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たまたま始めた中国語が人生を変えた話。

「大学生のときに北京に留学していました。」

って自己紹介すると決まって

なんで北京?

そもそもなんで中国語?

と聞かれる。

一言で言っちゃえば

中国語は将来役に立つと思ったから
たまたま北京に協定校があったから

ただこれだけの理由なのに
中国語と北京留学が私に与えてくれた影響はあまりにも大きすぎた

このふたつがなかったら
気になったら一人でなんでもやってみちゃうような
初対面の場にわくわくしながら参加しちゃう
そしてベンチャー企業に就職するような今の自分はいなかった。

もっと言っちゃえば
“旅”について
こんな風に思いを綴ることもなかったとも思う

小中高の私は引っ込み思案で大人しくて
一人旅や留学という言葉が全く当てはまらないタイプだったから

そのせいで
昔の私を知る友人からは
いまの私の行動力をすごく驚かれる

そんな私の人生を変えてくれた“北京留学”についてはここから

たった半年
されど半年

話したらきりがないくらいに
たくさんの出会いと出来事があった半年間

北京留学を振り返って1番印象的だった出来事は?

って質問されたら今のは私ならきっと

「国籍を超えた一生の友達に出会えたこと」

って答えると思う。

子供の頃から
ただ漠然といつか留学してみたいって思っていた

だから大学を選ぶときは
国際学部があるいまの大学を選んだ

そして
少人数のコースで新しい友達が欲しいなって理由で

中国語を専攻して
夢だった留学が視野にはいるように

もちろん親には反対され

なんで中国語?
中国は危ないからほかの国にしたら?
半年じゃなくて1-2週間のプログラムに参加したら?

って毎日のように電話で説得された

自分の思いが伝わらないことも
自分があまり強く主張できなくて周りに流されちゃうタイプなことも知っている
加えて親が自分を心配していってくれているってことも痛いほど感じて
どうするべきなのか分からなくなって
ただただ泣いていた。

でもここで諦めたら一生後悔するんだろうなとふと思って
多分生まれて初めて親に対して自分の意見を貫いた

あの頃は辛すぎて、
大好きな堂本剛くんのラジオ番組にこのことをメールしてみたら
まさかの番組内でメールが読まれるという奇跡も起こり
その出来事も私の背中を押してくれた

そんな奇跡もあり、
改めて親に留学のことを頼んでみた

そうしたら、
そこまでいうならやってみればって

そして私は留学へのスタートラインにやっと立てた

引っ込み思案で大人しかった私を変えてくれた北京留学
その要因はきっとたくさんあるんだろうけれど
いちばんは“出会い”だったんじゃないかなと
振り返った今は思える。

私の北京留学を語る上で
必要不可欠な存在がいて

それは香港人のLee

彼女も私と同じ交換留学生で
出会いは留学当初に行われた説明会だった

大多数が欧米諸国からの留学生で、
日本人はわたしひとり
アジア圏からの学生は片手で数えられるぐらいしかいなくって

そこで声を掛けてくれたのが彼女で

後で本人から聞いた話だと
自分から声を掛けたのは私が最初で最後だったと

中国語は中途半端、加えて英語も破滅的だった私を笑うこともなく
優しく接してくれて

そのあと留学担当のDustinに
( いまだに鮮明に見た目と名前を覚えている )
その言語力の乏しさをズタボロに指摘され
一人どん底に落とされたときも
初対面なのにずっとそばにいてくれて

向こうも一人で北京に来ていて、同じアジア人、同い年
しかも同じ滞在先、同じ階ということが発覚し
気づいたら毎日連絡を取らない日はないくらいまでに仲良くなってた

何かあったら即報告、部屋に呼び出し
私の拙い中国語でもちゃんと聞いてくれて
私がそれを嘆くと
あなたは確実に成長してるから心配いらないって慰めてくれて

また私の中国語の授業が午前中だったから
授業終わりには連絡してご飯一緒に食べたり

ふたりとも
北京で恋をして、
生まれてはじめて彼氏ができて
でもうまくいかなくて悩んで
結局振られて泣いて

なんで私たちこんなにうまくいかないんだろうね、
あなたがいれば彼氏なんていなくてもいいやって
二人で言い合って泣いた日もあったり
( 今思い返すと懐かしくなる )

あるとき
Leeが突然として天津の観光地や名物を話し始めて
私が「楽しそうだね、誰かと行くの?」って聞いたら
「あなたを誘おうと思ってたの」っていってきて
そう言うなら行っちゃおうって
週末に弾丸で天津旅行に行ったことも

こんなに誘いやすくて
一緒にいて楽だし楽しい
毎日一緒にいるような存在は日本にはほとんどいなくて
だからこそこの子は自分の中で特別な存在になっていた

日本人と香港人
こんなに気があって仲良くなるなんて不思議だねって
よく言ってたなあ

そしてこの子が日本語を話せないから
いつも中国語で会話していたわけで

気づいたらあんなに苦手だった中国語特有の発音も
ネイティブみたいと褒められるまでに上達して
聞き取りも以前と比べ物にならないくらいに上がって
HSK6級(最高級)に合格しちゃったり

まさか自分が中国語で恋愛や人生について
語れるようになっているなんて思ってもいなかったから驚き

いまじゃあ日本語から変換して話すこともなくなったし

帰国間際には
当初私をズタボロに言っていた例の先生 Dustin も
私をばかにすることもなくなり( むしろ褒めていた? )
それが自分に自信をくれて

この話を帰国後に親に話したら
人に恵まれたね、
心配する必要なんでなかったんだね、
成長したねって言ってくれて

それこそ
あのとき諦めなくてよかったって心から思えたし
偶然の出会い(もしかしたら必然だったのかも)の大切さも知れた

帰国後も
あなたに会いたいって言ってくれて
本当に素敵な子に出会えたなって

まさかそのあと
現地集合現地解散でタイに旅行に行くことになるなんて
留学以前の私では思いもしなかったけど

この子の影響が大きいけど
この留学で私は自信がついて

外の世界を知ること
仲良くなることに国籍なんて関係ないこと
積極的に知らないことを知ることの楽しさ
新たに人に出会うことの楽しさ

を知った。

そして旅が好きになった。

社会人になったいまは
なかなか時間がとれなくて
いつも旅に出たいと思っているけど

そして最初の質問に戻るけど

なんで北京?
そもそもなんで中国語?

って聞かれたら今の私は

中国語の勉強が楽しいから
中国って楽しい国だよ
北京も慣れれば好きになるよ
だからこそ私は今すぐ北京にまた戻りたいもん

って言っている

いつ北京に帰ってくるの?って言ってくれる友人がいる限り
北京は私にとって第二の故郷なのです

こんな感じにつらつらと
留学生活を振り返ってみました

もうひとり私の留学生活を語る上で必要不可欠な存在がいるんだけど、
その子に関してはまた時間があるときに


日々の楽しみに使わせていただきます!