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将来について

こんばんは。
この投稿を開いてくださりありがとうございます。

将来について悩んでいます…。

わたしは、教員を目指しています。
教員を目指している理由は、弟のような運命を辿る子を一人でも減らしたいからです。

私の過去の投稿をお読みになった方はご存知だと思いますが、弟は性犯罪加害者です。
今までに3回の逮捕、2回の少年院入院を経験しています。

弟がそんなことになる前は、犯罪者になる人の生い立ちなんて考えたこともありませんでした。
わたしにとって犯罪者は理解不能で、もはや人でないもの、とまで考えていたのかもしれません。

学校で万引きをしてはいけません、だとか人を傷つけることをしてませんだとか言われても「そんなん当たり前じゃん」としか思えませんでした。
でも、それはわたしがとても恵まれているからこその思考だったのだと知りました。

弟が逮捕され、なんでそんな酷いことをしてしまったのか、と自分なりに調べて考えてたところ、障害、いじめ被害、親からの心理的虐待など、様々な要因が浮き彫りになってきました。

さらにいろいろ調べていく中で、少年院や少年刑務所にいる子たちは弟のように様々な支援の網からすり抜けてしまった子が多いのだと知りました。

少年たちの生育環境を考えれば、少年たちの行動は自然な流れで、少年院で教育を受け直すことができることは幸せなことなんじゃないかと思うようになりました。

しかし、わたしは思うのです。

元々の生育環境が少しでも違えば少年たちは非行にはしらなかった可能性もあるのではないか、と。

犯罪加害者になると、被害者をはじめ多くの人を傷つけてしまいます。
そして、少年たち自身をも不利な立場に追いやってしまいます。
はじめから、非行にはしらない道があるならば、そっちを選ぶ方が社会のためにも本人のためにもなると思います。
結局選ぶのは本人なので、わたしはひとまず選択肢だけ消さないようにしたいと思っています。

学校はさまざまな子が集まる場所です。
特に公立小中学校に関しては、1番網の目が粗い場所だと思うのです。
戸籍があれば、誰でも通うことができる場所だからです。
教員は支援の必要な子を見つけるはじめの1人になりうるのではないかと思うのです。

私は、支援の必要な子や家庭を福祉や医療につなげる架け橋になりたいと思いました。
わたしは心理学や医療に関する特別な知識や技術を持ち合わせていませんが、繋ぐことならきっとできる。
それが、私にできる、子どもたちやその周りの人を悲しい未来から救う方法だと思っています。

また、学校の理不尽な校則や出る杭は打たれると言った風潮をなんとかしたいと思っています。
周りと違うことや馴染めないことに悩む子がこれ以上心を痛めなくてもいいように。

子どもたちの可能性を潰さないように。
選択肢を広げられるように。
自分たちで未来を築く力を与えられるように。

こういった理由でわたしは教員を目指しています。

しかし、母は私が自己犠牲的な将来選択をしているのではないかと心配しているようです。

わたしは学生時代、特に中学生のころは教師が大嫌いでした。
上から押さえつけてきたり、個性を認めなかったりする行動や組織のあり方に疑問を持っていたからです。

教員のブラックな待遇も知っていましたし、絶対将来学校の先生なんかにはならないだろうと思っていました。

それが、急に教員になると言い出したので親も驚いたようです。

私も過去の自分を考えると有り得ない選択なので、自分で驚いています。
しかし、わたしは元々子どもが好きで、語学も好きです。
それに、わたしが経験して、わたしが考えたことを実行しようとしているのだから、全て自分の責任なのだときちんと分かっています。

とはいえ、難しいなあと思うことは、志望動機がマイナススタートだということです。

弟が非行少年になることで私もたくさん傷ついて悩んできました。教員になっていろんな支援が必要な家庭にであっても、わたしが教員としてきちんと線引きをして関われるのかどうか。

元々教師嫌いのわたしが、現状の学校組織の一員になって私自身の心が持つのかどうか。

高い理想を持っているが故のギャップもあると思います。
偉そうに理想を語っていても、客観視してみると、結局なんの実績も技術もないペーペーなので。
いくら情熱や愛情があっても伝え方が大事だということは身をもってしっているので。
まあそれは、自分が一歩一歩学んでいくしかないと思います。

人生ってなんでこんなにも悩みが尽きないんだろう?
困った。

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