残された時間について、考えた

前回ふれた通り、逆境的小児体験(ACE)について、少し読んでみたのですが、読みながら意識が滑るようになったり、やや呼吸が苦しくなったりしたので、これはやめた方がいいと、ひとまず中止しました。

少し読んだところによると、ACEスコア4の人達は、0の人達と比べて、寿命が20年短いそうで。
もし私がそのケースだったとして、あと20年も生きられないということになり。
(私のスコアは9なものの、今までのことを考えると、おそらく尋常じゃない程丈夫なので、うっかり長生きという可能性も捨てきれませんが、、)
過去20年はあっと言う間だったし、余生もきっとそうなるのでしょう。
そう思うと、改めて、その残り少ない時間の中、可能な限り喜んだり楽しんだり、自分の感情と向き合い寄り添うことに、尽力したくなります。

苦労して耐えながら得るものもあるし、楽しければ良しとは思っていませんが、自分のトラウマが及ぼす精神や心理、脳への影響等についての知識は、身を削って学ぶ程には、自分にとって大切なものではないんだと思います。

解離性同一性障害とトラウマ治療で、クリニックへ通い始めた頃、「自分のことを、もっと知りたいんです。わかりたいんです。」と言った時。
臨床心理士の先生は、「隠されている記憶は、その理由があるから、、知りたいですか?」と仰った。もう一度考えて私は、「やっぱり、目的は、知ることじゃなく、辛くなくなることなので、記憶を掘らなくてもいいです。」と言ったのでした。

「すべての経験は必要だった」なんてとても思えないことも、トラウマ起因の衝動がプラスに働き私を引き上げてくれたことも、何も整理しないまま、ただ箱に入れて、今現在の私の心をいつも真ん中にするだけで、良いのかも知れません。
治療期を終えてしばらく経ち、リハビリ/トレーニング期に入っていたようです。