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役割を演じる人生?①

英語で分解すると、role(役割)をロール play(演じる)となる。ドラクエやファイナルファンタジーなどのロールプレイングゲームのことですね。ゲームでは与えられたキャラクターの役割をその時の状況に応じていろんな武器を扱いながら、敵を倒しながら演じる、といった感じでしょうか。

人の人生もそんな感じですかね。人間は本来の自分の人格とは違う、人に好かれるような嘘の人格を演じたり、自分の本音や本心を隠し通したり、与えられた役割(ロール)通りの人格を演じたり(例えば子供、男性、女性、サラリーン、教師、親など。)。

人間関係の破綻を防ぐために本来の自分自身の考えや本音と反する言動をする時があるので、この一連の流れを劇場で役を演じる演者に似ているなと思う。

子どもの頃は子どもの役を演じる。先輩後輩になったら先輩の役を演じたり後輩の役を演じたりという風に与えられた役割を人はこなしていく。状況によって自分のポジションを変えているんです。それはつまり役柄を演じるということ。

でもその役を演じるのに理不尽なことだったり演じることを許せない自分が時としているのです。その例を2つ挙げて、許せない理由を書いていこうと思う。

例えば、わたしは小学生の頃に悪さをして担任の先生に怒られたことがあります。たしかに悪さをしてしまった自分が悪いのですがそもそもの悪さをしてしまった原因がその担任の先生にありました。一部の生徒を下の名前で呼んで贔屓したり、わたしが贔屓している子からイジメられていたのにそのことを訴えても贔屓している子をかばって話を聞こうとしてくれなかったり、、。

ある日突然私の中でイライラが弾けて悪さをしてしまいました。するとその担任は激怒り。全ての罪や責任をを私になすりつけてきました。

この場合、それぞれの役割で考えてみると、私は子供だった。そしてその役割を演じていた。そしてそして大事なのは、子供は責任を持たなくていいから子どもの役を演じれるということ。(悪さした自分が言うのも変だけど)。

対してその担任は自分にも非があるにもかかわらず100%お前が悪いといった態度で私に全ての罪をなすりつけてきたこと。

その担任の役割は「大人であり教師」であること。にも関わらず、その役割から一時逃げたのである。つまり、ちゃんと子供を演じていてもダメ出しが入るのです。とても理不尽なダメ出しが。

もう一つ、人がその役割を演じているのを見て許せないことがあります。バリバリ仕事できる営業マンや経営者です。彼らは凄くその役を演じるのが上手い。なぜならクライアント、取引先などの相手を騙して自分に好印象を持たせて信頼して貰えるようにする為にだ。その様はすごく滑稽なシーンだ。そして、そんな彼らを冷めた目で見てしまう。稼いでいく為とはいえ、本来の自分に嘘ついてまでその人との関係性築く必要はあるのかと。その様子を見ていて嫌悪感が出たり、「大人、仕事人」という役割に対して怖いなと思ってしまう。すこし大人への反発心もある。(たぶん前半で書いた教師のせいかも…←)

つづく

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