ぴえん超えたら水たまり

嬉しい時も、悲しい時もそこは水たまりになる。水たまりに映る景色は綺麗だったり、きれいで…

ぴえん超えたら水たまり

嬉しい時も、悲しい時もそこは水たまりになる。水たまりに映る景色は綺麗だったり、きれいではなかったりー。 要は、心の持ちよう次第でしょ?自分に言い聞かせる。 いつの時代も、どこかの遠い世界も人間なんてそんなもんよね

最近の記事

自己紹介

三十路女/発達障害 ADHD ASD/聴覚情報処理障害/聴覚過敏/睡眠障害/学習障害/HSP/双極性障害/出会ったカウンセラーのことを書いたり障害について分析してみたり、定型発達の世界について思ってみたり、、

    • 障害と言うもの②

      前回の記事では私が思う発達、グレーゾーン、その中間の人の特徴などを書いてみた。そして私は発達の診断を持ちながら、聞き取りも読み取りもできない。(1人で調べ物ができない、書いてあることがわからない)ことも書いた。そこまで苦手なことが多いなら、助けてもらう人を見つけなきゃいけないとって思う。 でも、自分の中では頼る事は格好悪いし、実際に相談員頼って嫌な経験もした覚えもあるから頼ることの概念や、頼る人に対して嫌悪感がある。 じゃぁその気持ちをどう受け入れようか考えた結果、別に無理

      • 障害というもの

        障害を持っていると当たり前だが様々な葛藤がある。そして、自分はほかの恵まれてる人とは違って1人でここまでやってきたんだ、やってこれたんだという自負もある。プライドも出来あがる。でも、今日ここで書く内容はその混沌とした思いよりもまず私自身、障害に対してどう思っているのかという視点で今までの出来事を振り返りながら書いてみようとおもう この世の中には目に見えない区分がある。それは人の種類のカテゴリー分けだ。それは小さなヒエラルキーみたいに強さと弱さが存在していて、その中の人たちは

        • ほんとは人生に投げやりになりたいんだけど

          自分の非力さ、他に対する理不尽さ、同年代の子たちみたいに活力のない融通の効かない身体、などなど……色んなモヤモヤを抱えています。 そんな中で不安と少しの孤独で内から湧いてくる想いを詩(コトバ)にしました。 ・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚ この世に投げ出されるようにして産まれてきた べつに生まれることを望んだわけではない べつに歳を重ねるごとに中身も成熟するわけでもない。これ他人も然り 歳を重ねてもどこか大人になりきれてない自分が

          役割を演じる人生②

          書店に陳列してある自己啓発本の中や、どこぞの自称メンタルトレーナーは言う。 「自信が無い人はもっと堂々と振る舞うこと。自信が無くてもまずは演じる所から始めてみよう。もっと堂々と生きていいんだよ。だって人生も主役は君自身なんだからー・・」というような凄くアゲアゲなことを言っている人もいるけど、演じることのリスクについて書かれてる本なんて一切無い。そんな責任ないこと言わないでくれ、と思う。 演じる、演じないとかそんな気負って生きていかなくてもいいんじゃない? 仕事ができる自

          役割を演じる人生?①

          英語で分解すると、role(役割)をロール play(演じる)となる。ドラクエやファイナルファンタジーなどのロールプレイングゲームのことですね。ゲームでは与えられたキャラクターの役割をその時の状況に応じていろんな武器を扱いながら、敵を倒しながら演じる、といった感じでしょうか。 人の人生もそんな感じですかね。人間は本来の自分の人格とは違う、人に好かれるような嘘の人格を演じたり、自分の本音や本心を隠し通したり、与えられた役割(ロール)通りの人格を演じたり(例えば子供、男性、女性

          役割を演じる人生?①

          承認欲求を求め続けるカウンセラー

          ✅過度な言葉の表現を含みます。書いているときにその当時の気持ちなどがフラッシュバックするため、言葉が乱雑で下品な表現だったりします。なので気にされる方は読むのをお控えください。 *☼*―――――*☼*――――― 長年カウンセリングに通っているのだけど、そのうちの出会ってきた中で、私が投げかける質問に度々「それは愚問だね」と言ってくる男のカウンセラーがいた。病院じゃなくて民間でやっているところだった。名古屋の駅前。地元から高速バスで3時間かけて行っていた。 その言葉に毎回

          承認欲求を求め続けるカウンセラー

          リズムとボタンで

          この人と合わないなーって感じをリズムとボタンで例えてみた ボタンのかけ違いみたいに一つずつズレていって最終的にはボタンかボタンの穴が他の子たちに置いていかれたとばかりに虚しげに残る リズムの拍子がメトロノームとなかなか合わないあの感じ。拍と拍のあいだにある空間に音がズレて入り込んでくるあの違和感。だからここはそうじゃなくてーっていう感じ

