は、半ば永続的に続けることは可能です。それなのに、「夢のような現実」は生きる中でその時にしか訪れず、永続することは不可能に近い。過ぎ去ったあとにあれは夢のような現実だったと振り返って、躍起になって取り戻そうとしても、同じものが同じ状況で手に入ることはなく、その時と同じ心境に至ることはほとんど二度とできない。「今」という時間は複雑怪奇に成り立っていて、現実においてその事象を再現することは、それを一度体験した後であってもほとんど不可能です。
 ましてや大切な思い人を失って、それが死別に準ずる絶対的な別離であった場合、どうやってその穴を埋めればいいというのでしょうか。

 上記の諸々を書いていたときに考えていたことを今なりに思い出すと……俺は昔から、それこそ小学校中学校くらいの頃から結構極端なことを考えていて、しかもそれがこの時期くらいまで、疑いこそあれど決壊はしていなかった。心のどこかで信じてしまっていたのである。
 その考えというのは、創作を長いこと続けて、その道の極致に達すると、いつか自分の考えの中心にある真理みたいなものを真に理解してくれる人間に出逢えるのだろう、という、かなり少年少女じみた幻想である。

 俺はこの幻想をインターネットに向けていた。小学六年生の頃に始めて触れたインターネットは(オタクのマセガキの誕生である)、それまで漫画やゲームの世界に入り浸っていた俺にとって、強烈に刺激的だった。同年代やそこらの人間が、ペンタブレットというデバイスを使って、日夜、お絵かきBBSに2値ペンで描かれた絵を投稿している。それがもうべらぼうに上手い。800x800のピクセル数にも満たないキャンバスで、魅力的なイラストを描く人間もいれば、涙が止まらない話を展開する人間もいる。また、当時はFLASH動画というものが流行っていて、特に個人制作のコマアニメを展開する化け物たちに強く惹かれた。

 (今やFLASHというツールは廃止になってしまったので、多くの動画は無断転載しか残っていない。未だに動画製作の活動を続けている人は稀。しかしまあ、こんな化物を「個人制作した」という人がゴロゴロいる時代に、夢を感じずにはいられなかった。今でもあのときの興奮の日々が思い出せる)

 俺はこの人たちのほとんどと話したことがないながら、勝手に様々な想像をした。作品の出来と人格に相関性はないという言説は昔からよく聞かされていたが、それでも俺は、こう信じていた。俺にとって心から素晴らしい作品をつくる人は、きっと俺の心の根元まで言葉が通う人間であり、彼らのような創作者がいる場所は楽園なのだ、という妄想である。
 だから俺にとって創作をするモチベーションとは、いつか自分の心が通う人達の場所に行くための切符としての動機だったのだ。描けば描くほどに、自分のことを理解してくれる人たちが近づく。見れば見るほどに、自分の感性と合う人が増えていく。

 そう考えて創作の世界に入り浸る日々は、もう、本当に、楽園という外になかった。現実の目の前にある物事より夢中になることもめちゃくちゃに多くて、俺はFLASH動画を超え、東方Project、VOCALOID、その他インターネットに存在する諸々のジャンルを日夜漁り続ける日々を送っていた。高校生の頃、かの有名な同人誌即売会であるコミックマーケットに初めて行ったときにも、この妄想は有効で、もうとにかく、インターネットで出逢った大好きな作品の作者や、会場に行ってその場で見つける作品に惹かれたとき、俺は貴方たちにあうために産まれてきたのかもしれない、という感慨は、とんでもない多幸感を俺にもたらしていた。

 俺は描くのが苦手だし、発表するのが苦手だった。俺は「半年ROMれ」というインターネットスラング(ネットをはじめたては半年間は見るだけに留めて発言・投稿はするな、という、発信において火傷しないための教訓みたいなもの)を後生大事に抱えすぎて、未だにコメントというものをするのが苦手だ。干支一周分余りインターネットにいるにも関わらず、である。もう、発言や発信というのが、実は好きではない。出した後、自分でその内容を猛烈に見返して、これはよくなかったとか、なんでこんなこと言ったんだとか、そういう振り返りで何度も頭を打ち付けて死にそうになるからだ。一日のふとしたときにそういう後悔がフラッシュバックして表情を歪ませるのが俺の10代と20代前半における日常だった。もう死のうか?
 それでも俺が創作をしたくて、創作の世界から逃れられなかったのは、上述した妄想が強く根差していたからだ。ここに深く入れば、俺のことをもっと理解してくれる人がいるに違いない。そう信じていた。

