私が不登校になった理由5つ~どうして人が怖くなったのか~
人に会うのが怖くなった
気が付けば不登校だった。
私は高校生になって学校に行かなくなりました。
人に会うのが怖くて仕方なかった。
義務教育を受けていた中学生までの自分は学校を休むことなく、成績は良く将来は良い大学に行くんだと言い聞かせ、一生懸命その為だけに生きていた気がします。
それしか生きる道はないと思い込んでいたのもありますが……。
高校受験後は進学校に合格し、これでやっと〝良い大学〟に近づくことが出来るなんて安堵していたのを覚えています。
しかし、私は高校入学後の一学期から少しづづ学校へ行けなくなってしまいます。
〝人が怖い〟
そう、思うようになって夏休み以降、学校には一切登校できなくなった。
私は人が怖くて外に出られなくなったわけですが、どうしてそうなってしまったのか大人になってから気が付いたことがありました。
これはあくまで私の場合のお話になりますが、綴らせていただきたいと思います。
1.いじめ
小学校中学校時代私はいじめられていました。
少し周りとは変わった性格で仲間外れになることも多かった。
変なあだ名で呼ばれたり、からかわれたりバカにされたり毎日行きたくなかった。
でも、〝良い大学へいつか行くこと〟だけが、将来幸せになる道だとその時は信じていたので休む日はなく、頑張って通っていた。
毎日悪口を言われるのは辛かったし、毎日学校へ行くことが怖くて仕方なかった。「自分はおかしい人で皆そう思って見てる」と思い込んでいき自信もなくなっていた。先生に言ったところで、そんなものすぐ解決はしなかった。
立ち向かうだけ、疲れて、苦しかった辛かった。でも、泣きながら〝休んだらダメ〟と自分に言い聞かせて我慢して通いました。
しかし、その苦しみのストレスはどんどん大きくなり〝自分はおかしい〟と心の中で大きく膨らんで〝人に会うのが怖い〟と思い苦しくなってしまった。気が付けば外に出られなくなったのを、周りが怖くなったのを覚えています。苦しい辛い毎日が心に蓄積され、自分では対処できず手に負えなくなったのです。
今思うのは頑張ること自体は良いことかもしれない、でも、とにかく頑張ることだけが人生において全てではないということ。
無理をしてまで学校なんて行く必要無いし行かなかったからって人生は終わらない。〝良い大学〟〝好成績〟だけが幸せな道でもない。そんなに頑張っていじめに立ち向かう必要もなくて逃げるが勝ちの時もある。
真夏にこまめな水分補給という身体の休息が必要なように、心の疲労を感じたならばもっと自分から休んで向き合って、心の休みを取っていれば良かったと今は思います。休息を取れば明るい明日がいつか来ます。
そして、その心の休息は何歳の時だってどんなに長い期間でもいいと思います。
若いからとか、年配だとか関係ない。自分と見つめ合う大切な心の休暇です。逃げたい心と無理する心と向き合い休んでから、本当に行く必要があるか考えても良い。
それが必要な時は人生のどこでも訪れる。
心と向き合った上で頑張ることが、生きていくのには必要だと思っています。辛くて苦しいならそんなに頑張って学校に無理して行く必要はなかったのです。
いじめから逃げてしまってよかった。
心の声をもっと聞いてあげるべきだったと私は思います。
2.家庭環境
私は上記に書いたいじめだけが不登校になった理由とは思っておりません。
様々な要因が重なって、心が疲れ苦しくなって学校へ行かなくなったと思っています。
その中に家庭環境が取り上げられます。
私の家庭は、今思うと決して良いとは言えなかったから。
子供の頃はこれが幸せな家庭だと信じていました。
しかし、大人になって昔の自分の家庭が苦しいものと感じるようになりました。
まず、父は躁うつ病で、母はうつ病でした。仕事を休みがちの父と、家事をするので精一杯の母。ふたりとも優しく良い人ではあったけれど、自分のことで精一杯で子供のサポートはあまり出来ていなかったと思います。
食事もレトルトが多くなったり、十分な栄養を取れなかったりもした。
私はやせ細っていましたし。
そして、仕事に通えなくて落ち込む父がいつもリビングにいた。
それを見て不安になる母。
私はそんな不安定な家庭でも学校でも苦しさを感じていた。
心が落ち着く場所がわからなかったんです。
だから、学校に無理して行ったのも、あるかもしれません。
学校でも家でも、気が付けば心のストレスは膨らんでいたと思います。
決して父も母も悪い人ではないし、優しさはあったから責めるつもりはありません。二人とも頑張っていたので感謝しています。ただ、余裕のない家庭で、私は苦しさを感じていたのは事実です。
私が不登校になった時は母は疲弊していました。
不登校の私と喧嘩も絶えなかった。母は限界を感じ、居なくなりました。
両親が離婚してから、ショックで私は一年ほど寝たきりに。
通信制高校の月に一度の登校とトイレとお風呂と、食事だとかくらいはなんとかしんどくても活動していたくらいです。
しかし、離婚後は父が私の事を懸命にサポートしてくれるようになりました。このままではいけないと父は立ち上がってくれたのです。