          Perl pink

          相手が大切な女の子である場合、わたしは女で生まれたことに感謝する。 相手がこれからも関わっていきたい男性だった場合、わたしは女で生まれたことを酷く呪う。 だって異性同士だと、ちょっとでも深く歩み寄ればお別れがきちゃうから。 その都度おもう。わたしはどちらの性にもなりたくないって。 「性」という境界なんかとっぱらって透明よりももっともっと淡いものになりたいと思う。 今はそんなキモチ。

          朝から思うこと

          午前9時。家の裏手はすぐ山なのでとても近くから鳥や蝉の鳴き声が響く。生命力に滾る遠くまで飛んでく熱い音。赤ちゃんの鳴き声みたいに、自分の存在を必死で主張し続けている。そんな朝。 冷蔵庫で冷やしておいた種いっぱいに敷き詰められているスイカ。フォークで掻き分けてスイカの身と種をはがす作業をしていて、いろいろ思った朝。 人から影響を受けやすく傷つきやすい私は、本当は人付き合いをしないでおくのが安全なんだろうけど、私の聞き取りの弱さだったり(APD聴覚情報処理障害)読み取りの弱さ

          さよならした言葉たち

          若い頃、スピリチュアル系思想が好きだった。例えば「ご縁」という言葉。〇〇さんと出会えたのばご縁だったとか、親しい友人や恋人とお別れした後でも「きっとご縁が無かったんだわ」と何かとやたら何でもご縁という言葉を持ち出してきた。でも今は「この人に会いたいから私は会っている。この先この人とどうなるとうと関係ないし知るよしもない。ただ私たちは今会っている。それだけのこと」っていう風にシンプルに考えるようになった。というよりシンプルに考えた方が気持ちが楽だった。ご縁って言葉を使ってしまう

          さよならした言葉たち

          オラフつく〜ろ〜🎶(気持ちはノリノリで)

          その他大勢の成すことに憧れて、その他大勢のようになりたいと思い、その他大勢のような行動を真似たことがある。 1人で行動することが恥ずかしいことだと思い、そこまで親しくもない知り合いと友達の中間みたいな人とお茶したり、多人数の集まりに参加してみたりしたけど……全て時間とエネルギーを費やしただけの完敗に終わった。 誰かが手を挙げる。続けて1人、2人3人……と当たり前のように手を挙げていく。誰かの真似事が好きな社会。1人で何も行動できない大人のフリした大人たち。いや、子供でもい

          オラフつく〜ろ〜🎶(気持ちはノリノリで)

          フラッシュバックとは過去と現在を行ったり来たりする愛の反復作業だった

          考えたくないのに考えてしまう。そんな自分がキライ。後味はかなり悪い。罪悪感。思い出した後は気持ちはカラッカラに渇ききっている。日常の些細な出来事から大きな出来事まで----。なんとまぁ種類いるが多いこと量が多いこと。 まず始めにフラッシュバックとはなーんぞや?ということについて書いていきます。 ふつう人って過去に嫌だった出来事を思いだしたりしますよね?あー、そー言えば前職で上司にあんなことを言われたーとか、皆の前で怒られ

          フラッシュバックとは過去と現在を行ったり来たりする愛の反復作業だった

          美を果てしなく追及する女の子たち

          インスタを開くと、ふんだんに谷間を寄せた子やこんな綺麗なわたしを見て!と言わんばかりに目をデカく二重に加工し色白い肌をした女の子たちの写真がたまに上がってくる。品のない華美だと思った。目がチカチカしてもう見たくないと他の画面をタップする あの瞳を異様にデカくするカラコンが可愛いと思っているのか。昔流行ったバービー人形の瞳をそのままはめ込んだ感じだ。 木の枝のようにコケた手足を美しいと思っているのか 偽物めいた高い鼻が外人みたいで素敵なのか シミ、そばかす一つ無い陶器み

          美を果てしなく追及する女の子たち

          コロナの時代にあえて人間関係の作り方について考えてみた

          人間関係をより良いものにするには効率を重視したらダメ この言葉はチンパンジーを研究対象とする京都大学霊長類研究所のチームメンバーの方が言ってた言葉。 コロナ禍で男女が気軽に出会えるマッチングアプリの人気が上昇しているらしい。気軽というか手軽に出会えるといった感覚だろうか。その反面、この人が嫌だと思ったら話し合いも無しに終わりも簡単にできそうだ。 手軽に手に入る人間関係ってそこまで相手を大事に出来ないのではないか。もっと泥臭い困難を一緒に乗り越えたり、苦しみや楽しみを共有

          コロナの時代にあえて人間関係の作り方について考えてみた

          愛って分散させた方がいいかも

          ひとりのひとを愛するのは凄く素敵なことだけど、気持ちをひとりに向けちゃうと愛の形が歪んじゃったり、大きすぎて伝わらないことがあるから私は同じ量の愛情を欲張らずに色んな人に分配したいと思った。 そのキラキラしたものをひとりだけに向けるのはもったいない。 できることなら広く、遠くまで届かせたい ふと思った今日この頃

          愛って分散させた方がいいかも