 そう信じる想いが作品となったのは10代最後の夏、憧れのコミックマーケットに音楽サークルとして初めて出展した時のことだ(厳密にはそれ以前にもイラストとか色々やっていたが、人前に金銭のやり取りを含む作品を出したのは初めてである)。当時の音源は恥ずかしいのでリンクは載せない。全部自分で楽器をやって、全部自分で歌ったバンドサウンドの音源を合計3曲出した。
 作品を出して伸ばそうとする立場になったのはその時が初めてで、もうとにかく売れもしなければ聴かれもしなかったが、それでも本当に楽しかったのを覚えている。だが3曲で活動は止まった。2年くらい新しい音源を出そうとして、ソフトや楽器や収録環境を整えたが、それでも新しい作品は出せなかった。きっと当時の俺は、作品をだしたあと、発言したあとに自分を振り返って自分を滅多刺しにする習慣から抜け出せなくて、どうやって次の作品で自分に責められないようなものを出せるか、という逃避に執着していたから、新しい作品を出すだけのエネルギーをそこで使い果たしていたのだと思う。今でさえこの悪癖は続いているが、当時の俺は若いエネルギーを自分を攻撃することにほとんど使っていたから、もう救いようがなかった。

 だがそれでも俺は創作にへばりつく。音楽に対する限界を感じながら、次に始めたのがこのnoteでの翻訳活動だ。2019年の年始、冬のコミックマーケットで憧れのアーティストから直接新作CDを買って、そのときの熱意と感動だけを元手に、勢いで記事を書き上げた。その後、自分の好きな海外アーティストが新作アルバムを1月末に出す予定だったから、そのリリースに併せて収録曲を一日一曲ずつ和訳する試みをした。普通に仕事をしながら。狂っていたと思うが、それはたぶん、自分を滅多刺しにして作品を出せない自分に疲れて、そのフラストレーションが一気に爆発したのだと思う。
 noteの記事は、これまでしてきたどんな活動よりも手ごたえがあった。そのまま記事をたくさん書き続けて、気付けば一年余りが経っていた。noteの記事からインターネットを通じて新しい知り合いができて、ライブハウスに通ったり、好きなアーティストの打ち上げに招待してもらったりとか、今までの自分では考えられないような場所に連れて行ってもらった。明らかに幸せだったし、この年に俺の活動が大きく変わって行ったのは疑いようがない。

 だが俺は、その幸福を享受しながらも、実のところその幸せに耐えかねていた。人間関係が増え、言葉が増え、相手のことを知って行こうとするにつれ、おれの中に根ざしている重要なものが、徐々に悲鳴をあげていくのだ。
 俺はこのときに至るまで、小中学生の頃に懐いていた妄想を悪性腫瘍のように抱えていたのだ。俺にとって心から素晴らしい作品をつくる人は、きっと俺の心の根元まで言葉が通う人間であり、彼らのような創作者がいる場所は楽園なのだ、という妄想である。

