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究極の愛について

飼っていたチョウが羽化した。

去年の10月、ジャコウアゲハの幼虫が道路を横切ろうとしていた。
「このままだと車に轢かれる!」と思って拾った。
わたしが幼虫を拾おうと悪戦苦闘してるときに、ちょうど子どもの保育園の担任の先生が通りかかった。
「〇〇くんのお母さん、何してるの!?」と怪しまれ、しどろもどろで説明したことも今ではいい思い出である。
拾った幼虫は2日後に蛹になった。
いま考えたら幼虫は蛹になる場所を探して動き回ってたのかもしれない。

これだと羽を伸ばせないので……
大きい虫カゴへ移動。

その後、蛹のまま越冬して、羽化したというわけ。
冬のあいだ「もう死んじゃってるかな」と心配しながら過ごしてたから、成虫になってビックリしたしホッとした。
蛹を見るたびに「わたしがあのとき拾わない方が生き延びれたかも」と考えていたから。
羽化したらしばらく飼ってみたかったけれど、虫カゴにいるあいだに羽が傷ついたらかわいそうだと思ってすぐに逃した。

ウマノスズクサ(ジャコウアゲハの幼虫が食べる植物)が生えているそばで逃がそうとしたのになかなか飛んでいかなかった。
諦めてベランダに持って帰ったら、すぐに飛んでいった。
仲間がいるところにたどり着けてるといいなぁ。

チョウのガチ勢の中には、羽化したらすぐに標本にする人もいるらしい。
羽が傷ついてなくて、きれいな標本になるため。
そのことを教えてくれた人は「究極の愛だよね」と言ってワッハッハと笑っていた。
わたしは羽化してすぐの美しいジャコウアゲハを見たとき、究極の愛は湧き上がってこなかった。
殺して綺麗なまま残したいとは1ミリも思わなかった。
ソッコーで「逃がそう」と思ったので究極の愛とは真逆である。
わたしは究極の愛なんて知らないまま生きていくんだろうなぁと、ふんわりと頼りなく飛んでいったジャコウアゲハを見ながら思った。
今できないということはたぶん一生できない。
それをやってみたいと思うのに、やりたくないとも思う。
広い世界へ飛び立って仲間と会って子孫を残せるようにと願ったが、そもそもそれは本人(本蝶?)にとっての幸せとは限らない。
その願いはわたしの押し付けである。
チョウの幸せを願ってやっているぶん、究極の愛よりもタチが悪い。

すぐに標本にする人の気持ちがちっともわからなかったけれど、臆病者のわたしはどうせできないだろうけれど、今は少しだけわかってみたいと思う。

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