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愛の世界

愛の世界とは

無条件の愛でむすばれた
限りなく甘く心地よい世界

無条件の愛とは
ありのままを受け入れること
その人そのままを愛すること

そこには無理もなければ
苦しさもないの

受け入れるって
無理にすることではないの

相手が何をしても
何を言っても...

何かいやなことをされて、言われて
これも受けれなくちゃならないの?
とか
無条件の愛だから受け入れなきゃ
など
そういう心持ちが湧いていたら
それはもう愛ではないのかもしれない

相手の人のある部分を好きになって
好きでない部分も見えてきて
そこも受け入れなきゃってなったら
それはもう条件付きの愛
ということになるのではないかな
って思う
これは私が何人もの人と接して
条件付きの愛も
無条件の愛も体験して
いま言えること

わたしが感じる真の愛とは
その人そのものが大好きで
存在しているだけで嬉しくて
相手が何をしようと何を言おうと
好きだし信じていられる

それは盲目の愛でもない
その人に嫌われてもいい
というものでもないのです

なぜって愛はもうエネルギーとして
滲み出ているから
言葉で語る必要がない

例えてみれば
相手が
「あなたのことは愛してない」
と言ったとしても
全身から愛が伝わってくるから
言葉を受け取って
「へぇ、そうなんだ」って答えたとしても
頭はなんだか、ちんぷんかんぷん
え、だってあなた私のこと愛してるよね?
どういうこと?ってなる

言葉は関係なく
言葉よりもさきに
そこには愛がある
愛の言葉はなくても
愛のエネルギーがある

その愛のエネルギーは
どこにいようと届くし
感じられるし
ずっとずうっと
永遠になくならない
(エネルギー保存の法則ねww)
たぶん死んでも

その愛のエネルギーを信じているから
(というか「ある」のだから、信じるという選択肢しかなくなる)
その人そのものを信じられる

何をしようとしていても信頼している
何をしてるかわからなくても信頼している
言葉さえもそのまま受け入れられる

「きらい」と言われたとしても
そうなんだ、今はそう言うしかないんだねって
頭で考えた(5%の顕在意識で)のか、
自分の本当の愛(95%の潜在意識下にある)に気づいてないだけなのか
わからないけど
そう、わたしの頭でもわからないけれど
その人がそう思ったのなら そうなんだね
ってなる

頭で考えたことでも
(言って見れば魂からの言葉でなくても)
愛があることはわかっているから
すべて尊重できる

本音の部分では(わたしの場合)
わたしも弱い人間だから
言われたことに傷つき
起こった結果に悲しくなることもある
でもその時の感情は
えーわたしを愛してることは間違いないのに
どうしてそうなるの〜?
ってちんぷんかんぷんで
必死に自分を納得させようとする
(この部分、
むりに受け入れようとしている
って見えるかもしれないけど)
納得させようとするっていうか
そう考えるんだね、あなたがそう言うならそうなんだね
って諦めにも似た受け入れ方...

でもすこし時間がたって
すこし引いた地点から
(客観的に、とも言う)みると
やはりそこには愛しかない
ってことがわかる

その人も人間だから
ん?ってことや間違いをしでかす
可能性もある
遠回りな道を選ぶこともある

でもそのとき選択した行為は
やはり
わたしの幸せを一番に
その人なりに精一杯考えて(ちいさい頭で←5%の顕在意識で)
のことなんだよねって理解できる

だから受け入れるしかない
信頼するしかない
というか信頼はいつもなくならない

それが
真実の愛であり
無条件の愛であり
本当の信頼で結ばれた人であると思う

そういう人の存在を
わたしは魂で繋がった人と呼ぶ
世間的には
ツインレイとかツインソウルとか
スピリットメイトとか
双子の魂とか
いろんな言葉があるけど

どれも真実でどれもしっくりこないような
たぶん人がつけた概念だからかな

だから今は
魂が繋がった人
でいいや

そんな人との間には
やはり
すべてをゆるされた
愛のあたたかさ
ここちよさ
甘さしかないのです


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