見出し画像

徒然と、ささくれだった心に

あっという間に7月だ。

もう1年の半分が終わってしまったなんて。早い、早すぎる。年を重ねると段々時間の流れが早くなっていくとは聞いてはいたけど、実感。本当にこんなにも早いとは。

なんだか、たくさんやりたいことがあるようで、やりたいことが何もないような気もする。時間が足りないと思うのに、ふとできた時間を持て余したりもする。

休日はもっぱら寝て過ごしがち。

そして、いつの間にかもう真夏。

外は暑い。わんことお出かけもしたいけど、外に出た途端にもう帰りたくなっているワンコを見ると、無理はさせられない。気温がさがったら出ようと思うが夜になっても暑い。もういつ、散歩をしたらいいんだ。
そして、それをワンコたちに理解させるのがもっと大変。外に出たら、”嫌だ、暑い、帰る”ってなるくせに、家にいると散歩!散歩!とせがんでくる。まだまだ君たちが歩くには大変な時間だよ〜とどうしたら分かってくれるのか。ほら、リビングから出れるお庭にさえ行きたくないくらい窓を開けると熱波が来るでしょ…と思うんだけど。
いつから夏ってこんなに暑くなってしまったのか、うぅ。

夏といえばビールが美味しい季節。
いや、ビールは年中無休でおいしいんだけど、夏の炎天下からの冷たいビールは格別。
ああ、うまいビールを飲みたい。
飲みたいんだけど、もうお酒が楽しむためのものよりも記憶を飛ばすためのものになりつつある感じ、危ない。

いや、そうそう記憶は失わないけど、なんていうか味わうためではなく完全に酔うために飲酒する感じ。よくないとは思いつつ、頭を空っぽにしたいときがある。ある、というレベルではなくもうほぼ。くつろぐときに無駄なことを考えたくないので、とにかく空っぽにしたいんだけど、そのためにはアルコールがもたらす「酔」がどうしても必要。
なんだろう、身体をしっかり動かすとか、岩盤浴でデトックスとか、それだと意識は残るから、なんだか休めた感がない。

不健康。
あんまりこの思想、健康的ではないなと思う。思うけど、そういや昔から人一倍感受性はすごかった、と思う。

授業中に音読させられて、まさかの登場人物に感情移入しすぎて泣いてしまうくらいには。

比較的大人しくて目立たなかった私は、先生から見たらみんなの前での発表が嫌だったり恥ずかしかったりで泣いたのだと思ったらしい。
いや、たぶん、その頃からそういう部分については鉄の心臓を待ってたと思う。

社会で生きていくために、段々、繊細な心はとにかく邪魔でいちいち感情移入なんかしてたら自分の心がやられてしまうと10代後半から思っていたけど、それに伴い文章が書けなくなった気がしている。

本を読むのは今でも好きだが、小学生の頃が今よりも断然、貪るように読書をしていた。そして、しっかりインプットしていた。今は娯楽として楽しめるけど、そこまで入り込めていないのと、例えば文章の作り方とか言い回しとかを自分のものにはできてきないな、と。
なんだか、頭をサラーッと過ぎていく感じ。あまり深追いしないようにブレーキかけているのかもしれないけど。

なんだか、それが大人になるということかもしれないけど悲しい気もあって。自分の文章は圧倒的に以前のもののほうが好きだ。
思うことや伝えたいことが何も表現できない自分の今の能力に辟易してしまったりもする。
ビジネスメールはお手のもの、なのに。

なんだか、そんなことが全て憂鬱。

今、不幸せかと言われたらいやいや、それなりに、とは答えるが100%は満足しきれていないのが嫌。
なんだか、強いのか弱いのか。

大卒ストレートで社会人になった私は30前後には4社目にいて、それはそれなりに社会人になっても環境がかわってきたってことではあるんだけど。
やっぱり変わり映えしない日常になんだか飽きてもきていて。自分にできるレベルで何かを変えたくて、本当に簡単なものでいえば髪色を明るくする、だとか。節目となるタイミングで大きな買い物をしてみる、とか。
自分の身体に何か証を残したくて今はタトゥーを検討しているけど、物理的な痛みに弱いかつ肌が一般レベル以下の耐性しかないので悩んでいる。悩み始めて3年が経ちそうで、そうなったらもうチャレンジもしないのかもしれないなーとそろそろ思っている。

35歳までにまたプラスで何かはしたい、とか思っているけど、年齢なんて記号とは誰かが言っていた。

本当に記号なのだろうか。
やっぱりどう考えても年齢に左右されることって世の中にはあるから。

本人の気持ち次第と言ってしまえばそれまでではあるんだが。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?