ここに自分の場所を置く意味

「仲良しクラブやってんじゃねーよ!!!」

荒々しい怒号が飛ぶ。その昔勤めていた制作会社の上司が、ときどき苛立つように放っていた。

20代の頃の私は、屈折した10代の反動から分かりやすく八方美人で「うまく立ち回ること」を何よりも優先していた。それは社会という場においては、どちらかと言うと評価される性質だったように思う。

私がいた部署は女性が多い職場で、いかに調和を乱さず快適にはたらく環境を維持するかが、少なくとも自分にとっては重要だった。

人が入ったり辞めたり。時期によって随分と差はあったが、その上司が長だった時代は、割と制作部内のメンバーは仲が良かった。それが彼には「馴れ合い」に映るらしかった。

お互いを思いやったり、気を遣ったり。それがクリエイティブを追求する場面においては邪魔になるらしい。簡単に言えば「もっと抜きんでろや」。そういうことだ。

みんなで楽しく仕事して何が悪いんだよ(怒)

編集や制作の仕事はチームワークが重要だから、上司に心の中で悪態を付いていた。ちなみに怖くて口ごたえはできない。

その一方で、私は誰よりも評価されたかった。社内の賞が欲しかった。圧倒的になりたかった。そういう自分を腹黒いと思っていた。

昨年の9月にnoteを再会した頃、以前からアカウントを変えたこともあって、私は長らく一人ぼっちだった。というかnote以外でも「書きたい」「作りたい」という想いを実際に手を動かす立場で共有できる人なんていなかった。

次第に少しずつ、フォローしたり、してもらったり、コメントしたり、してもらったり、交流が増えてきた。最初はnoteはnote、TwitterはTwitterと分けていたが、それらを融合した辺りからコミュニケーション量が一気に増えた。

そんな中で、実はくすぶっている気持ちがあった。めちゃくちゃ性格悪いと思われるかもしれないけれど、正直な気持ちなので一旦書くことにする。

誰かがエッセイストとしてデビューしたり、大きなコンテストで入賞したりしたとき、みんなが心から「おめでとう!!!」とお祝いしている感じが、私にはずっと理解できなかった。

悔しくはないのだろうか?
ライバルなんじゃないの?
本当に100%祝っている?

あああああ、我ながら性格悪い!!!!!(取り乱し)

私自身、昔はnoteにいる人たちのことを「ライバル」だと思っていた。だって、多くの人たちが書く仕事がしたいと言っている。でも、実際に書ける媒体なんて限られていて。その少ない椅子を取り合うわけでしょう?

だから腹黒い私には、交流する権利なんてないと思っていた。

しかし、やがて心境の変化が生まれる。いつのまにか私も、そういう場面において、ちゃんと(?)心から「おめでとう」という気持ちが生まれるようになった。

嫉妬は、ある。羨ましいとも悔しいとも思う。ライバルだと思っていた、も完全に過去形ってわけじゃない。でも、これらから生まれるフラストレーションは相手に向けるものじゃなく、自分に向けるべきものだと気付いた。

それ以上に。交流を通した単純接触効果もあるし、noteを通じて人柄を知ったのもあるし、同じように自分を知ってもらったのもあるし、この辺は自分でも何と表現していいのかわからないのだけれど、ざっくり言えば、私は交流を持っている方々のことを、とても信頼するようになった。

親友にも、夫にも、話せなかったことが、ここでは書けたりする。

「仲良しクラブやってんじゃねーよ!!!」

あの上司が今の私を見たら、こう言うだろうか。友達とは少し違うかもしれないけれど、大事だ。単なる共通言語がある知り合いともやっぱり違う。

馴れ合いたいわけじゃなくて。私にとってnoteで仲良くさせてもらっている方々は「同志」という感覚に近い。あぁ、そうだ。きっと昔の同僚に対してもそうだったのかも。

ここに自分の場所を置く意味合いは、みんなバラバラ。思い出を鮮明に残しておくため、好きなものを極めるため、物書きの仕事を得るため、少しでも世界を変えるため。意味合いは一つじゃなくていい。複数でもいい。

そうして、書くことで何かを得ようとしている人と知り合いたい。仲間になりたい。言葉を、記憶を、物語を、大切に丁寧に綴る人たち。

小さな目標、大きな夢。もしあなたがいつか叶えたときには、私も「おめでとう」を言いたい。それぐらいには繋がっていたいな。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。