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インド旅の記録③限界ギリギリのカオス旅


2023年1月 2泊3日弾丸インドカオス旅の記録
以下、①②の記録に続き、3日目であるシリーズ③
本当に、記録として、ぐちゃぐちゃのままで、残しておきたい記憶。




インドの寝台列車で姉が消える

インド旅3日目の朝、目を覚めると、6時すぎには目的地に着くはずの列車が停止していた。グーグルマップで場所を確認、目的地までまだまだすぎて二度寝。

もう一度起きた頃には目的地までもう少しで、ハッと思い「お姉ちゃん!」と飛び起きたら2段ベッドの上にいるはずの姉がいない。
いつからいないのかもわからないまま、準備を進めて待っていても一向に戻ってくる気配がなくって
「ついにお腹を壊したか、、、あの汚いトイレでこもっているなんて可哀想に、、、」と同情していると

「あ、おはよ~:)」と帰ってきた。
全然ゆったり丁寧に歯磨きして顔洗ってたらしい。
「心配したわ。」

ついに念願のタージマハル!


約5時間遅れでタージマハルがあるアグラ駅に到着。
2泊3日旅の私にとってかなりのロスタイム、、きつい、、、
とにかくUberを探す
バラナシ以上に運転手のご提案が絶えないけど、
バラナシで鍛えた対応方、目をガン見して「ノーサンキュー!!!」の一撃。
日本人の稀な勢いに向こうがちょっとビビってた。

なかなか車のドライバーと出会えず、一旦キャンセルしトゥクトゥクに変更。
ずっと付き纏っては振り払ってきた真横にいるトゥクトゥクドライバーとマッチ。断ってきただけあってなかなか気まずい中の発車。(なんか、ごめん。)


タージマハルに着くと、ドライバーから再びご提案。
「荷物は置いていっていいし、タージマハルを観光した後もずっと案内するから1人いくらでどう?」と。
怪しすぎたけど確かに荷物は邪魔だし、また後でドライバーを探すのも大変だから、、、。と思い、ご提案に初めての素直にイエス。
ただ、荷物を置いて行くなんて、かなり不安な中、タージマハルに向かう。


タージマハルは観光客値段でかなり高かった分、列に並ばずに済んでスラスラと入場。鞄に入れていたクッキーは持ち込めないとのことでその場でかきこむ。お菓子袋のごみをポケットに入れると「ごみ?下に捨てな!」と信じられない教えを受ける。流石にそれはできなくてポケットにしまったまま入場

念願のタージマハル!!生で見るものはやっぱり迫力が違った!!大きくて真っ白で本当に美しい、、、

大量にいるカメラマンから「いくらでこんな写真撮れるよ!」と。
もはや勝手に写真撮ってきて「どう??いくらでケータイに送るよ!」とか姉の写真撮ってたら「暗い暗い!もっと下!」とか、
本当もうまじで、ノーサンキュー!!!
(ご提案って、さればされるほど断りたくなる笑)

いい感じのところで撮ってたら「私の写真撮ってくれる?」と1人旅している可愛らしいお姉さんから声をかけてもらい、その方のご提案カメラマンへの対応を目にした。「ノーセンキュウ~」「アハハハハハ~」って穏やかすぎて華麗すぎて、さっきイライラしていた自分がちょっと恥ずかしい。

かわいいちっさな女の子がニコニコ笑いかけてくれてキメキメのお父さんから「撮ってあげてもらっていい?」と。
10歳くらいのお姉ちゃんが「Nice to meet you!! What ‘s your name!?」って大迫力で握手してくれて、商談でも始まりそうな勢いやった。
インド人のバラモン層確定。ああいうのが、インドを引っ張っていくのか。

タージマハルの建物内は撮影禁止で、一応当時の王が王妃のために作ったお墓だからちゃんと棺も置いてあった。外観から建物内の絵の模様の細部まで、全て左右対象とされていることで知られるタージマハルだけど、王妃の棺の横に、息子が王の棺を置いたことによってそれだけは左右対称ではなくなったとのこと。
それにしてもこんなにも壮大で美しいお墓、かなりのお金があったんだなと感じさせられるけど、今や世界遺産タージマハルとして世界中から人が集まるんだから、亡くなってからも経済を回し、永遠の金の亡者であり賢者。

タージマハルでは、日本人が珍しいのか、沢山写真撮って欲しいと声をかけられまんざらでもない顔しちゃって。

マイシスター、絶対邪魔

地元民しかいない長距離バス

その後、待ってくれているトゥクトゥクに戻る。
本当に荷物も無事で一安心。
そこからデリーに向かうバス乗り場に一目散に向かいたいものの安定にご提案が始まる。
「もっとここ周辺見ていったら?おすすめの大理石屋さんもあるよ!」と。出た。
まじで時間ないのになかなか止まらぬご提案にいらいら。ニコニコして断っていても終わらなくて結局かなり勢いよくよく半ギレで「時間ないの!」といったら出発してくれた、、、。(本当ごめん)