 この妄想の致命的なところは、「俺の心の根元まで言葉が通う人間」という、自分という人間の頭頂からつま先までを理解してくれる、心理的に完璧な同一人物を想定していることである。ある程度大人をやっている人間ならば理解いただけると思うが、こんなものは存在し得ない。自分のクローンをつくったって、完全に理解してもらうことはできないだろう。
 人間は結局、自分という個人を分かってほしくて、そのことを人間関係においてぶつけずにはいられない生き物だ。相手のことをすべて汲み取って回収できるような人は存在しない。もしそれが出来る人がいたとしても、それを万人に対して実行するのは不可能だ。それをやったとたんに、その人がその人自身を蔑ろにしてしまう。誰かの心を回収したとき、誰かを蔑ろにしている。それが揺り戻しのように自他において回収と蔑ろを繰り返してしまうのが人間だと、今の俺は思う。
 俺の理想とする「言葉が通う人間」とは、結局のところ、俺の我儘を聞いてくれて、わかるよと、表面上だけでなく具体的な言葉を返して、しかもそれが俺の言って欲しいこととまさしく一致しているような人間である。こんなエゴイズムに満ちた幻想があるだろうか?
 増してや、「自分の一番好きなもの」であるところの創作の世界に、自分のもっとも醜い部分をぶつける奴がいるだろうか?
 あまつさえ、自分自身を滅多刺しにすることが趣味であり習慣なのに、自分の大好きなものに自分の最も嫌いな部分をぶつけていて、そのことに干支一周分も気付かないような人間が、この世に存在するだろうか?

 それが俺だった。その気付きが、様々な人に助けられ、様々な幸運に巡り会えたその最中に訪れたのだ。


「あなたは、今は当たり散らして妬みを振り撒くように見えるし、そう思われて長いのだろうけれど、
その根っこは妬まれてしまった過去から妬みを知ってしまったということがあって、
さらにその根っこには、俗にだれかを愛するというこころがある。
それをいまだに忘れていないからこそ、つよい妬みを覚えるのでしょう。」

そう言ってくれるだれかをずっと求めていた。
私ごときが幸運なことに、その誰かに今まさに巡り会えたのだ。
次々と内心を言い当てられるたびに、長年噴出していた理解への執着は、すっかりと収まってしまった。
いまは気持ちも落ち着いて、平穏無事に暮らしている。

そう思っていたのだけれど。
いざ満足してみれば、より精緻な理解への欲求は、
どれだけ寄り添われようとも、理解されようとも、蛆のように湧いて出るのだった。

 上記は俺がちょうどインターネットから失踪する2021年4月の一か月前に出したイラスト同人誌にて収録した文章だ。今にして思えば酷く暗示的だが、当時のことを思えば、この2021年3月の時点で、自分の幻想が破綻していることに気付いていたのだと思う。気付いていて、それでも、色んな人に後押ししてもらってできた活動を止められなかった。
 この年にはイラストをより習熟するために芸術大学に入学したりもしたが、メンタルが完全に終わっていて、何かを出す度に自分の作品と発言を滅多刺しにしまくっていた気がする。そして、ある出来事でとどめをさされて、そこから2022年の8月まで、活動をほとんどまったくしなかった。

世間的大人になっても、内面で俗に言う子供を脱せず、人の話を理解する力もなく、その気もなく、ただ自分の信じる理想とやらを、現実に起きていることを正しく認識もしないまま突っ走った。その罪は理想と現実のギャップという形で私の精神を襲い、周囲との差とそれを埋めるための時間という形で私の10代、20代を奪った。
我々は可及的速やかに、現実を認識しなくともよいという、誤った「子供」の認識を脱さなくてはならない。さもなければいずれ訪れる現実の呵責に押し込まれ、溜まった澱みは周囲と自身を巻き込んで、一歩間違えればその大波がすべてを取り返しのつかないものとするだろう。
それは来るともしれない大災害よりも、我々が生きるでもない別世界よりも、全く現実味のない理想論よりも、切実に、急速に、大量に、私を取り囲む問題である。 

 再掲するが、インターネットから姿を消しているときに、自分のために書いた掌編である。自分を切りつけすぎて、見る人も引き裂きそうな攻撃的な文章だった。この頃の俺は、日中はとにかくしゃかりきに仕事をして、パワハラを受けながらもめちゃくちゃ仕事をして、仕事が終わったら永遠に対戦ゲームをしていた。twitterからも創作からも距離を置いて、まったく違う場所にいた。見る動画の傾向が変わった。お金の使い方が変わった。もう、何もかも変わっていた。それでもふと、寂しくて文章を書いてしまったときにできたのが、上記のものである。


