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あの失敗が今の幸せ

私は中学時代勉強に明け暮れていた。

朝は五時前に起き、ご飯も食べずひたすら机で参考書と睨めっこ。学校から帰れば二十四時を超えても机で必死に英単語を暗記した。

私は中学三年間とにかくとにかく勉強をした。

ちなみにそんな私は部活動もしていた。バリバリの昔ながらの運動部で、校庭に出れば何キロも走り込むところから始まるような部活だった。平日は朝練と夕練があった。土日だって沢山の汗を流してヘトヘトになりながら体を鍛えて、家に着く頃には動けないくらいだった。

真面目な私は、三年生になる頃には部長や学級委員にもなって出来ることをさらに増やしていた。

でも、部活等でヘトヘトになっても勉強だけは疎かにせず、必死に食らいついた。

ごはんを食べる時間や寝ることさえ勿体なくて、睡眠や栄養も取らずに問題集を朝まで解いた。

どんな時間もとにかく必死だった。

だって、私は良い大学に行きたかったから。

そして、何も無い自分に自信を持ちたかった。

だから、どんなに辛くとも苦しくとも何があろうが、私は一生懸命今できることだけに走っていた。

部活も勉強も、とにかく真っ直ぐに打ち込めば自分が見つかる気がしていた。頑張りさえしていれば、どうにかなると思っていた。

頑張っている時間があれば、やりたいことが無い何もない空の自分から生まれる焦りや不安はどこかへ消えてくれた。

いつか、有名な大学さえ合格すれば、自分の人生は成功と言えると思っていた。それを考えるだけで安心できた。

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そして、そんな一生懸命で真面目な私は猛勉強の末、中学三年生の冬に見事私立の進学校に合格した。

土日も補習があったり夏休みも勉強三昧できるような、有名大学現役合格が売りの高校で、ここで過ごせば難関大学なんて簡単に合格できると考えていた。

だから、春からは〝良い大学〟へ向けて素敵な高校生活を……送るはずだった。

はずだった……のに。

桜がひらりと舞う明るい入学式を終えてから1ヶ月弱。私は学校に行かなくなってしまっていた。高校生活も気合を入れて、中学同様一生懸命勉強に打ち込もうとしていたのに。

学校へは辛くて行けないと感じてしまった。

何故か学校の皆全てが敵に見えてしまっていた。

そんなことは無いはずなのに、クラスの仲間や先生まで全部が私を嫌っているように見えてしまっていた。

急に、人の目が怖くて怖くて仕方なくなった。

そして、学校を怖がり休み続ける私を見て家族は心配をし、病院に連れて行ってくれた。

それからはよくわからないまま病院の先生のところへ週一度くらいの頻度で診察を受けに行った。どうしたらいいのかわからない私は、診察で先生の質問にただ答えてよくわからない薬を貰うだけだった。

何が起こっているのかは全くわからなかったが、病院に通い始めて半年後、主治医に言われた。

「あなたは統合失調症です」

訳が分からなかった。

悔しくて仕方なかった。私なんかが何故?と。そんなことは無い。私は強いはずだ。ただ疲れているだけだ。そう言い聞かせた。その後は、自分を認めたくなくて無理をしてなんとか登校を再開したり、休んだ分の勉強が遅れないよう、必死に夜中まで課題に取り組んだりもした。

でも、やっぱり、学校で周りの目が怖くて怖くて仕方なくて、行くことはできなくなった。行っても教室で震えが止まらなくなったりして早退を繰り返した。どうしても、周りの世界全てが敵に見えて恐怖を感じてしまった。

誰かのため息さえも、私に対しての攻撃だと思うようになってしまった。

これ以上行くことはできない。もう、無理だ。そう強く思ったまま、新年を迎えた。そして気が付けば、学校を辞めてしまっていた。

私はそれから、月に二回しか学校へ行かなくても良い通信制高校へ通うという選択をしたが、卒業は出来たものの何年も家に引きこもった。

そして、人生は終わりだと絶望をした。もう、大学になんて行くことはできないし、外にすら出ることも出来ない。周りの同級生は普通の道を歩んでいるというのに、私の人生にはもう何もないのだと死にたくなった。