その後バス停へ。キャッシュが足りず、トゥクトゥクドライバーさんが立て替えてくれて優しすぎるやん、、帰り道で「See you again」の歌を歌っていてエモすぎる。
バス停に戻ると発車寸前。ダッシュでバイバイしてバスに乗車。現地民が教えてくれたバスやったから、これまたローカルすぎて。あぁ、、、汚ない、、。

ただ、きちんとデリーについてくれさえすればいい。
バスが徐行のまま人が乗り降りしていて、
時々勝手に乗ってきてはお菓子やお水を販売してもちろんバスは構わず進むから「ちょ、ちょ、ここで降りなきゃ!」と遠くへ連れていかれる前にほぼ高速道路みたいな場所で降りていく現地民を見てちょっとじわりながら約4、5時間のバス移動。

デリーについたら、ショッピングやアーユルベーダも体験してみたかったけど、もう出国ギリギリ。
とにかく、市内から空港までのUberを手配して、待っている間に近くの屋台で買えるだけのお土産を買う。

市内から空港までのドライバーのお兄ちゃんは穏やかでクラクションを鳴らすこともほとんどなし。首都はやっぱり大人な雰囲気で落ち着いていた、
最後の最後まで、ターミナルが違うから料金も違うとかでややこしいこと発生、、、

空港では常にダッシュ。絶対帰るぞ。

ついに空港についたもののチェックインも荷物検査も長蛇の列。出国エリアに入った頃には、ゲートクローズの25分前で、必死でお土産を買いに回る。
「空港でアーユルヴェーダでもしたいね♪」なんて呑気に言ってた頃に戻りたい。
クローズ10分前までお土産に悩んでる姉に「先行っとくで!!絶対来てや!!」と、とんだタイミングでお別れ。こわすぎ。
という自分も1日中何も食べ物が届いていないお腹のためにホットサンドイッチとカレーパイ、チャイラテを爆速で注文。ゲートに着くと、息切れ中のお姉ちゃんの方が先に着いてて、やるやん。
機内に乗って離陸するまでにお姉ちゃんとシェアして食べたあの安堵感と幸福感は忘れられない。



23時離陸の飛行機は意外と深夜まで元気で、飲み物おつまみサービスの後、ほとんど寝落ちしている中、カレーとパン、ヨーグルトとチョコレートケーキがのった何食なのかわからない機内食を半分寝ながらいただいた。

乗り換えの香港に無事着くも、乗り換え時間は2時間、しかも一回入国して再度チェックイン、荷物検査をしなくてはいけない。
チェックインカウンターはこれまた長蛇の列で、並んでいたら確実に間に合わん。近くのスタッフさんにこのフライトなの!と半泣きで懇願。
別のカウンターで対応してもらい、そこから爆走。ゲートクローズになる瞬間に滑り込む。
機内で香港のお茶を頼み、少しインドの振り返りをしながら大阪へ向かう機内。
予定時間より少し早めにつき、母に空港に迎えにきてもらって近くの温泉に直行した。

何もかもが綺麗すぎる日本。
シャンプー3回、コンディショナー2回、体も3回はゴシゴシし、汚れを落とす。
露天風呂に入った瞬間、無事に帰ってこられた安堵と心地良さで脳内がふわふわしていた。

インドってこんなだったんだ。

きっと1人だったら、行けなかったインド弾丸カオス旅
「人生観が変わる国」なんて言われてるけど、
ん〜、そこまで変わらなかった。(笑)
だけど何より、「どんな国なんだろう」から
「こんな国だった」にしたことに大きな意味がある

インドの人は思った以上に超暇そうに生きてたし
裸足で歩き回っていたし
携帯も持っていない人がほとんどだった。

そんな国で私は、歯磨きする水も飲料水
手を洗ったら、再びウェットティッシュで手を拭く
よくわからんものを食べるなら、断食、という
厳重なケアによりなんとか元気に帰ってきたけど、
完全にあの時は異常に敏感になってた気がする。
超潔癖症になってしまうくらい、どこもかしこも私にとっては受け入れ難かったけど、

ここが、これから伸びていく、日本を越えていく国なのだ。舐めてはならん。
また見に来たい。10年後くらいに
さすがにもう少し、安心旅で。(笑)


楽しい思い出を、本当にありがとう。

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