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人が怖いのは満たされなかった子供の自分が叫ぶから

私は人が怖い

私は基本的には人が怖い。

「嫌われていたらどうしよう」「悪口を言われているかもしれない」と思ったり酷い時には「何かされてしまうかも」と辛くなってしまう。そしてすぐ逃げようとする。現実で相手に対しそこまでのことが無くても、勝手に被害妄想してしまう。

怖くなって遊びを急にキャンセルしたり、会わなくなってしまうなんてことは生きていてよくあった。周りにはたくさん迷惑をかけてきたと思う。昔よりも今は自分と向き合い経験を積んで和らいだが、まだまだ人を怖いと感じる自分は環境や体調によってある。

これは統合失調症の症状もあるが元々の私の経験や性格などが強い。

周りはそこまで私のことになんて興味ないし、怖がるほどのことではないのは頭の中でわかっているはずなのに……それでも私は人と会うことに緊張や不安を感じてしまうのだ。私の中で怖いを勝手に膨らませていってしまう。

克服しようと無理に一度に何十人と多くの友達を作ったこともあったが、やはり無理をしてまで人付き合いはするものではなかった。人と多く付き合えば付き合うほど、不安が強くなり悩みが増えていった。

期待してしまう

私はどうして人が怖いのだろうか。

それは「人に期待してしまう」からと言える。

人に期待してしまうというのは、あの人にに良く思われたい、こう思ってほしい、嫌わないでくれるはずだ、優しくして欲しい、など「こうであって欲しい」と思ってしまうこと。

私の中の認めて欲しいという気持ちが誰に対しても強く出てしまい、いつも誰かに「こう思ってほしい」と期待しているのだ。だから、期待のハードルがある分裏切られたと感じ人嫌いや恐怖心が加速してしまう。

しかし、人はそれぞれ考えも生活も好みも、私とは違う。私がいくら求めたって人は人だ。特に社会ではそんなの通用しない。期待すればするほどたくさん裏切られたと感じてしまうだけである。

本当は嫌われたっていいのに。そんなに怖くないのに。

人は人。だから私は私なのに。私でいいはずなのに。

他人に求めて報われることはあまりないのに……。

ここまでわかっていて、何故、私は未だに期待を膨らませてしまうのだろうか。

裏切られたと勝手に感じて嫌われたんだと思い込み、人が怖いと苦しむだけなのに。

母に満たされなかった

私は育った家庭の状況が不安定だった。

父は躁うつ病、母はうつ病で寝ていることが多く、両親から私への愛はあった心が満たされるほど大人になるまでに愛を貰えていなかったかもしれない。もちろん育ててくれたことに感謝はしているが、恵まれた家庭だったかと聞かれたら簡単には答えられない。

母は高校生の頃突然家を出た切り帰ってこなくなってしまったため、私の中には心の傷がある。人間不信はそこからきているとも言える。

子供の頃は両親に認めて貰ったことがあまりない。ありのままの自分を肯定して生きることはできず、小学校から中学校、高校入学から卒業まで「私って何てダメな人間なんだ」と自信なく生きていた。自分自身に大きな不安ばかり溜めてしまっていた。

だから、私は大人になって求めてしまうのだ。

周りの誰かに母のように「それでいい」と言って貰えると期待してしまう。頭でわかっていても、子供の頃に満たされなかった分、無意識に誰かに認めて欲しいと思ってしまう。

求めて、期待して、認めて欲しいと願う分、私は裏切られたと感じ人が嫌いになり怖いと言う。自分の中で勝手に。

そして怒りや悲しみを感じる。

やっと気が付いた

私は私の中で勝手に人を怖がり、嫌い、人間不信を作っていることに大人になって気が付いた。気が付いても、未だにちょっとやそっとの言葉で私はすぐ人嫌いを加速させている時がまだまだある。つまり、あの人やこの人にたくさん期待をしている。

誰からでもいいから「母なる愛」が欲しいと強く思っているのだ。母を求めてしまう。頭ではわかっていても無意識に過去の経験からそれを繰り返してしまうようだ。

誰かが私のことを嫌っていると感じれば怖くなり逃げ、嫌いになった。好きだといって貰えたらそれで幸せになれた。私の嫌いも好きも私が過去の経験から作ってしまっていた。

母に認めて欲しい。認められたかった。ただそれだけだったのだ。

簡単には辞められないもの

ここまで自覚しているのに、無意識に私は人に期待してしまう。

つまり「人に期待するのを辞める」ことはとても難しいことだ。意識して辞められるほど簡単じゃない。認めて欲しい気持ちの自分とたくさん向き合って生きていかなければならないのだ。

過去の経験から無意識にこれからも人に期待をしてしまう私は出てきてしまうと思う。

今まで認めて貰えなかった分、それでいいんだと認めてほしい。それは自然なことかもしれない。本当は自分で自分を認めてあげればそれでいいのに、他人に求めたくなってしまうのは仕方ないものなのだろう。

今は自覚できているだけで、それだけで、いいのだ。今の自分の事をわかっていれば、それだけではなまるだ。

少しの努力で克服できるほど、簡単なことではないから。

いろんなことがありながらも大人になって専門学校へ行き楽しく過ごせる友達ができたり、社会にすこしづつ溶け込めるようになったり前には進んでいる。人嫌いの自分の中に今は昔よりも「人が好き」な自分は増えてきている。

周りに恵まれて「人と話すのが楽しい」そんな時間は昔よりもずっと増えているのだ。周りの友達や仲間には感謝でいっぱいだ。

これからも「認めて欲しい」と願う自分を認めながら、今ここに生きている私をしっかりと感じて自分のペースで人生を歩いていこうと思う。

▽大切に生きるをテーマに執筆中▽

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