見出し画像

【カジュアル書評】『漫画サピエンス全史 人類の誕生編』河出書房新社

いやー、よかった。この本に出会えて。心からそう思う。

原作は歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏によって2011年に書かれ、日本では2016年に翻訳出版された世界的ベストセラー『サピエンス全史』だ。国内外の多数の著名人がオススメしていたので、読まれた方も、お持ちの方も多いだろう。ちなみに、わたしは上下合本の電子版を持ちながらほとんど読んでいなかった者である。
 
何がいいって、見せ方、語り方の工夫が随所になされていて、めちゃくちゃ楽しめるし、記憶にも残る。フランスの漫画作家が絵を描いているが、別に脚本家もおり、実にユニークな構成になっている。
 
そもそも、語り手のハラリ氏は人の歴史から語りはじめるのではなく、宇宙→原子→分子→生命体→人類の誕生という順序にのっとり、歴史学は物理学→化学→生物学のあとにくることを最初に示してくれる。
 
姪っ子のゾーイが訪ねてきて、子供がよろこびそうなカードゲームを渡すと、そこには何種類かの原始人(5万年前のヒト科)が描かれている。現代人は皆<ホモ・サピエンス>。ホモは人、サピエンスは賢いという意味だ。カードにかかれたその特徴は<自分がいちばん頭がいいと思っている><モノ作りがうまい><うぬぼれが強い>。そして驚くことに<西暦2100年までに絶滅の恐れ>とある!
 
ふたりは大学の生物学教授に会いに行き、読者も一緒に話を聞く(その絵を見る)ことができる。合い間に、姪のゾーイが持っていたマンガ本<先史時代人ビル>のページや、原始人に炎のつけ方と効果を宣伝する<デイリー・フレーム>というチラシのページが入っており、なかなかふざけている。手塚治虫の漫画にあったノリを思い出す。
 
話に絡めて、絵のなかにはピカソの<ゲルニカ>、楽園を追われるアダムとイブ、トマス・ジェファーソン、マルクス、バンクシーの風刺画、シャーロック・ホームズなんかも忍ばせてあるので、気付けば気付くほどおもしろい。
 
ハラリ氏とゾーイが別の専門家を訪ねてイギリスへ行き、話を聞くうちに現れるのは<ドクター・フィクション>。見た目はスーパーマンに似ているが胸の文字は虚構を意味する英語FictionのFで、AR(現実拡張)グラスをつけているようだ。映画『マトリックス』の、あの弾丸をよけるポーズも披露してくれる。
 
このキャラクターはふざけているようでいて、すごく大事なことを教えてくれる。人が知り合ったり、集まって協力できる人数には限界があり、150人を超えると集団行動も難しくなる。そこで必要となったのが、神話というフィクション(虚構)だ。同じ神話を信じれば大人数でも協力できる。宗教、法律、企業もフィクションといえるらしい。なるほど、たとえば社屋には実体があっても、それが企業そのものではない。
 
第一次世界大戦でドイツとフランスが戦った理由について<ドクター・フィクション>は言う。 

縄張りや餌が足りなかったからじゃないわ
……
戦争になったのは、物語に合意できなかったからよ

さらに続く言葉が胸に迫る。

でも忘れちゃいけないのは、虚構はただの道具だってことよ。人が使って便利なように考え出されたものだってこと

道具の奴隷になっちゃいけないわ。それを忘れて、会社の利益とか国の威信のために戦争を始めるなんて、それこそとんでもないことよ!

読者が大きくうなずくであろう、イスラエルの歴史学者であるハラリ氏がこの本のキャラクターに託したもっともな言葉を、今の戦争の首謀者たちが台無しにしているのが何とも歯がゆい。
 
ハラリ氏はゾーイと別れてリオへ向かう。他の学者たちと一緒に会議で発表をするためだ。読者は<石器時代の生活とは?>というディスカッションを会議の聴衆とともに学べる。
 
最後の章のタイトルは「大陸をまたにかける連続殺人犯」。ここで登場する刑事ロペスが、いかにして人類が地球上の大型動物を絶滅させてきたかを訴え、原始人の格好をした男女ふたりを問い詰める。人類が世界各地に進出するたびに、マンモスやマストドン、小型動物から貝まで、狩猟をつづけたために絶滅に追い込んだ大虐殺の犯人だというのだ。終盤に設定された裁判は<最後の審判>をなぞらえているのだろうか。判決やいかに——。
 
人類が進出するまえ陸地にいたとされる体高2メートルのカンガルー、体重8トンの地上性ナマケモノなどの絵は見ものである。
 
衣食住どれについても、原始人はかなりの知識と技能がなければ生きられなかったと書いてあり、災害に遭って車や電気や通信を失ったときの現代のわたしたちの脆さを想う。
 
天災、戦争、AI、少子化、……。今日も小さなスマホの画面から大きな問題をのぞいて悲観するわたしたちに、この大型本は人類の歴史を俯瞰して見せ、変幻自在にタイムスリップさせてくれて、少しだけ、でも確実に視野を広げ、勇気をくれる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?