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肩書きを与えるのは誰か?#「be の肩書き」トーク&ワークショップ

肩書きに対する違和感。
私が「面刺」のワークショップを始めたきっかけは、この違和感からである。無職で空っぽになってしまう私は、いったい何者になるのか…?肩書きだけでしか自分を知ってもらえない社会に窮屈さを感じていた。

先日、トーク&ワークショップ「be の肩書き『人生の肩書き』は、プレゼントしよう」に参加してきた。

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「肩書き=自分なのか?問題」

著者の兼松佳宏さんが我々に投げた問題提起。
そう、それですそれです!と、心の中でふか~く頷いた。

彼曰く、肩書きには2種類あると。
「doの肩書き」と「beの肩書き」。
「doの肩書き」は、所属や職種など「do」、つまり「私はこんなことをしている人です」という紹介。運転手、営業部長、大学教員、デザイナーなど、一般的に名刺に書かれている肩書き。冒頭で言った、私が違和感を覚えた肩書きはこれに当てはまるであろう。

一方、「beの肩書き」は、「私はこんな人です」という表明。be=あり方を表すもの。例えば、同じdoの運転手であっても、気配り上手な運転手もいれば、ワイルドな運転手もいる。でも普段の肩書きはどちらも同じ「運転手の〇〇」になってしまう。ひとりひとりbe(あり方)は違うはずなのに、do(所属や職種)でひとくくりにされて、自分自身を語る機会がほとんどなく見えにくくなっている。
そこをすくい上げるのが「beの肩書き」である。

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このイベント内でも簡単な「beの肩書き」ワークショップを行った。
今回のワークショップでは、2018年にあったユーダイモニア(個人的充足感)な出来事をリストアップし、それらを象徴してそうな職業を配布された職業リストから選んでみるというもの。
職業の解釈はメタファーでOK。
選んだら、3人一組になって1人7分間自分のことを話す。聞いている側はフィードバックをおくる。

ここで選択した私の職業は、「冒険、屋台料理人」。
今年は仕事を辞めたという大きなターニングポイント。会社に属すということをやめて、色んな興味分野に赴いた。結果的にいろんな出会いがあり、全然違う分野であちこちと手を出し、それらをこねこねしている。そんなアクティブさや、所属の曖昧性、いろんな興味分野を美味しく料理しようとしているということを「冒険、屋台料理人」と表した。

そのように自分のことを話したら、聞いてくださった1人に「ナンパ師」「一本釣り師(釣り人)」みたいだねと言われた。色んな人に会って、ちゃんと繋がって、ちゃんと進んでカタチになっている。人を釣るのが上手いと。
あ~~釣りをしていたのか…!確かにそうかもしれない…!
無職になったとき最初にやったことは、その分野のことを知っていそう、実践していそうな人が行きそうな場に行って人脈を作るということ。そうか、釣り場で魚を釣ってたのか!しかも大物狙い(笑)そして釣れている…!(笑)
自分では気づけていなかったことに着眼してくださり、思ってもいなかった「beの肩書き」のプレゼントをいただいた。

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「肩書きを与えるのは誰か?」
この問いもすごくビビビときた。

「doの肩書き」は社会から与えられた役割にすぎず、そこへパズルのように組み込められている感じ。それがピッタリカタチが合わなくとも無理やり。
一方、「beの肩書き」は自らの内からわき出る存在であり、他でもない自分自身というイメージ。もちろんそれは自分一人で発見できるものではないかもしれず、私みたいに他人から「一本釣り師」とプレゼントしてもらえるかもしれない。いつでもビビッときた「beの肩書き」を自分自身に与えることができる。

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私がワークショップデザインをしている「面刺ワークショップ」。
これも「beの肩書き」の一つのフレームにあたるのであろう。
でも実は、面刺を始めた時は「beの肩書き」というものも、そうしたワークショップがあることも知らなかった。教えてもらって、今回やっとイベントに参加したのであった。

イベント終了後、「beの肩書き」著者の兼松佳宏さんにお話したら、なんと「面刺」の存在を知ってもらえていた!(インターネットの凄さというか、恐ろしさというか笑)
「めちゃくちゃいい発明じゃん!」と。
兼松さんは勉強家と名乗る通り、言葉に対して真摯に向き合い、探求することを得意としている。一方、私は言葉に向き合うことが苦手だ。だからこそアートに手助けをしてもらって自己表現をしようと考えた。
それが「発明」と言ってもらえて最高に嬉しかった。


「beの肩書き」というウルトラスーパーボーナスヒントをいただき、ますます「面刺」が進化していきそうだ。

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