父は躁鬱を回復し、私と向き合って話してくれた。
一緒に出かけてくれることも増え私はその後回復したのを覚えています。
私と向き合う懸命な父の支えが大きな回復へと繋がりました。
3.高校受験
いじめや家庭環境以外には、受験のストレスも関係していました。
私の父も母も国立大学出身で、〝良い大学〟が〝良い人生〟と、当たり前に思っていたところは私も両親もあると思います。
だから、〝良い大学〟へ行けるよう、最低限頑張らねばならないと、私は何事も我慢して勉強しました。
いじめが辛くても学校へ行き、塾が辛くても通い続け、内申点の為に実行委員会や部活へ行き、辛くてもリーダーをやり遂げていた。
自分に嘘をついていたんです。
しかし、嘘をついていればいつかは限界が来ます。
私は疲れて心がおかしくなっていた。
〝良い大学〟〝良い人生〟それが一体何かも知らないで、周りが言う〝良い〟を知らずに流されて生きていただけなのです。
寝ないで夜中まで勉強し、ご飯を食べず問題集にしがみついていた。
今思うと勉強ができることだけが大学へ行けることだけが良い人生とも限らないし、自分らしい自分で決めた道が自分の幸せだと感じます。
4.自分の性格
私は完璧主義で頑張り屋です。
ここまで読んで気が付いた方もいるでしょう。
一生懸命できて偉いとか羨ましいとか言われますが、これが私の大きな欠点です。
もちろん長所でもあるのですが、自分に嘘をついてまで駆け抜けるので、身体も心も壊しやすいのです。
頑張ることはいい事。でも、せっかく頑張ることが出来るのにやりすぎて倒れてしまっては意味がない。
だから、今は気楽に生きています。
なるようになるさと休み、悩みは一度捨て放り投げています。
大学だって行けなくても学校に通えていなくても、あの頃は不安で仕方なかったけれど今、楽しく生きているのだから。
辛い思いをしても、まだ、全然頑張れていないと思っている人。自分が頑張ってないと思い込んでいるだけで、頑張りすぎているかもしれません。
そう思っているなら頑張っている証拠では?
周りの声は関係ありません。あなた自身の心に聞けばわかります。
それにすぐに気が付くことが心を守ることです。
だって、昔の私は頑張れていないと思い込んでいたから。頑張れていないと思っていた自分は、頑張りすぎて心が壊れてしまっていた。
不登校になり休むことで心と向き合い、心の本当の声を知り、無理をしていることに気が付きました。
もっと早く気が付けばよかったです。
でも、自分の心に気が付くことは難しいことだったりもします。
大人になり振り返って、やっと私は知ったことですから。
5.不安な将来
私はとにかく未来が不安で仕方なかった!
いじめ・家庭環境・受験が重なりのストレスが蓄積し、将来は生きていけないのだとさらに不安が積もった。
その将来の不安も大きなストレスになり、勉強が少しでも遅れたら焦り、とにかく不安は今何とかしなければと無理に頑張りすぎていたと思います。
不登校になればもう終わり。そんな風に思ってしまっていた。
でも、そんなことなかったです。私が狭い世界で生きていただけでした。
私は大学へ行くことが全てだと、思い込んで絶対だと思っていたから不安が増え苦しかった。
でも、外に出て人と繋がった今、もっと素敵な様々な世界の人々を知りました。
生き方は十人十色。
経歴も仕事も未来の道も沢山ある。
何歳からでも立ち上がることが出来る。
だから、休める時は先なんてどうにかなると一度未来を忘れて、時間をかけて休み心と向き合ってよいと思っています。
まとめ
私の不登校の理由に、コレ!というものはありません。いじめだけでもないし、家庭状況だけでも、性格だけでもない。もしかしたら、他の理由や些細なきっかけがあるかもしれない。
繊細で難しい事だから正解はありません。
そして誰かのせいでもありません。自分のせいでもありません。
そして、何かのせいにしたって解決してくれるわけでもないし答えが出るわけでもないです。
ただ、一つ言えるのは人は様々なところからいろんな形のストレスを浴びて心の許容量を超えると、自分では対処できなくなってしまうということ。
同じ勉強量でも疲れる人と疲れない人がいるように、同じ嫌な言葉でも気にしない人と気にする人がいるように。
人それぞれストレスの受け取り方も違います。
その許容量は人によっても違う。だから自分を知って大切にしてほしい!
私は五年間引きこもり、やっと外に出られた。その時思ったのは、もっと自分の心に正直に休んで、向き合う時間を作ればよかったと思います。
学校なんてそこまでしてまで無理をしてまで行かなくてよいのに、苦しみながら行き続け不安を大きくしてしまった。
急に不登校になってしまったのは、頑張りすぎたから急に休まなきゃいけなくなった。
本当は、出来ないことを無理をしてはいけなかった。
もっと逃げて良かった。そう、今は思います。
若いうちの数年の学生生活とこれからの何十年。
どちらが素敵か考えた時にこの先の自分の為に今を大切にしてほしいです。
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