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統合失調症の私にも何も気にしない楽な時期があった

専門学生時代の話

これは私が専門学生だった時の話になる。

学生時代、私は超周りを気にしない人だった。高校生の頃に統合失調症になって、周りの目を気にしていた自分だったが、専門学生になった頃には完全に解き放たれていた。

学生の頃は良い意味でも悪い意味でも社会の洗礼を受けてなくて「好きに生きていいんだ」と思えていた。

だから大好きな野球観戦もバリバリ行ったし、友人関係もガンガンで作っていた。外食だって平気だったし、満員電車もへっちゃらだった。人に気を使うこともしなかったし、そもそも経験値が足らなくて気を使うなんてできなかった。

人も喧嘩しても気にしなかった、人間関係で悪いことがあっても次の日には忘れていた。バイト先で仕事が上手くいかなくても、悪いことをされても知らないうちに悪いことを自分もしてしまっていたとしても、あんまり気にならなかった。

「ま、また明日楽しいことすればいいや」そんな感じだった。

ここまで心が元気だった時期は人生でこの時だけだと思う。

しかし、社会にでると思うように生きられなくなってしまう。それは、「適度に大人でなければいけない」からだった。

社会に出れば出るほど、私には心の「負担」が増えて苦しくなった。

私は子供だった

私は純粋な子供だったと思う。

専門学生時代は「好きな物には素直に好き」だったし、「嫌なことは嫌と言う」性格だった。相手になんでもストレートに伝えたし、悪い意味でも良い意味でも気持ちを伺うことをしなかった。

だから、どこにいっても何しても正直すぎるくらいで、生きてて楽だった。

しかし、社会人になれば正直すぎる自分は不器用すぎて上手く人間関係が作れなかった。先輩に気も使えないし、言葉も選べない。

だからだんだん正直に生きられなくなって、自分がわからなくなって迷走した。

でも人は結局正直でいい

でも人って結局は「正直が一番」、ということをこの年齢になって1周まわった結果知る。

学生時代の私の正直は不器用すぎたと思う。ある程度、経験を積んでからの「正直な自分」は「周りに適度にわかりやすく伝えられる自分」でもあった。

だから、今は学生時代より成長して生きやすくなった。正直かつ気を使える。少しはそんな人間になれたかなと思う。

まあ、発達特性から周りの人よりはできないことは多いし、人間関係の構築もなかなか上手くいかないし、会話も下手なんだけれど。

それでも、学生時代は自分が「発達障害」「統合失調症」ということを忘れるくらい、趣味や友人関係を広げることに没頭した。全国各地を仲間と回った。仲間も100人はいた。

恋人と別れたばかりの友達に「次の恋探せばいい事じゃん!」とスーパーポジティブで凹んでることなんて気にせず声をかけてバシバシ叩いてたっけ。

今だったら絶対「大丈夫?」から入る。

あんなまっすぐ不器用に生きていた自分が懐かしいし、もう戻れないと思うとちょっと寂しくもなって、今回さらっと記事を書いてみた。

▽大切に生きるをテーマに執筆中▽

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