人生でいちばん辛かった記憶と、今
最近難聴の話ばかりだな。
まあ、いっか。
少し前におすすめして頂いた記事を書いているうち、人生でいちばん辛い記憶が蘇った。
わたしは中学3年の時に、後天性の、突発性の、片耳の、感音性の、難聴になりました。
健康診断の聴力検査の高い音、低い音のうち、左耳は高い音が聞こえなかった。
突発性だし、片耳だし、悪化する可能性も、両方聴こえなくなる可能性も低いと言われていた。
でも、結果的に難聴は進行して、両方ともほとんど聴こえなくなりました。
聴こえたのに、聴こえなくなる。
これを体感するのはわたしだけではありません。
いつも何気なく会話していた友達が、恋人が、同僚が、先輩が、後輩が、兄弟が、両親が、息子が、娘が。
少しずつ耳が遠くなり、会話ができなくなる。
イメージできますか?
わたしは人とコミュニケーションを取るのが嫌になり、誰とも会いたくなくなった。
でも、それでも誰かと話したい。
話さないと生きていけない。
そんなわたしの、いちばん身近な話し相手は、お母さんでした。
お母さんだけは、何回でも聞き返せたし、何回でも話してくれた。
聞こえない自分にイライラして八つ当たりしながら聞き返すことがあった。
それでも何回でも何回でも話してくれた。
だからお母さんと過ごす時間がいちばん好きだったし、楽しかった。
でも、難聴がどんどん進行して行く中、お母さんとランチに行った日のこと。
お母さん以外とは話せないので、いつも通りオーダーはお母さんがしてくれた。
そのときなんだったか忘れたけど、店員さんに予想外のことを聞かれた。
ドリンクがサービスだったんだっけ?覚えてないけど。
もちろんわたしは聞こえなくて、お母さんはわたしに聞くけどそれでも聞こえなくて。
お母さんがメモ帳に書いた。
店員さんに「すみません、この子耳が悪くて」って言ったのはわかった。
初めての、お母さんとの筆談。
あー、いよいよ聴こえないんだなと思った日。
誰とももうまともに話せないんだなと思った日。
別にその日に落ち込んだりはしなかったけど、難聴の日々の中でいちばん記憶に残ってて、その日のことを思い出すと辛くて涙が止まらない。
その日が辛かったんじゃなくて、思い出すと辛い日。
聴くことを諦めた日。
そのあとお母さんとふたりで軽井沢に旅行に行った。
ほとんど筆談だったけど、楽しかった。
旅行の数ヶ月後に、わたしは人工内耳手術をしました。
人工内耳というのは本当に凄い技術で、ほとんど普通に生きている。
お母さんとも話す。ランチに行く。
店員さんへのオーダーはわたしがする。
聞こえるようになった今、お母さんに依存していた日々を越えて、お母さんへの愛は深まっている。
めちゃくちゃ辛い日もあったけど、それでもわたしはこの人生を誰にも渡したくない。
本当に、心から幸せだと思う。
お母さんが、お母さんでよかった。
一生いちばん大切な人はお母さん。
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よければスキお願いします。
このnoteを書きながら泣いてしまった。
勢いのまま夜中の2時に投稿。
すっきりした。
もうこの日を思い出しても泣かない。
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