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深夜、パリのメトロで

パリのメトロで死体に遭遇したことがある。都会が性に合わないと気付くキッカケになった出来事だった。


これまでnoteに色々と書いてきて、ミアシバさんってパリで相当苦労したのね、って思われてるかもしれないな~ってことは薄々感じている。実際に苦労はあったし、一生パリで暮らせと言われたら一瞬で蕁麻疹が出るだろう。ただそれはパリだからではなくて、東京や大阪でも多分同じ。大都会が苦手なのだ。

私みたいな妄想好きで引きこもりがちな人間は、地球上いや宇宙のどこにいても、そこに人や社会がある限り、同じような苦労に付きまとわれる。人口密度の高い都会では苦労の度合いもグンと上がるってこと。そんなもんだ。


私が今まで生きてきて、初めて住んだ大都会。それがパリ。

歴史深く文化の華が咲き誇るパリは、ディズニーランドのようにキラキラしたものがいっぱい詰まっている。多くの人にとって夢のような憧れの街。だけど同時に、普通に人が住んで日常を過ごす街でもある。

◇◇◇

まだ会社勤めをしていた頃、残業で帰りが深夜近くになったある日。早く家に帰ろうと、急ぎ足でコツコツと狭く曲がりくねったメトロの地下通路を駆けていた。一方通行ですれ違う人がいない狭い通路の突き当り、ホームに上がる階段の下にその人は寝転がっていた。

通路がとても狭かったので側を通り過ぎるのを躊躇してしまい、数メートルの地点で一旦立ち止まって距離を置いて観察をしてみた。寝ているのなら静かに素早く通り抜けられるかもしれない。

もし起きていたら怖いから引き返そうと思い、やって来た方向を振り返ると救急と警察の人がこちらに向かってくるのが見えた。

狭いメトロの地下通路に横たわっていたその人は、寝てはいなかった。息すらしていなかった。

目の前で全身にカバーが掛けられたのと同時に、警察に促されて私はそこを通過した。小走りで通り過ぎる時、微かに尿のニオイがした。

確かにその人はそこにいて、死ぬまでは生きていたのだ、と思った。

◇◇◇

メトロの通路にはたまに横たわっている人がいる。汚れた毛布や寝袋に包まって寝ていたり、着の身着のまま寝転んでいたりする人たち。物乞いを生業とした人たちとは違う、路上生活者たちだ。

路上生活者だから必要な時に物乞いをすることもあるが、物乞いを専門とするプロたちとは違う、訳アリで通常の社会生活が営めなくなった大人たち。


小綺麗な格好で行き交う通勤客は、足元で転がるそんな人たちには目もくれずに足早に通り過ぎていく。

私もそうだ。いちいちメトロの通路で寝転んでいる人を気にしていたらキリがない。ただ寝ているだけなら邪魔をして逆ギレされたら困るし、声を掛けたところで私に何かできる訳でもない。

警察や消防を呼んだとしても、その場から立ち退きをさせることしかできない。雨露がしのげる地下通路から屋外へと追いやられるだけだ。

パリのメトロの黒い床、ゴミやたばこの吸い殻や唾や尿で汚れた床、靴底に謎のベタつきを感じるあの地べたで寝転ぶ人たち。そのまま命が尽きても誰も知らん顔をして素通りして行く。


パリで通勤生活を続けていくうちに、その光景は心の中に染みついて離れなくなり、路上生活者が何故そこで寝転ぶに至ったのかを妄想することが止められなくなってしまった。

もしかしたら、東京や大阪のように大勢人が集まる大都市ではよくある光景なのかもしれない。でも私はそんなに頻繁に通路で寝転ぶ人を見てこなかった。

もちろん日本にも路上生活をする人がたくさんいることは知っている。でも通勤時の通路や繁華街の地べたで寝転ぶ人を見かけることは、地方都市で生まれ育った私の日常ではほとんどなかったのだ。(缶やペットボトルを拾い集めたり、座って休憩?したり、談笑している人たちはちょくちょく見かけたけど。。。)

◇◇◇

南仏の街にも路上生活者はいる。ただこちらはいつも大体天気が良いので外で暮らす不自由さがパリほどではない。公園やベンチがあちこちにあって、水飲み場も至る所にあるし、ビーチの方へ降りて行けばシャワーだって使える。ちなみに真冬には温水が出る。


夕焼けが七色に変化するオフシーズンの夕方、閑散としたビーチを犬と一緒に歩いていると、寝袋に包まって果てしなく広がる空と海と波の音を満喫しながら寝ている人がいる。

まるでソロキャンプだ。

汚れた衣類を山積みに入れたスーパーの袋が横に置いていなければ、趣味でキャンプ気分を味わっている人にしか見えない。


大勢の人がせわしなく行き交う、狭くゴミゴミしたパリの地下通路で寝転ぶ人は、私にトラウマになりそうなほどの動揺を植え付けた。

南仏の今いるこの街ではなんだかちょっと、ある意味、究極の自由を満喫する達人のように見えなくもない、ような錯覚をしてしまう。

◇◇◇

ここで社会問題を議論するつもりはない。ただ私は、都会の真ん中、人混みの中で寝転ぶ路上生活者を見ると心がゾワっとする。実際にそこにいるのに誰からも見えていないような、そんな存在に胸がエグられる。

キラキラとした光が降り注ぐ南仏の公園のベンチで、朝っぱらから酒を飲んで寝転がる人を見ても、あぁまたやってんな、くらいにしか感じないのに。


私がパリでメトロに乗る時は、意識の中で潜水夫のように息をしっかりと肺に溜め込んでから潜り込む。そうしないと胸がチクチクと痛くて耐えられないからだ。




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