 すみません、自分の話が長くなりすぎました。長くなりすぎたのですが本題に戻ると、この記事ではある大事な、生きる理由に値するだけのものを喪失したとき、人間はどう立ち上がればいいか、という話をしたかったのです。俺もそういうことがあった人間です、でも現に今まだ書いています、という話をするために、ここまでの導入をしてきました。

 俺は昔の記事で、課題に対する正解は個々人にしかなく個々人で意味を考え探求すべきものである、という旨のことを書きました。それは今も意見は変わっていません。

 「こういう解決策がある」という姿勢ではなく「これこそが(誰しにも、どんな状況にも適用できる)最高の方法だ」という形で広まる数々の言葉。よくtwitterで見ました。それは言っている内容に正誤があるのではなく、SNSというプラットフォームとそれを利用する人間にある功と罪です。「用途容量を守ってください」と書置きすることもなく、読む側がそれを了解していない状況では、よく起こりえることです。

 例えるならば、特別な理由もなく、足の骨を折った人に花粉の薬を飲ませるようなもので、効き目がないどころか自体を悪化させる可能性もあります。しかも心の欠乏を埋めるために薬を搔き集めてしまう人は、救いを求めてさらなる「万病の薬」を搔き集め、それの効き目が表れず、どんどん逆効果になっていく可能性もある。開かれたコミュニティでは、そういった個々の事情をケアする人が誰もいない状況が往々にして起こります。

この状況はまさに、前述した「共有できない悲しみや苦しみを背負った人」が生み出してしまいがちです。誰にもうまく伝えられず、誰もうまく聴きとってくれないから、自力でなんとか赦しを求めようとして、よく目に流れてくる「万病の薬」に一時的に癒されます。でもそれは心の芯を捉えたものではないし、ものによっては癒されるどころか傷つけられることもあります。まったく悪意のなさそうな言葉なのに、励まそうとしている言葉に見えるのに、それが自分に突き刺さって聴こえる。そんな状況がどんどん、その人の心を悪化させていきます。自分のものの見方が最早狂っているんじゃないか。そんな狂った自分の芯を捉えてくれる人なんて、この世に一人もいないんじゃないか。「偏在する赦し=万病の薬」を搔き集め、それだけで心の欠乏を埋めようとした人間が、最後に辿る道です。

 なので結局、万病の薬というか、こうすればどんな状況でも解決します、なんて薬は存在しません。
 かといって、苦しむ俺のことを頭からつま先まで理解して、完璧な処方箋をいつも出してくれる人間も存在しません。結局、自分の足で歩くしかない。というのが、人間の常だと思います。


 しかしながら世の中には、具体的な誰かを救おうとした言葉でなくとも、或る状況に置かれた人にとって、心から探していた言葉であり、それが本当に支えになってくれる、という場面が存在します。
 俺はそういう瞬間が訪れることを信じて、これまで記事や作品をつくってきました。それは、俺を完璧に粉砕してしまった幼少期からの妄想を強く信じていた時期でさえ、そう思いながら作品をつくってきましたし、その想いは今も変わっていません。
 誰かにとって、この世に見つからないと思われていた、本当に必要な支えとなれるような、そういうものをつくれるようになりたいと今も思っています。俺も、そういう作品にずっと支えられてきたからです。

 俺がどうやって立ち上がったかについては、結局、上記のようにしか説明できない。結局、何百回と見てきた様々な作品の描写や言葉、そこで得た感動・感慨が、俺をまだこの創作の世界にへばりつかせているだけだ。だけなのだが、俺にとってはあまりに重大で重要なことだ。
 俺の部屋には夥しい数の本とCDが転がっている。それはあの妄想に憑りつかれながらも、初めて行ったコミックマーケットのときから、コツコツと、自分にとってこれこそはと思う作品を買いためてきた、その奇跡なのだ。今もその延長線上にある。その作品たちの山を未だに掘り返して、これこそはと思えるものをまた発見することができる。
 そこに感動と感慨を未だに抱けるくらい、何度もまじまじと見てしまったから、今日もまだ書いている。生涯の半分以上を巣食った間違いとその破壊を経験しても尚、まだ書かせるだけのものが、世の凄まじい作品の死屍累々には宿っているのだ。

