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ひとりのじかんとお酒

これまで何度か書いているが私は本当にお酒が好きである。

単純に喉が乾いたときに、麦茶か水かという選択肢の中に平気でビールが出てくるくらいには好きだ。それが寝起きの朝であろうとも。

そのまま本当に飲んでしまえばアル中を疑われるかもしれないが、ちゃんと我慢はしているから安心してほしい。

同棲をして、結婚をして、一番窮屈なのは、なんとなく一人でふらりと飲みに行きにくいことだ。いや、たまに行ってはいるけれど。

でも、確かにひとり暮らしのときほど長時間外で飲んだり、なんとなくで飲みに行ったりがしにくくなった。それがとても悲しい気もするけど、その代わり、行けるときがとても楽しい。

明日、飲みにいける!と思うとものすごいワクワクする。そもそもそんなにお酒が好きじゃない人には、何がそんなにと言われることも覚悟の上だけど、とにかく楽しい。ここで誤解してほしくないのだけど、飲み会が好きなわけではない。

飲み会自体が好きだった時期もあるが、圧倒的に私は呑むこと自体が好きな人だ。

だから、もちろん自宅での晩酌も好きだけど、私は圧倒的に外で飲む派である。

たぶん何が好きって何よりも美味しいつまみだ。

一人で頼むには大きすぎるメニューというものはどこにだってあって、だからこそ、本当に食べたか自問自答を繰り返してから注文する。その真剣さが好きだ。

とりあえずビール、まではメニューを見ずに頼むこともできるが、最初の軽い一品でさえ、できればメニューを最後まで見てから頼む。

初めて訪れるお店だとお通しの程度もわからないので、お通しがでてきてから考えることもある。一人分の胃のキャパしかないのに、せっかくの呑みの機会なのに、お通しと似たようなつまみでお腹を満たしてしまうのは勿体ない。

そんなに裕福なお財布事情の人間ではないので、やはり一品注文するごとに、いくらか〜とお会計の数字は気になるものだ。そのくせ、結局はいくらでも美味しいものには費やしてしまうから飲兵衛は怖い。(とはいえ、2,000円〜6,000円程度なので平均的な飲み会費用と考えれば普通ではある。)

数年前まではカウンターでたまたま隣になった人とお話するもの嫌いじゃなかった。そこで聞ける話は普段の私のコミュニテイでは聞けない話ばかりで、そんな世の中があるのかと楽しくなった。

いつぞや沖縄旅行で飲んだときに、お話してくれたのはどこぞやの食品メーカーの部長さんで、東京に自宅があり、出張でよく九州に来るという方だった。その頃22か23くらいの私と比較すると、きっと父親くらいの年齢の方で、会社以外でそういう年齢の方とつきあう機会もなかったので、とても新鮮だった。

そのまま連れて行ってくれたウイスキバーは普段の私では行けない、かといってかしこまるほどではない、程よい高級感があって大人を楽しんだ。帰りのタクシー代も出してくれて、お金に余裕があるってこういうことなのかな、と思ったり。

横浜の野毛で友人と飲んでいるときにたまたま隣になった人は、世間が狭いと思うのだけれど共通の知り合いがいる人で。これまた私達と年齢は20も離れていただろうに、不思議なこともあるもんですね、と笑いあった。

その飲み屋がちょっと珍しいメニューを出す場所でまあ、いわゆるゲテモノ系なのだが、試したいけどこれ全部を二人だと悩むね・・・という葛藤を隣の人とのシェアという形で解決できたのも良い思い出。

今でも、というかコロナになる前でもっとみんなでわいわい飲める環境だったときの話にはなってしまうけど、友人と二人で飲み屋に行くのであれば、お店の雰囲気にもよるが隣のテーブルの人たちとお話するのも好きだ。

浅草のホッピー通り、渋谷ののんべい横丁、新宿の思い出横丁やゴールデン街、横浜の野毛・・・隣の誰かと飲んだ記憶がすぐに思い出せる場所を並べてみたけど、お酒のあるところにはいろんな人が集まっていて楽しい。

最近、びっくりするくらい行けてなくて寂しい。

そこで打ち解けて連絡先を交換するのだが、結局後日、連絡を取ることはない。もしくは一度だけ、ありきたりのないメッセージの1ラリー程度で終わるまでがいつもの流れ。ラインの友達リストに見える、誰かわからないアカウントはきっとこのときの誰かなのだと思う。気を抜くと名字が変わった旧友の可能性もあるので削除できずにいるけれど。

本当はその後までつながる人もいると思うけど、私の場合は、その場だけの方が好きだ。もし、またここで会えたら一緒に呑みますか、程度の関係でいい。たぶん、根は人間がそんなに好きじゃないから。

で、結局は一人で呑むのが大好きになっている。

誰かと話すわけでもなく、読書をしながらがマイブーム。さすがに空席がない状態なのに、つまみも飲み物も頼まず本に没頭となることはしませんが。そういう意味では平日のお昼は最高。

昼飲みという言葉が市民権を得てきているとはいえ、やはりまだまだ平日休みの人はそんなに多くないので、お昼に飲めるお店はそんなに混んでいない。

のんびりゆっくり、大して料理も頼めない一人客でもいないよりはマシだと思わせてくれるくらいの余白がお店にあるので嬉しい。

学生のころ、よくあんなに頻繁に飲み会ができたなと思う。

その頃はそれだけ、何か話すことがあったのだろうが今はお酒の場で無駄なことは話したくない。ただただ美味しいものを楽しみたい。

おそらく、体力がなくなった。人に対する体力が。

よくこんなタイプで営業職をずっとやっているなあと我ながら感心してしまうけど、人との会話が苦手だ。雑談を楽しめるタイプではない。

だけどそうも言っていられないのが社会というものだから、一人の時間がこの上なく好きで、私の場合は漏れなくそこにお酒がついてくる。


飲食店の営業時間が短くなったり、そもそも営業していなかったりした時期がここ最近続いていて、満足に外呑みができない。

今年度こそは、美味しいお酒と美味しいおつまみを心ゆくまで楽しめる環境になりますように。

呑みたい!が不謹慎なんて言われない社会になりますように!



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