メキシコ暮らし

なかむらみゆき。1989年からメキシコシティ在住。3人の子供たちはメキシコ生まれ。30年以上住んで、感じていること、住んでいる町のこと、出会った人たち、メキシコ音楽などのことを書いていこうと思います。 Instagram @mi_vida_mexico

メキシコ暮らし

なかむらみゆき。1989年からメキシコシティ在住。3人の子供たちはメキシコ生まれ。30年以上住んで、感じていること、住んでいる町のこと、出会った人たち、メキシコ音楽などのことを書いていこうと思います。 Instagram @mi_vida_mexico

マガジン

  • メキシコで出会う音楽 Mundo de Mùsica

    生の音楽を聴きに行くのが好き。 メキシコは日本の5倍の広い国土を持ち、地方ごとに、民族音楽が日々の暮らしの中に息づいています。 メキシコにしかない民族楽器も多くあります。 アメリカ大陸スペイン語圏の大都市なので、スペイン語圏のアーティストたちが他国から歌いに演奏にやってきます。 そういう出会った音楽について、書いてみようと思います。 メキシコ音楽、ラテンアメリカの音楽について、学びながら、そして知ってもらえたら嬉しいです。

  • コヨアカンで暮らす

    メキシコシティ南郊のコヨアカンに住み始めて、約20年。 先住民言語ナワトル語でコヨーテの住む場所という意味の場所です。 世界から、観光客もやってくる週末はにぎやかな観光地ですが、何世代前から住んでいる地元の人たちの暮らす街でもあります。 日本からの旅行者は数時間滞在で、この地域を観光しますが、生活しながら気が付いたこの街の魅力をお届けできたらと思います。

最近の記事

独立記念日前のメキシコ 

メキシコの独立記念日と言われている9月16日は、実は独立戦争が始まった日。 スペインのよる統治が1521年よりスタート。 1821年にコルドバ(ベラクルス州のコルドバにて)条約を持ち、スペインから独立。 9月16日は独立を求めて、イダルゴ神父がグアナファト州のドローレス イダルゴ市で武装蜂起をした日。 それから11年間も戦争は続きます。 その当時は写真がありませんから、その様子や絵画から知ることができます。 チャプルテペック公園内にある国立歴史博物館に、独立戦争様子

    • べジャスアルテス宮殿

      メキシコシティのPalacio de Bellas Artes.  20 世紀初頭、ヨーロッパに追いつけ!時代に建設されたオペラ、バレエ、オーケストラ、美術展などを楽しむための場所。 イタリアから運ばれた大理石で作られている。 もともとその場所には湖上都市、先住民の王国があった。 スペイン人は征服後、そのまま湖を埋め立てた。 その地盤のため、毎年数センチずつ沈んでいるというエピソードがある建物がこの芸術宮殿。 ビデオによると、1910年代メキシコ全土に革命戦争の嵐が吹

      • 歴史保存地区へ

        水曜日、セントロの歴史保存地区に久しぶりに出かけてきた。 コロナ前は地下鉄に乗って、頻繁に出かけたけれど、最近はほとんど行くことがなかった。 ラテンアメリカタワーは1985年、2017年、2度の大地震の後もすくっとそびえているタワー。 最上階は展望台。 メキシコシティの人口が減る年末や長い休暇の時、風が吹き、晴れている日に登ると、メキシコシティは谷にあるんだなーということがよくわかる。 そういう日はスモッグがなく、視界が広いから、四方を見渡せる。 私は高所恐怖症だから、

        • この街が好き コヨアカン

          コヨアカン区はメキシコシティ16区の南の一区。 スペイン人征服者エルナン コルテスが16世紀にやってきた時、ここでスペイン軍を整えた。 ここからティノティトランに進軍。湖上都市の先住民の王国を攻撃し、滅ぼしたと言われている。 メキシコシティは元々先住民言語ナワトル語を話す人たちが住んでいた土地で、現在でも食べもの、地名、人名など、ナワトル語が使われている。 コヨアカン Coyoacán の語源はナワトル語で「コヨーテの棲むところ」という意味。 もうコヨーテは観られない

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        記事

          メキシコのヤクルトおばさん

          近所の区役所前広場。 歩いて買い物に出かけたら、駐輪場にヤクルト訪問販売の自転車が停まっていた。 我が家にももう10年以上も前から、「ヤクルトおばさん」が毎週月曜日にやってくる。 初めの頃は長い休みの時期になると、小さい男の子を連れてきていた。 そういう時、おやつを「どうぞ」ってあげたりもしたけれど、最近は高校生になり、もう一緒に来てくれないらしい。 彼女は帽子を被り、車輪付きのカートをゴロゴロ引っ張っていたけれど、数年前からこの形の自転車で来るようになった。 近所の人

          メキシコのヤクルトおばさん

          メキシコ発 サボテンは未来を変える

          サボテン王国メキシコのここ数年の大きなニュースは、若い青年実業家たちがウチワサボテンからフェイクレザー、ヴィーガンレザーを作ったこと。 最初ニュースを見たときは本当に驚いた。 創業者の二人のメキシコ人青年たち。 彼らは台湾で知り合ったそう。 現在ハリスコ州でウチワサボテンを原料とした革を生産している。 メキシコに30年以上住んで感じてきたことなのだが、なかなか国産の製品がなく、良い製品=輸入品というイメージがあった。 今では生産国を観ながら、買い物をしてみると、中国製の多

