やりたいことがない私は、幸せになれない
「やりたいことがないから、幸せにはなれないんだ」
「やりたいことを見つける努力をしてこなかったから、幸せになる資格はないんだ」
ずっと、そう思ってきた。
世の中には、やりたいことを見つけて、仕事にしている人がたくさんいて(いるように見えて)、嫉妬が止まらなくなることが多々ある。
「私だって!」と、未来を変えたくて彼らを真似しようとしても、彼らほどの熱量がない自分に気づくだけ。
過去にヒントを求めて振り返っても、大した事件がない、平凡な人生にがっかりするだけ。
『彼ら』と私の人生は一体全体どこで違ってしまったのだろうか。
どうして、私はあちら側にはいけないのだろうか。
そんなにも不真面目な人生を送ってきたのだろうか。
考えても考えても虚しくなるだけで、答えは見つからない。
でも、『彼ら』をしつこく見続けることで、分かったことがひとつだけある。
うらやましくて仕方ない『彼ら』もまた、それぞれに苦しみを抱えているということだ。
やりたいことがある人の苦しみと、やりたいことがない人の苦しみ。両者は全く異なるものだと勝手に思っていたけれど、そんなことはなかった。苦しみは、やっぱり平等に苦しみだった。
やりたいことを見つけた瞬間から、人生がガラッと変わってバラ色になるわけではないらしい。どうやら、苦しみや悲しみは、生きている限りなくならないようだ。
思い返してみれば、やりたいことがある人生だけが幸せ、と決めつけていた。誰に言われるわけでもなく、自分で。
決めつけるに至った要因はいろいろあるのだろうけど、一番は目の前のことから逃げる言い訳に便利だからだと思う。
「やりたいことさえ見つかれば…」
「今の私は、本当の私じゃない」
「ここは私の居場所じゃない」
と思い続けるのは、辛いようでいてとても楽だ。
目の前のことに、本気になる必要がないから。
自分で自分にとって辛い前提(やりたいことがある人生だけが幸せ)を作っておきながら、幸せになりたいという欲求は消えない。だから、やりたいことがある人は幸せだと思い込んでいる私は、彼らになろうとしていた。彼らの人生をトレースしようとしていた。
幸せになりたい→やりたいことを見つけなきゃ→やりたいことがある人ってどんな人だろう→やりたいことがある人がうらやましい→やりたいこと探しに固執→見つからない→辛い…
なんだかえらく遠回りをして、結果、自分で自分の首を絞めているような気がしてきた。
そもそもの目的は「幸せに生きること」であり、「やりたいことを見つけること」でも「やりたいことがある人になること」でもないのに。
人の人生に乗り移れば幸せになれる、などとなんて浅はかな考えでいたのだろう。
やりたいことを見つけたとしても、幸せを感じるスキルがない限り、幸せにはなれないんじゃ…?
残念だけど、私は誰にもなれない。私は私のままで、幸せになるしかない。
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