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何者かになりたい。その「何者」ってなんですか?

高級時計よりもフォロワー数がステータスになった」と、キングコングの西野亮廣氏がインタビューで答えていた(参考:「高級時計よりもフォロワー数がステータスになった」。キングコング・西野亮廣さんが語る新・産業革命時代の生き方 - 好書好日)。フォロワー数は、「その人の信用や魅力がわかりやすく数値化されたもの」とも言える。だからみんな、SNSでフォロワー数を増やしたがる。かつてのマスメディアのような、大勢に対する影響力を持った「インフルエンサー」を目指して。

でも、「あなたはなんでインフルエンサーになりたいの?」と問われたとき、「ちやほやされたいから」以外の回答ができる人はどのくらいいるだろうか?

戸田真琴さんの「SNSで死なないで」を読んだ。

どれもフォロワーを増やしたり、注目度を高めたりするのに有効な手段だけれど、そういうツイートをしている人のパーソナルをしっかり見ようとしてみても、そこに「注目されたい」「有名になりたい」という種類以外の、その人自身の中身になるようなものがまったく伝わってこないことがとても多いな、と感じる。〔中略〕「何者か」になりたいだけなのだ、たぶん。

(引用:戸田真琴 ”SNSで死なないで” - note

「何者か」になりたいだけ。とても的を射ている。何者かにはなりたい。でもそれが「どんな者なのか」は、本人にもわからないままに突っ走ってしまう。

賞賛が欲しい、他人から認められたい。その欲望は、高級時計がステータスだった頃から何も変わっていない。良い大学を出て良い会社に入り、出世して高級車やマイホームを買う。そして、ちやほやされる。そのレースが、SNSでフォロワーを大量に獲得することに変わっただけだ。

「何者か」が何であるかわからないままにSNSで注目を得ようとする様は、自分が何をしたいのかを追求せずに、ただ安定したサラリーを得るために、したくもない仕事をする「社畜」に通じるものがある。どちらも、自分が本当に求めているものに気づいていない。

会社に勤める人がみな「社畜」なわけじゃない。組織をうまく利用できる人はそうすればいい。でももし、誰も喜ばないような仕事を、ただマネーを生み出すために回しているなら、自分のやっていることに胸を張れないような仕事をしているなら、それはやっぱり組織に飼われている「社畜」なんだろうと思う。

目立つ必要なんてない。フォロワー数を増やすために何かをするのなら本末転倒だ。本当に自分の心が揺さぶられることをしよう。自分が本気で打ち込めることだけに真剣になるんだ。

アメリカをヒッチハイクで渡ることが、どうしても心から欲することならそうすればいいのだ。でももしそれが、ただ賞賛を得たいがための行動なら、やっぱりそれはとても薄っぺらい。

他人軸で生きちゃだめだ。賞賛も承認もいらない。ただ、自分であればいい。

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