          メキシコ発 サボテンは未来を変える

          メキシコ野菜ノパレス 食用サボテン

          メキシコの日常に食する野菜の一つがウチワサボテン。 ノパレス(複数)ノパール(単数)と呼ばれている。 酸味が強く、ネバネバする。 このサボテンの実は前回書いたトゥナという果物。 若い頃、メキシコ人の家庭に下宿していた頃、そこのお母さんがよく子の食材を使って、いろいろな料理を作ってくれた。 今は自分が主婦になって、この食材を使っている。 メキシコ人のお母さんから教えてもらったレシピもあるし、日系人、日本人の移民の先輩おかあさんたちが教えてくれた、これを使った和食レシ

          メキシコ野菜ノパレス 食用サボテン

          子供たちが親たちの職場訪問をする

          日本には先生が家庭を訪問する家庭訪問ってありましたね。今もあるのかな? メキシコでは子供たちがおとうさん、おかあさんの職場を訪問する日があります。 全部の会社ではないと思いますが、息子の職場のその子供訪問日の話を書きたいと思います。 1年に1日だけ、息子の職場に働いている人たちの子供たちが公式に、職場に入ることができる日があるそうです。 息子は独身なのでだれも行かず。 おかあさんはダメだって。 今は勉強しているので、休職中ですが、メキシコ国立銀行の行員です。 おとうさ

          子供たちが親たちの職場訪問をする

          サボテンの実はフルーツ

          市場やスーパーの果物売り場。 今、旬のフルーツ。トゥナ。 スペイン語で書くとTuna。 メキシコはサボテンを食す文化がある。 メキシコシティ南郊のMilpa Alta 区。この地区には食用サボテン「ノパール」Nopal の畑が広がっている。 そしてそのサボテンにつく実はフルーツとして、市場に出回る。 皮を外して、中身をミキサーにかけて、こして飲んでみる。 甘い飲み物ができる。 それを水割りにしたり、シャーベットやゼリーにできる。 サボテンの国、メキシコの味。 シャーベッ

          サボテンの実はフルーツ

          現地の食材で創作料理

          海外に住んだ人ならわかると思うが、和食を作るための食材は当たり前だが、日本より少ない。 それでも先人の日本人移民たちのおかげで、工夫された食材、どうやって代用するか、そういうものが伝えられている。 今では輸入品が値段は高いが簡単に手に入る時代になった。 またアメリカに醤油、豆腐、こんにゃくの生産拠点もあり、以前より値段がずっと安くなった。 以前、駐在員のファミリーの奥様たちがメキシコでは和食の食材がそろわないから料理が大変・・・という話を聴いたことがあるが、たしかに私も来た

          現地の食材で創作料理

          毎日、驚き、発見のメキシコ生活

          33年住んでいても、まだまだ知らないことだらけ。 日々の出来事に驚いたり、発見したり。 だから楽しい、面白いメキシコ生活。 メキシコの広さ、約日本の国土の5倍。 地理的には北米大陸に位置するが、言語、文化的には「中米」の1国と理解される場合が多い。 (サッカーワールドカップではメキシコは北米枠で戦ってますよ。) メキシコ人と言っても、彼らの苗字は多様。 スペインの苗字、多いけれど、時々読めないものも。 どこか外国の移民の子孫のものだろうと察することができる。 先住民族、移

          毎日、驚き、発見のメキシコ生活

          空の旅は満席状態 このところ、全日空メキシコシティー成田直行便で日本へ行く人たちの見送りに行く日が続いている。 搭乗カウンターは長蛇の列。 まだコロナの感染は収まらず。しかし、人々はそれぞれの理由があり、空を飛ぶ。 そういう人々で空港はごった返していた。 良い旅を!  

          空の旅は満席状態 このところ、全日空メキシコシティー成田直行便で日本へ行く人たちの見送りに行く日が続いている。 搭乗カウンターは長蛇の列。 まだコロナの感染は収まらず。しかし、人々はそれぞれの理由があり、空を飛ぶ。 そういう人々で空港はごった返していた。 良い旅を!  

          隣人たちのおかげで今の暮らしがある

          現在の家に引っ越して来てから22年がたつ。 メキシコ市シティ16区のうち、南に位置するコヨアカン区。先住民言語ナワトル語でコヨーテのいるところという意味。 実際はコヨーテは今はいなくて、犬がたくさん散歩している。 実はここに住む前、マンションの6階に住んでいた。そのころは子供たちが園児、赤ちゃんだった。 おもちゃを床に落としたり、家の中で走ったり、おまけに床はフローリング。 下の階の家族から床から届く音がうるさいと注意された。 それがかなり私のストレスとなり、原因不明の病気

          隣人たちのおかげで今の暮らしがある

          今日出会った素敵な親子

          現在、我が家の1室、リフォーム中。 毎日いろいろな職人さんたちが仕事に来る。 今日は水回りの日。配管工の若いお父さんと12歳の息子がやってきた。 今、メキシコは夏休み。男の子はお父さんのお手伝いをしていた。 一緒に手先を動かし、助手のようなことをしていた。なんだかほのぼのする。そうやって社会のこと、仕事を覚えていくんだなー。 そういえば、主人の会社は日本人は一人だけ。 あとは全員メキシコ人。夏休みや年末には、なぜか、お父さんやお母さん社員の隣に、子供たちが椅子を置

          今日出会った素敵な親子

          33年目のメキシコ生活

          はじめまして。 Mucho gusto.   メキシコシティ在住33年目のみゆきです。 メキシコ生まれの子供たちが3人います。 皆、無事に社会人になりました。 気づいてみれば、日本で暮らした時間よりも、メキシコで暮らしている時間のほうが長くなりました。 子育ても終わり、時間ができたので、何かに挑戦したいと思い、母国語の日本語で、大好きなメキシコのことを書いてみよう!と思いました。 専業主婦だったし、仕事も若い時だけしていただけ。 パソコン操作は滅法弱く、息子たちに助け

          33年目のメキシコ生活