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不安症だってパニック障害だって関係ない『人生はよりよくなるためのチャレンジの連続』4

これまでのお話し

4.もう一回、東京でやり直したい!

機織り機を組み立てるタイミングで、実家を出て念願の海の見える高台の家を借りることができました。
実家から車で30分かからない、私には程よい距離です。

残念だけど機織りでは食べていけないという現実。しかも独立したからにはそれなりの生活費を稼がねばと、 職探しに新しい住まい近くのハローワークに飛び込みました。

幸運にも冠婚葬祭などの贈答品を扱う家族経営のお店の店員さんのバイトがすぐに見つかりドキドキの販売員ライフが始まりました。

私には初めての業界、初めての売り子さん。キュロットの制服もありました。
広い店内には、お中元やお歳暮、お祝い事、法事用などの贈答品が、洗剤、食品、寝具、食器などのブースごとに並べられており、お返しものに律儀な田舎では一度に何十個単位で売れていきます。

不安症でしたが、決して人と話すことが嫌いではない私にとっては、楽しい仕事でした。包装紙であらゆる大きさの箱を包む技術も身に着け、二週間ほどで正社員のお話をいただきました。

機織りではなかなか収入に繋がらないので、ボーナスも有給もある正社員は願ったり。

しかも運動会のように急いで倉庫から荷物を降ろしたり、無心で包装する仕事がマインドフルネスのような効果もあったようで、メンタルがとても安定していたのでした。



実家からも程よい距離に住めて、周りに友達もいて、正社員として働けて、機織りを続けられる仕事。田舎では申し分ない生活だと思っていました。

ところが、私には信じられない事がこの家族経営の中で当たり前のように横行していたのです。絶対受け入れられない事でした。

それというのは、従業員が病欠など正当な有給休暇を取得しているにもかかわらず、配達人である主任がその従業員を街で見かけただけで、「ずる休みだ!」と店内で吹聴するといったモラハラ。

私も経験しました。

仕事中にひどく腰を痛めたため数日安静が必要になり、休みを取得したことがありましたが、病院に行った帰りに喫茶店で軽食を取っているところを見かけたようです。

小さい街の中、私は常に監視されているような怖さを感じました。
不快と恐怖でいっぱいになり、早く環境を変えたいと思うようになったのです。


私はその思いを決して表には出さず関係性は誰とも悪くなかったのですが、心の中の不快感と静かな怒りはどんどん大きくなっていきました。

そして「東京ならこんな風に就業する人の権利が侵害されることなんてないんじゃないか」「どうせ雇われるなら知性のある人に雇われたい」「東京は一人一人が自分の足で生きている」と、結婚していた頃は良いところが見えず、毎日離れたいと思っていた東京への思いが募っていきました。

大きな変化でした。
私の中で、正当な権利を侵害されることがよほど許せない事だったのですね。

結局それがトリガーとなり、安心の塊のような実家や友人たちと離れてでも東京で、まさしく裸一貫やり直すことを決意したのですから。

そうしないと、私はダメになりそうな怖さと不安があったのです。

贈答品の店舗にはどうしても東京で新しい生活を再出発させたいという理由で円満退社し、昔からの友人のつてを頼って、本来の私の経験を生かした業種に契約社員として就職することができました。

機織り機の置ける住まいも見つけ、大移動。
盆、GW、正月の3回は少なくても必ず帰省すると決め、旅立ちました。

不安症のほうは、東京へ行ってからも当面は、田舎のクリニックの先生にサポートをしていただいていました。

思い付きの行動でしたが、ありがたいことに家族や友人など周りの人の手をかりて、私の新たなステージを東京で始めることになったのでした。

東京へ再出発するまでのチャレンジのご紹介はここまでになります。
お読みいただいてありがとうございました。

再度東京の地を踏んで約20年経った今、振り返ってもこの決意と変化へ心の勢いは、結婚と離婚の変化を凌駕するものだったなぁと思い出してもドキドキしてきます。

今でもこの選択が正解だったのか分かりません。
生活の立て直しもあり無我夢中で生きてきました。

この20年を振り返ると1年が1か月ほどの速さに感じるくらいです。

一つ言えることは、今のところ後悔はしていません。
誰かに強いられたわけではなく、すべて自分で決めてきたから。


不安症だってパニック障害だって関係ないんです。
あの頃ひどい予期不安で動けなかった私ですら、そうせずにはいられない思いでこうして人生を突き進んできました。

動くきっかけは、ワクワクすると怒りでした。
想像しただけでワクワクが留まらないほどの高揚感と、その中に留まることができないくらいの胸の奥の怒り。これらが私のチャレンジへのトリガーでした。


今、しんどくて動けない状況にあるなら、全く無理しなくていいです。
信頼できる専門家の手を借りて、薬に頼ったっていいと思います。

自分の人生をより良いものにすることが一番大事だということを忘れずに生きていきたいと思います。


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