 そのことはいくら言葉に尽くしても簡単には伝わらないだろうから、こればかりは俺の生き様で見せようと思うのだ。俺がどれだけ心折れる出来事があったとしても、それでもこれら作品を見て抱いた感慨がつくった、創作に対する強迫観念とも呼ぶべき執着は、俺が死なない限り永久に消えることはないのだと。それは、死にたいと何百回も願っている人間を、何度でも立ち上がらせる力を持っているのだと。


 最後に、冒頭に引用した『池水尽く紅』の台詞について、作者の芦山先生の別作品『明治xx年代の想像力』にて、そのひとつの回答が明示されていると俺は思っている。その一幕を紹介して終わりにする。

霊夢「こういうことって知ってしまうと急につまらないものになったような気がするわ。努力っておかしな形で裏切られるのね。」
射命丸「あなたは何も失っていません!知識を得たことで消える幻想は冬の氷と同じで吉兆なのです。新聞でも読んで気持ちを明るく!たのしー事しか書いてないですから。」
(中略)
幻想郷このせかいは器よ。果て無い正円を描く、いわば漆器。剔紅てっこうのように何百層も漆を塗り固め一分の厚みでもって その複雑さは妖人が一見したところで理解の及ぶところではない。霊夢もまた器そのもの。

明治xx年代の想像力 - 芦山

 人間にも関わらず空を飛ぶ能力を極めようとする博麗霊夢。常軌を逸する挑戦により危うく重傷を負うところを烏天狗の射命丸文が助ける。なぜ空を飛ぼうとするのか問いただすと、空を飛ぶ流星を追いかけて、里や山ばかりの景色からずっと遠くへどこまでも行こうとした、という。その熱意を見て、射命丸はその流星の正体について、巨大な鳥(ジェット機)が尾を引く水蒸気の筋に過ぎない、あれは星ではない、と真実を伝える。そこで事実を知り落胆する霊夢、というのが、引用部分までの流れである。

 紹介のためにもう一つ引用をする。『池水尽く紅』の一話には、新聞記者の劇作家カレル・チャペックの言葉が引用されている。

私がすべての作家に期待することはみなが新聞記者の修行を積まれるようにということです。
すべてのことを体験しなければならないし、すべての世界に関心をもつことが必要です。
チェスタートン、ウェルズ、ショー、彼らもまた新聞記者でした。

カレル・チャペック

 俺は新聞記者ではないからこの言葉の意味するところの真髄を理解できているとは思わない。そんな俺だがこの言葉の肝要なのは、「すべてのことを体験する」「すべての世界に関心を持つ」なのだと思っている。
 『明治xx年代の想像力』の引用部分にもあるように、世界とは漆の如く、何層にも連なり、積層する方向にも交差する方向にも、多次元方向にさえも物事が連なって、それで「世界」というものを為している。世界や現実の奥ゆかしさとは、喜怒哀楽も日常も殺人風景も諸行無常も含め、すべてが世界を為しており世界はその存在をただ受容しているという現実そのものなのだ。
 もし、世界の面白い部分を、ほんの断片でも表現することを試みる者ならば、世界が広げる、際限なく広く厚い器について知っておくことは不可欠だ。それは果ての無い、一生かけても辿り着かない旅路になるかもしれない。それでも、記事を、作品を書くものは、面白さを追求して、その旅路に身を委ねる。

 もし、長年懐いていたものに、価値を感じられなくなってしまったら。
 ずっと信じていたものの、間違った部分を認めるしかないのなら。
 大事にしていた夢の、つまらなさを知ってしまったなら。

 それでも世界の厚みを信じて、赴き、読み、知ろうとするのだ。
 信仰の崩壊は、新たなる面白さを見つけるための吉兆だと信じて。
 そうして、その心にかけがえのない感慨を与えるものを、数多く知り、見てきた経験こそが、あなたを厚みのある、漆のような、深い人間へと仕立て上げていくのだろう。


過去に死にたい消えたいと本気で思った人間が、人生を愛し謳歌する姿ほど、説得力があって、美しいものは、この世にそうないと思います。