寝たきりのまま、毎日自分の部屋の白い天井を見ては思った。

私は大きな失敗をしてしまったんだと。

絶対に大学へは行かないといけなかった。勉強を頑張らないといけなかった。高校に毎日通わなくちゃいけなかった。

でも、それは出来なかった。

絶対失敗してはいけない人生のポイントを大きく失敗してしまったのだ。

自分の人生は終わりだと思った。

大学へも行けなくて、家から外へ出ることも出来なくて、人とも話すことが出来なくて何にもなくって……もう、私は生きていくことはできないダメ人間だと自分を責めた。

ただ、毎日布団にくるまっているだけしかできないダメ人間なんだと。

そして、このまま一生外に出られず落ちこぼれなんだと嫌気がさして、沢山主治医に反抗をした。でも、主治医は言ってくれた。

「大丈夫、一緒に頑張りましょう」

私がどんな態度をとっても、そう主治医は言い続けてくれたのだ。そんな主治医のおかげで時間が経つほど自分の病気と向き合えるように、優しく受け止められるようになった。五年もかかったが、やっと外へ出ることも出来るようになった。デイケアという居場所が出来たり、就労支援施設で働く力を付けることも出来た。やがて、人と話すことが楽しいと思える時間も次第に増え、大きな企業の世界へ踏み出し自信をもって働くことまでも出来るようになった。

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そして私は現在、結婚し楽しく社会で働いている。後輩に頼られることだってある。お客様に「ありがとう」と言って貰えることもある。「あなたが必要なんだよ」そう言って、私を大事にしてくれる仲間がいる。

腹を割って話すことの出来る友達だってたくさん出来た。私に会いたいと言ってくれる友達は数えきれないくらいいる。

私は世の中の為に、誰かの為に生きることが出来ている。

生きる意味を毎日見つけることが出来ている。

愛するパートナーと寄り添い合うことだってできている。

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夢だって沢山できた。

小説家になりたいだったり、いつか会社を立ち上げたいだったり。

人生は終わってなどいなかったし、むしろこれからだと感じている。

人生はいつでも休んで良くていつでも始められたのだ。

だから、私は思う。

辛かったけれど、あれは失敗なんかじゃない。確かにあの時の私にとっては大きな挫折で人生の大きな失敗だったかもしれないが、きっと必要で大切なことだった。

今、とっても幸せだから。

今、大切な仲間に出会えたから。

私だけのオンリーワンの夢が出来たから。

大学へ行けなくたって、高校へ行けなくたって、何年も引きこもっていたって、私は私にしか作ることが出来ないできない幸せを見つけることが出来た。学校に行けなくたって、人生は終わりなんかじゃなかった。

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そして、自分が統合失調症になった理由は、何事も全て一生懸命頑張りすぎてしまったことだと大人になってから気が付くことが出来た。真っ直ぐにしか生きることが出来なかった自分は、頑張りすぎたせいで大きく心と体を壊してしまっていたのだ。

もちろん、他にもたくさん理由はあって、家庭環境の悪化だったり、過去のいじめのトラウマだったりと色んな要因があるのだが、やはり、勉強などをやりすぎてしまったことは私にとてつもなく負担をかけてしまったようだ。

だから今は、あの頃、学校に行けなくなってしっかり休めて良かったと思う。

あの頃、周りの言う良い大学が何か具体的にわからなかったくせに、流れに乗って信じて進んだって、そこには自分の夢は無かっただろうし、あのまま無理をし過ぎていることに気が付かずに突っ走ったままだったら、もっと悲惨な事態になっていたかもしれない。だから、私はあの時学校に行けなくなって大学に行けなくなって、無理をする自分を知ってよかったと思う。

今幸せがあるのは、あの時ちゃんと失敗が出来たから。

そして、その失敗に自分から向き合い気が付けたから。

時間は掛かったけれど、私は統合失調症という病気になってから、やっと自分と向き合うことが出来て、自分のペースで進む自分らしい素敵な生き方を知ることができた。

自分で考えて、自分だけの夢を見つけることも知った。

そんなに頑張らなくても、人生十分頑張っているのだと知った。

良い大学だけが、私の生きる意味ではないと知った。

人生を懸命に走ることは良いことではあるけれど、全てにおいて頑張ることだけが絶対ではないとも知って、自分のペースで進むことが出来るようにもなった。

人生に絶対なんか無いと分かった。

あれから十年経った今、私は自分の統合失調症という疾患に感謝をしている。

知らなきゃいけない大切な生き方をたくさん知ることが出来たから。

あの出来事がなければ、きっと今の幸せは無いだろう。

あの頃失敗をした意味が、大人に成長してやっと分かったのだ。

▽大切に生きるをテーマに執筆中▽

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